第244話 ぬくもり、再び
オレは、それまでの自分から離れた。
このまま行くべきところに行き着く…… それが、完全な死だ。
今、オレは初めてネフィラと逢った時にいたような空間を歩いている。
ここは夢の中で見た、初めて彼女と逢ったあの場所。
場面は移り変わって、白い靄がただよう何もない空間。
ただ足場はあるようで、オレはひたすらそこを進む。
誰かが突然手を握ってくる。
その感触、体温、誰だがすぐに分かった。
「ミーコ……」
「おにいちゃん、やっと触れたね」
オレはどう返していいかわからない。
「そうだな…… 元気そうだねミーコ」
「うん、元気だよ」
なんでミーコと逢えるんだっけ…… ミーコはアールの中で、それでオレはミーコを、あの子をもう一度世界に出したくって……
それで……
オレは飛び起きたように気づいた。
そうだ、オレはアメノムラクモを自分の胸に突き刺して死んだのだ。
ミーコがオレに触れる感触が変化した。
別の何かが、オレを引いている。
まるでけん引ビームに引かれるように……
ミーコがオレへの拘束をゆっくりと解いた。
「ミーコ、オレは……」
「おにいちゃん、またあとでね! 大丈夫、すぐに逢えるから」
「そうなのか…… そうだよな」
気の利いたことを言えない自分が腹立たしかったが、ミーコは確かにオレに触れて、オレは何かに引かれてここから移動する。
移動している途中、オレは自分が重くなっているのに気づく。
それは少しづつ実体感を増して、オレ自身の感覚となりつつあった。
まるで空虚な魂である存在が、少しづつ受肉するような、それでいて自由を奪われて、肉体というしがらみに縛られつつあるかのような、言い知れぬ拘束感……
誰かがオレを掴む。
オレはそれが誰であるのか、瞬時にわかった。
オレを掴んだその存在は、そのまま自分の懐に招き入れる。
以前そうであったように、オレはその力に従った。
「……一洸さん、おかえりなさい」
オレはネフィラに抱き留められるようにして立っている。
「ネフィラさん……」
そう、そこはいつもいるオレの保管域だった。
オレはネフィラの肩越しに、自分の手を見てみる。
明晰夢で確認していたような感じではない、確かにこれはオレの肉体、実体感のあるそれだった。
「一洸さん、あなた生き返ったのよ…… 」
そうか。
オレは、直近で感じていた内的感覚との差異をすぐに感じ取った。
バルバルスがいない。
彼の分魂が、今オレの中にはいなかった。
死んだのだ、あの時点で完全にリセットされたのだろう。
魔界で嵌められた腕輪も消えている。
だが、もう一つの新しい感覚があった。
神に等しき上位存在に、上から見られているような感じ……
それは語りかけてくるわけでもなく、不快感があるわけでもないが、確かにオレの意識の遥か上に存在していた。
オレはそっと話しかけてみる。
“いにしえ様、いらっしゃるのですか?”
返答はない。
だが、オレが見て、感じて、触れ回る感覚を、高次元から見つめる意思として存在しているのが、例えようもない万能感でわかった。
古のものの感覚も得たことになるのか。
試していなのでわからないが、あの存在の行使できる能力をオレは今、持っているということになる。
“……一洸、大丈夫なのか?
私から見えるきみは、この空間に突然質量転移して出現したように見えた”
“アール、心配をかけた…… もう大丈夫だよ。
ところでオレの身体だけど、アールから見て以前と変わったところはあるかな?”
しばしの間…… しかし、自分が物凄い精度でスキャンされているのがわかった。
この感覚は今まで持ちえなかったものだ。
古のものが与えた、新しい力の一つなのだろう。
自分がどうされているか、あるいはどういう状態にあるのか、どの存在よりも確かにできる、そんな感じだった。
“私が持っている数値データ、及び量子的なものも含めて…… 遺伝情報も変わっていない。
ただ…… 老化制御の因子が、私の初めて見る形に変容している。
それに、人間には見られない幾つかの新しい因子が存在している”
老化制御因子の変容、新しい因子?
神と同じ体素材からの再生だ、歳もとる必要はないわけだ。
ということは、オレが蘇らせる対象、同じ素材を用いた肉体も同じく、死のサイクルから解放される運命を負うことになるのか。
これは誰彼構わず迂闊に生き返らせるわけにはいかないな。
検証が必要だが凄まじい能力だ、転掃滅。
人間が扱うべきものではないし、高位存在のみに許されているのがよくわかる。
“アール、今からオレやネフィラさんの状態を精密に観察していてくれるか。
きみのこれからにも関わることだ”
“わかった、今までにないほど緻密に精視査しよう”
アールは瞬時に返してくる。
この魂存在である優れた戦術AIは、オレがこれから何をしようとしているのか既にわかっているのだろう。
ネフィラさん……
この力を使ったら、彼女のこれからの人生、やはりオレが責任をもつべきなんだろうな。
永遠にも等しい、気の遠くなるような時間……
オレの上から見つめる高位の自己は、語りかけることはないが、無言の意識を伝えてくる。
“その時間さえ、お前は自由にできるのだ。
私がそうしたように、時の計りはお前の意思の下にある”
オレは、伝わってきた内容を深く咀嚼し始める。
ミーコとの明日、あの子とした約束…… 二人の時間も作れそうだ。
オレはアールの船躯を見上げる。
ミーコ、もう少し待っていてくれ。
オレはネフィラを見つめる。
彼女はそれまで知っているネフィラであり、何も変わっていない。
「ではネフィラさん…… 早速ですが、始めましょうか」
ネフィラは再びオレを抱きしめて、頬を強く寄せてくる。
それはいつものスキンシップを超えた、愛する者への明らかなる証だった。
ネフィラは、けだるそうに瞼を開く。
ひどく不機嫌で不快そうな顔だったが、どうやら成功したようだ。
聞いたわけではなかったが、オレは死者を蘇らせる方法を知っていた。
まるであたりまえの日常動作をするように。
用意したのは、復活する身体を横たえる石台と邪魔されない空間。
ここには、必要なもの全てが完全に揃っている。
ネフィラは魂の実体として存在していたので、そのままオレの身体を構成する素体を分けて彼女に受肉させた。
オレは、眠っている彼女に手を当てていただけだが。
彼女は肩ひじをついてゆっくりと起き上がると、肉体があるのを確認するように、両手で顔を覆ってみせる。
「一洸さん…… わたし、おかしくない?」
ネフィラの不機嫌そうな顔は徐々に生気を取り戻し、頬にはうっすらと赤みが増してきている。
オレは彼女の完璧なまでに美しい顔が間違いなく元通りであることをわかってもらうために、思いっきりの笑顔で応える。
「おかえりなさい、大魔導士」
「……ネフィラって呼んで、あなたにはそう呼ばれたいの。
ね、一洸」
オレは少しびっくりしたように引こうとしたが、ネフィラはオレを捕まえるとしっかりと抱擁をはじめ、オレはそのまま受け入れる。
彼女のうなじから香るのは、ネフィラの生きた身体から醸し出される、未だ嗅いだことのない匂いだった。
エルフのフェロモンなのか…… これに抗える存在は、そういないだろうな。
「もう一度生まれ変われたなら、まずこうしようと思ってたの……」
ネフィラは両手をオレの背中に回すと優しく力をいれて引き寄せ、オレも自然に彼女を抱きしめる。
いつもの彼女の動作だが、この時のネフィラは、動作を一つ一つ噛みしめているようだった。
もう何度も感じた彼女のか細さと柔らかさが、生きた温かみをもって伝わってくる。
今、大魔導士ネフィラは血肉を持った、完璧に美しい女性としてオレの腕の中にあった。
「一洸、こうしてあなたの熱を生で…… 私の生きた身体で感じることができるなんて、言葉がないわ……
ああっ、わたし今…… 自分の身体であなたを感じてるのよ。
わたし、わたし……
お願い、もう少しこのままでいさせて」
彼女の長い耳が、自分の頬をしっかりと押さえつけるように触れてくる。
以前はなかった感覚……
今現在のオレ自身が、この人を受け容れることを定められたかのように感じてしまっている。
そうなるだろう、こうなっていくだろうという、不思議な予知感覚が今、確かにオレの中にあった。




