第233話 賭け
起き上がり始めた古のもの。
オレはここで、阿頼耶識から離れるべきか迷っている。
バルバルスは今、オレの身体の魂の領域を押し広げ、心の半分を占有している。
こうしていてもよくわかる、まるで自分の中にもう一人別の誰かがいる感覚。
古のものは、破ってはいけない閾を引き裂いて阿頼耶識から出ようとしている。
実行されてしまえば恐らく、二度とこの思念の海に戻ることはないだろう。
もしも出たら最後、認知できる存在全ての消滅を意味するのが直感でわかった。
“高位知性種、君たちの考えていること、目的もよくわかっている……
だが古のものは、君たちの考えに合わせるつもりはないみたいだな”
あっさりと他人事のように、バルバルスは高位知性種に伝えた。
冷たすぎるともとれる内容だが、これから起こりうるだろう未来からすれば、優しさに溢れていると思わざるを得ない。
“始祖よ…… どうか、我々とともにおいで下さい……
あなたこそ我々の…… いや、この宇宙の生命の種なのだ……
あなたをお迎えして…… 我々は……”
高位知性種はバルバルスの提言を無視し、哀願するかのうように古のものに言い放つ。
古のものは、ただ力を揮った。
それは今まで見た剛力で圧搾する一方的なものというより、まさに神なるもののみが行使できる力。
手が薙いだ先にある高位知性種のデバイスは、しかし位相差空間に存在していたため、神なる力の影響を受けない。
何故、惑星の上でこの力を揮わなかったのか。
何故、オレやみんながいる前でこの力を使わなかったのか。
オレは今、それがわかったような気がした。
抗ってはいけない存在、決して触れてはいけないもの……
もしも呼起こそうものなら、その責を負わなければならない。
たとえそれが死であっても。
高位知性種、彼らも自分たちの次元上昇と存続を願ってこその、今回の動きだった。
どんなに進化した存在であっても、その先を目指して生き続けなければならない。
進化こそ存在する意義そのものであることを、自らに示すために……
知性種のデバイスは、何事もなかったかのように空間に佇み続けている。
さらに高位知性種が何か言うのが聞こえたが、歪んだ空間の軋みが発する音に遮られ、全ては把握できない。
いずれにしろこのままではまずい。
古のものが出てきてしまうのをなんとか抑えねば。
“一洸…… ネクスターナルと連邦の艦隊数百隻が、今発生している特異点の外周を覆っている。
不測の事態に備えていると思われる”
アールが伝えてきた。
この場合、彼らに助力を要請したとして、どう収めればいいのだろうか。
むしろ被害が広がるばかりではないか。
“アール、もしアールならこんな時どうする?”
今聞くべき誰か、それはアールしかあるまい。
すぐに答えが返ってきた。
“私と一洸の持ちうる分母は違うので、これは回答にはならないかもしれない。
私の持ちうる力、係累も含めて全力を掲げるとしたら……
古のものが空間を出てきたタイミングで、高位知性種の電磁ネットで古のものを包含し、ネクスターナルの力を借りて別の次元へジャンプさせるだろう”
そうか。
ネクスターナルの力さえ、行動のポテンシャルに入っているわけだな。
だが、もし失敗したら……
仮に別の次元に飛ばしたとしても、古のものが消滅するわけではない。
消滅させることができない以上、危機が終わることはないのだ。
こうなってみて、オレは“もしも”を考えて、温めていた案があった。
だが、それはあまりにもリスクが大きすぎるし、失敗は許されない。
もし失敗したら…… オレも含めて、全て廃塵に帰すからだ。
アールの案のリスク、オレのものと大差はないな。
オレは“0”を呼び出しておいたまま、しばらく考える。
だがもし、もしこの提案が可能なら……
その確認をしなければならない。
“バルバルスさん…… 一つ考えがあります。
オレの中にいるままで結構です、保管域に一緒に行っていただくことは可能ですか?”
やはり間があった。
こんなことは、彼の経験の中でも勿論ないことだろう。
意識を憑依させたまま、異次元転移を行う。
それをやったことによる弊害もまた、未知のものだ。
“……君は、やれると思うかい?”
“やってみなければわかりませんが…… 多分、可能だと思います”
オレは“0”の手を握ると、愛機のコックピットから保管域への転移動作に移った。
時間さえ止めてしまえば、この状態から始められる。
他人の意識を取り込んだままの転移……
これもまた、この世界ならではだ。




