第137話 大魔王バルバルス
オレは確かに、彼の足元に向けて魂意鋲を打った。
それがオレが気を失う前に憶えていた全てだ。
「おにいちゃん…… 起きてよぉ、お願い」
ミーコが泣いているのがわかったが、オレは目を開けることが出来なかった。
まるで神経組織が目覚めることに怯えているかのように、オレを臥せたままにしている。
オレの胸に顔をあてて泣いているのがミーコ……
右手にひんやりとした感触があった。
ネフィラとは違う感じだ。
これは誰だろう。
オレは出来るだけ苦悶の表情を見せないように、勇気を出して目を開けた。
バラムか。
そうだよな、あの後……
そうか、まだバトラーの中なんだ。
ミーコとバラムは、オレが死なないでいるのを確かめるように、身体に触れていてくれた。
特にバラムは体温が低いのだろうか、今のオレには助かる感触だ。
「……あの、オレは」
「一洸様、まだそのままになさってください。
大変な痛みだったのでしょう、お察しします」
ミーコはすすり泣きながらオレにしがみついている。
ハッチは閉じられ、360度スクリーンには闇の中にうっすらと光る氷の壁。
そうだ、うまくいったんだ。
「バラムさん、言付けは決まりましたか?」
みんなを収納し、オレは保管域に戻った。
バトラーから降り立ったオレを迎えたネフィラは心配そうにしていたが、オレの表情を見て何を達成したのか確信したようだ。
「……一洸さん、あなたやっぱり次の魔王かもしれないわ」
満面の笑みを浮かべるネフィラとオレのやり取りを見て、バラムの表情が和らいだ。
「一洸様…… バルバルス様へお伝えください。
“お待ちしてます、いつまでも”と」
「わかりました、確かに」
オレはみんなを見渡して、言った。
「ではみなさん、これからちょっと行ってきます。
少し時間がかかるかもしれませんが、状況が許せば、その後みんなも行けるかもしれません」
アンナが、そうか! の表情をした後、レイラがこの上なく心配そうな顔でオレをしっかりと見つめている。
「ちょっと行くってよぉ……」
保管域に残されたままにされるのを、反射的に忌避しているのだろう。
そう言うリロメラをこずくようにミーコが言った。
「大丈夫だよ! おにいちゃん、大魔王様に会いに行くんだから!」
なんとリロメラまで心配そうな顔をしてくれた。
余程オレが戻らない可能性を危惧しているのだろう。
しかし行かねばならない。
オレは軽く手を上げ、封印の儀の空間に打った魂意鋲の手を目の前で出し、転移した。
「やあ、はじめまして。
私がバルバルスだ、本当に大変だったね」
大魔王バルバルスは気さく過ぎるほど親し気にもうひとつの手を引いて、オレに話しかけ始めた。
背丈はベリアルほどだろうか、長身で白銀の長髪が眩しいほどだ。
たとえエルフであったとしてもこれほどの美男子はそういないのではないか、人間である自分が気の毒になるほどの美貌。
この見かけで恐らくは数百歳なのだろう、自分など子供ですらないのかもしれない。
「どうも、杉本一洸です…… マルコシアスさんを看取った後、成行きで魔元帥を拝命しました」
バルバルスは、小さく頷きを繰り返しながら僅かに表情を曇らせた。
「マルコシアス…… そうか、彼も随分長いこと頑張ってくれたが…… そうだったか」
オレはここに至る経緯を、あまり簡略化せずに彼に話した。
その際、ネフィラのことは伏せておいた。
彼女のことを話すのはもう少し後の方がいい、そう直感したからだ。
彼は根気強く、しかし興味深くオレの話を最後まで聞いてくれた。
「ここからはね、ある程度外界の状況がわかるんだ。
個別の細かい状況までは推測するしかないが……
しばらく前から外の世界が騒がしいのは把握していたよ」
このバルバルスがいる封印の儀の空間、保管域との違いを言うなら、“色”だろうか。
クリーム色の保管域とは違い、ここの色は薄暗い紫に近かった。
「“異跳界”のことは聞きました。
この空間は…… 魔界に接続していた権能により維持されている、特異空間という理解でいいんですか?」
「そうだ、基本的にきみの権能とそう変わらないよ」
バルバルスは、オレが打った魂意鋲の場所を示してそう言った。
「ここに入るには闇魔法を使うか、中から権能者が手を伸ばすか、そのいずれかしかないんだ、君がやってるみたいにね。
ここに入ったのは、私以外では君が初めてだよ一洸」
「ここはね…… 特に名称はないんだが、ぼくは“守護者の間”と呼んでいる。
どこにも属さない、完全に独立した次元世界なんだ。
“封印の儀”などと呼ばれているが、これは眠りにつくものを起こさないための、外界から完全に隔絶された空間で、眠り続ける古のものに夢を見つづけてもらうためのものさ」
「夢を見続ける?」
「そうだよ、起こさないための最も確実な方法」
彼はそう言うと、オレを促すように歩き始める。
しばらく行くと砦のような施設があり、その入り口に広いテーブルが据えてあった。
「……これは」
バルバルスは文字盤の上でチェスのようなものをやっている、うっすらとした漆黒の影を指した。
その影はオレの存在など気づいていないように、盤面を見つめている。
「ゲームさ」
「ゲーム?」
バルバルスはそう言うと、駒を一つ動かした。
黒い影は微かに動くと、低い唸りのような振動を続ける。
「こうして、彼が起きないように楽しい夢を見続けてもらっているんだ。
そして、このゲームをすることによって付随する役得がある」
古のものの復活を抑える、それがこの夢を見続けさせるということだと……
オレは肩の力が思いっきり抜けるのを感じた。
バルバルスは微笑むと盤に向かって腕を組んだ。
「人間も、魔族も、魔獣も、それ以外のもの全てが、私の一挙手にかかっているわけさ」
「地上では…… この古のものが暴れて、人間や魔族の生活が踏みにじられようとしています。
このままこの連中を自由にさせるわけにはいかないんです」
バルバルスは、オレの言葉を聞いた後、また駒を動かした。
黒い影は考えているようだ、動きが止まってしまった。
「君が代わりに、“いにしえ”の相手をしてくれるのかい?
大魔王の仕事も古のものの復活阻止も、魔元帥とそんなに変わらないよ」
彼はそう言うと、心地よい声で笑った。
それは本心から絞り出される、脱力しきった笑い声だった。
「この役得のおかげでね、数百年など人間の数年にもならないのさ。
ただし私も君と思ってることは同じだよ、時間ほど大切なものは無いって」
「……なぜわかるのです、テレパシーですか?」
「いや、でもそんなことは当たり前のようにわかるようになるさ、長く生きてるというだけだけでね」
「その証拠は、ほら君の目の前にいるよ」
バルバルスはにっこりと笑った。
それだけでよかった。
なぜ、バルバルスが古のもの復活の抑制に全精力を傾注したかをオレは理解した。
この次元空間の特性、“保管域”とそう変わらないのだろう。
時間経過がないのだ、全ての力が温存され、なにかを永続的に管理したい場合、これほど有効な手段はあり得ない。
ネクロノミコンにより時間の経過を無とした、不老不死で全時間域を自由に行き渡っている存在は既にあったということか。
その力を駆使する者にとって……
いやいかなる理由をもってしても、古のものの復活こそが大いなる災厄であった。
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