第8話
だが、物事は顕如の願い通りに進むどころか、真っ逆さまの状況に、鎮永尼がほくそ笑む状況にどんどんと転がって行った。
本願寺からの千僧供養の書簡を受け取った延暦寺は、それこそ二つ返事で、宗派合同での千僧供養を執り行おうと応諾して、行動を開始した。
延暦寺内でも、昨今の京の法華宗徒の行動から、法華宗に対する憤懣は高まっていたが、かつてとは異なっていて延暦寺は武装解除されており、かつての法華一揆のような行動は執れなくなっている。
だからこそ、延暦寺にしてみれば、本願寺の書簡は共闘して法華宗を困らせてやろうという呼びかけに他ならず、この共闘に乗って憤懣を晴らそう、という行動に至ったのだ。
そして、延暦寺で仏道修行をされている今上天皇陛下の皇子の覚恕様から、亡き父陛下の供養の一環として千僧供養を是非とも行いたいとのお言葉があった。
延暦寺はそのお言葉に感動して、その音頭を取りたい、と朝廷に上奏したのだ。
顕如はこうなった以上、自分が隠れた火付け役であることもあり、その上奏に本願寺も強く賛同する、他の宗派も千僧供養に挙って参加しようと言わざるを得なかった。
この事態に至って、当然のことながら、千僧供養への参加を相次いで真言、律、禅、浄土、時宗の宗派も表明する事態になっていき、朝廷も仏教界からそのような声が挙がる以上、大喪の礼の手順を調整して、千僧供養を執り行おうという方向に転がり出したが。
(そのために毛利隆元らは、この急な手順変更に伴う外国の大使等の大喪の礼への参列についての日程調整等に更に苦労、奔走させられる羽目になった。
そして、出家遁世したい、とますます陰で隆元がこぼす事態になった)
千僧供養への対応に、法華宗の主な僧侶は頭を抱え込んでしまった。
「弱った」
「不受不施は法華の根本教義、揺るがしにすることはできぬ」
「しかし、京での法華禁制を解いて法華の寺の再興を、今上天皇陛下がお認めになられたのも事実。その供養の一環としての千僧供養に、法華が参加しない、というのは」
「確かに世人は納得しまい。千僧供養への参加を拒否するとは、帝の御恩に法華は報いないのか、法華は恩知らずだ、と世人に謗られる」
「だが、その一方で、千僧供養への参加を受け入れては、一般信徒が動揺するぞ。これまで散々に他宗派を排撃してきて、不受不施を説いていたのは何だったのだ、ということになる。千僧供養に参加しては、不受不施に反することになる」
「確かに弱ったな」
とは言え、ことが事だけに多数派は現実に妥協して、今上天皇陛下の大喪の礼の中で執り行われる千僧供養に参加するという方向に流れたが。
(これは京においては帝を悼む声が高く、多数派としてはその声をどうにも無視できなかったこと。
また、事情が事情だけに、今回限りの帝に対する特例であると説明すれば、一般信徒も納得するだろう、という楽観的な考えがあったのも原因である)
少数派は猛反発した。
「不受不施を破るとは、法華の教えを破ること」
「断じて千僧供養に参加を拒否すべきである」
終には、
「千僧供養に参加しては、外国の大使等もその場におられる以上、異国にまで我が法華は恥辱を晒すことになりますぞ」
とまで叫ぶようになった。
しかし、最終的には多数派の声と力が勝り、この度は今回限りの特例ということで、千僧供養には法華宗も参加することで落着して京の一般信徒にもその旨を説明して納得させたのだが。
延暦寺と本願寺(顕如は動きたくなかったが、鎮永尼が顕如を叱咤激励して、最後には後見人の地位を振りかざして顕如が動かざるを得なくした)の謀略は、まだ完全には終わっておらず、二の矢が準備万端に整えられていた。
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