第242話 最後の瞬間
“だが……
どうしても私が必要だというなら、その考えが間違っているということを理解させるために、お前たちの要求を叶えよう”
こんなにもあっさりと、古のものが彼らの要求を受け入れるというのか。
古のものが、オレの意識に向かって話しかけてきた。
“一洸、私はお前の管理する空間…… あそこに、可能性の種を見出したのだ。
我を受け入れ、我となれ”
は?
何を言っているのだろう、オレは古のものが言う内容が全く頭に入ってこず、咀嚼しようとする意識が働かない。
オレの心の中にいるバルバルスが、小さく頷いているのが感じられた。
彼はわかっているようだ。
だが、オレはまだ誰かの話を遠くで雑音のように聞きながら、まるで理解していない子供のように佇んでいる。
“一洸…… これから言うことをよく聞いてくれ。
君の中に、あの古の魂を受け入れる。
魂の一部を分けて、君として生きていくということだ。
アメノムラクモの力を使えばそれができる。
この神威の剣…… 神を殺す以外の、もう一つの力だ”
オレは彼の声を聞いて、古のものがやろうとしていることがやっと掴めてきた。
“いにしえ様、私はバルバルス、あなたと夢の中で遊戯の相手をさせていただいたものです”
見えたわけではなかったが、古のものが口を開けて頷いたイメージが流れ込んできた。
オレもこの世界に慣れてきたものだ、こんなことができるようになるとは。
“私が所有していた神威の剣、アメノムラクモの力で、あなたのおっしゃった“爽酷清”ではない、もう一つの術“転掃滅”を実行することができます。
あなたが以前行った方法とは別のものになりますが……
この一洸の魂は、死んだ後もすぐに帰する場所へは行かないはずです。
その間に、新たなる身体を与えてください”
バルバルスは、オレにアメノムラクモを手に取るように促した。
転掃滅?
初めて聞く名称だが、バルバルスが知っているということはつまり……
バルバルスと古のものが、互いに通じあう方法で対話しているのが、今のオレにはぼんやりと感じられた。
バルバルスが話しかけてくる。
“一洸、これを使って…… きみは死ぬ。
そして、古のものの身体の素材を持って蘇ることになる”
オレは深く、大きく、そしてゆっくりと深呼吸をした。
このコックピットの中の酸素がなくなってしまうのではないかと思えるほどに。
最後はハードな人生だったな、随分短かったけど。
古のものが動きながら、オレに意識を流してきた。
“聞け、一洸よ……
お前は私となり、これまで通りの自意識で生きていくのだ。
私の一部はこの蟲を操るものたちと、二度と私の本意を妨げないよう、向こうの世界へ移行する。
自分たちの行為の本質が、どれほど愚かだったかを知らしめるためにもな。
お前はこれまで通り生きていくといい、私の力がそのまま使えるだろう。
私はお前の中の高次の自己として静かに生きていく……
気にすることはない、新しいお前の身体は私の素体から出来ていることになる、それだけだ”
それだけって、簡単に言いましたか。
古のものは、バルバルスが提示した“転掃滅”を行うことを躊躇っているオレに伝えてきた。
全てを消し去り、新しい宇宙を創る時に用いる爽酷清とは違って、古のものより以前の存在が行ったことのあるものだろう。
現在の身体を支配していた“神”と入れ替わった過去だ。
オレが、古のものに…… 新しいオレの身体は、古のものから出来上がると。
“私の力がそのまま使える”
古のものの力、オレが……
いずれにしろ、選択肢はないようだ。
ここで躊躇えば、この星と世界は終わる。
みんなの生活も、魂も、オレとミーコの明日も……
で、どうすれば? とバルバルスに問いかけようとしたとき、彼が思念で古のものと引き続き会話しているのがわかった。
古のものは、まるでオレの問いかけに気づいたように話をしてくる。
“一洸、お前は今入っている身体を終わらせなければならない。
私の素材を用いて再生するのに、その亡骸を使うことになる。
案ずるな、恐れることはない”
古のものの声は、それまでの存在の大きさを感じさせないほどに優しく感じた。
高位知性種のバトラー型デバイスが一斉に動き出す。
阿頼耶識から突き出た腕を、裂け目ごと包むように覆い始める。
オレの中でバルバルスが頷いているのが分かった。
“一洸、古のものとのやりとりは終わったよ……
君はアメノムラクモを使って、ここで死ぬ。
その魂は、君が本来あるべき場所へと還っていく。
そこがどこになるのかは、私にはわからない。
ただ蘇った時は、君の身体は古のものの素材を使って再生成されている。
姿かたちは元通りだが、造られている材料は全く違ったものだ”
心の準備ができていないオレを、優しく諭すように微笑んでいるバルバルス。
“全てが終わったら、私のところに来てくれ。
勿論、来れたらでいいが……
この後のことを話そう”
そうですか、やるしかないんですか……
オレはいつものように深呼吸をする。
どんなに腹が座っていようと、こんなことをあっさりできるほどオレは強くもないし、度胸もないし、人間が出来ているわけでもない。
ま、いいか。
恨み言は、死んだ後に三途の川あたりで愚痴ろう……
オレはアメノムラクモを取り出し、柄をメインコンソールに当てて切っ先を胸に当てると、思いっきり身を前に出した。
神威の剣は胸を貫通し、オレは息が出来なくなる。
死ぬほど熱い感覚が胸の中心にあったが、その瞬間は不思議と苦しくはない。
心…… 思いの幹が身体から離れていくのをゆっくりと感じている、恐らくは最初で最後の感覚があった。
みんな…… これでよかったんだよな、オレはみんなを救いたいし、救われたいし、ミーコと逢いたいし、ネフィラさんも……
オレは……
“進化の旨味とはな、なにより可能性の大きさにある。
それは未熟で、愚かで、無秩序であればあるほど、甘美なのだ”
最後の瞬間、古のものがオレの心に囁いて笑ったような気がした。
だが、オレの意識がそれを確かめることは出来ないようだ。
オレは深く、深く、意識の底に落ちて行った。




