覚悟を完了させなさいっ!
「……フフ、やるじゃない」
鼠の使い魔を三体ほど送り込んで、それぞれ違う場面を同時に鑑賞するオ・カマーはどこぞの剣士と同じ表情を作った。そして、これ以上は蛇足かしらと指を鳴らして使い魔を消していく。
少年達は皆、酒場で二、三人ほど見繕い――自分達の話を聞いてもらったら感想を貰って、早々に切り上げて道具屋に駆け込んでいくのだろう。
仲間にばったり出くわしても驚かず、むしろ納得したように頷き合い、残りの駄賃で回復薬を買えるだけ買う。その光景はオ・カマーの瞼の裏で、ありありと浮かんでいた。
「まずは第一関門、クリアかしら?」
オ・カマーは助けない。
無論、生き死にに関わるような怪我なら介入するだろう。だが基本、助ける素振りすら見せなかった。何もしないで助かるなど、最も恐れるべき心持ちに他ならない。……が、内心ドッキドキのシーンがいくつもあったのは内緒である。
オ・カマーは口を開かない。
やるべきことをやれと、メニューを開示し、淡々とこなさせる。これは仕事の基本であるがゆえの措置だった。最初から楽しい仕事など遊びと一緒だ。真剣味を薄れさせ、やがて死に至る刃にぶち当たると唾棄する。泣き言は寝言と一緒と、真面目な質問以外は一切受け付けなかった。
オ・カマーは意義を与えない。
それは少年達が選ぶこと。彼らが決めること。少年は、少女達は、オカマの操り人形などではない。利便性の問題で三人をA・B・Cと分けて呼び、他人の関心など所詮、その程度だと、自分達の立ち位置を否応なく知らしめた。それが嫌なら、登り詰めるしかない。どれほど滑稽な名前であろうと、聞けば震え上がらせる程の高みに登り詰めた冒険者が居るように。
少年達が回復薬を買い漁ったのは、修行中に失っていく体力を取り戻す為――これは残った駄賃で、いいや彼ら自身が決めた金銭配分で、時間を一秒でも無駄にしないための投資。助言が欲しいのなら、与えられた情報を十全に理解しなければ役に立たない。当然、無為にしたならオ・カマーの怒りを買うだろう。そうした状況を想定しなければならないのだ。
何より―――オ・カマーとの修行は二週間だけと予め決められている。今頃、辛いだけの修行中には思いも依らなかった鍛錬期間の、余りの短さに絶句している頃だ。彼らは残り八日間を、死に物狂いで有意義にしなければならないのだ。
ここで踏ん張れるか、否か。
この体験を自身の血肉に出来るのか、否か。
その成否で少年達の未来が決まると言っても過言では無い。
正確な情報一つ買うにしても、金が要る。後ろ盾が要る。
千切れかけた四肢を手遅れになる前に癒やすには、莫大な金が要る。仲介が要る。
人生を笑って歩むためにも、生き残り続け、稼ぎ続け、挑み続けるしかない。そんなことは――
今まで誰も教えてくれなかった事だろう。
皆、それまでの人生で、泣きながら覚えていくものなのだから。
それを意識した時、それを教えてもらえる環境に立っている事実が、今、自分達がどれほどの幸運を掴んでいるのかを少年達は識るのだ。圧倒的に恵まれた環境を呆気なく手放した人間を誰が拾ってくれるというのか。いいや、絶対に助けてはくれないと。彼らは未だ、名も実績も宛もない、借りを与えても返してもらえるかどうかも定かではない、ただの子供。何も為していない、ちっぽけな人間に他ならない。
だからこそ、立ち上がるべきは今。
ギルドマスターの善意で、凄腕の冒険者を無償で動かせる今しか無いのだ!
そして七日目―― 一日も無駄にしてなるものかと、面構えが変わっていった少年達は半日を費やしてダンジョンに潜り、金を稼ぎ、更にそれを回復薬に変えていた。
彼らはその過程で新たな事実に気付いていく。自分達の稼ぎ、ダンジョンの最上階をウロウロしている程度では安い回復薬ですら計画を立案し、効率化しなければ買い続けることもままならないのだと。
ならば――と、少ない元手でも何とかするために、ギルドの蔵書室を漁って薬草学を齧った。
傷を癒やす聖癒術は片方の女の子が習得していたが、まだまだ精神集中の鍛錬が必須で、とても実戦じゃ使え無いことが判明した。最初の日はとても落ち込んで、沼に沈むかのように寝入ったのに、溢れ出た悔しさが枕を濡らした程だった。もう一人の女の子が使えると豪語していた攻撃魔法も同様の無様を晒し、既に公開処刑済みである。
それもあって――何時でも何処でも便利な魔法が使えるなど夢のまた夢だと全員が理解していた。
披露困憊の状況ではダンジョンの外に出るまで、最弱安定の最上階ですら何度もモンスターと戦わないといけない。焦ればミスを生み、代償として新たな傷が増える。そんな状態で無理に魔法を使わせれば、術者は即座にぶっ倒れてしまう。
結果、担がないといけない重い荷物が一つ増えるだけ。気絶した仲間を護りながら移動し、敵が現れれば無我夢中で剣を振り回す羽目になり、もうそれだけで一日が終わってしまう。それなら最初から魔法を使うことを放棄して、体力を増やす基礎練習を行い、三人でモンスターを囲んで殴った方が遥かに有意義だということに気づいたのは、修行の三日目が過ぎた頃だった。
そうした苦い経験があってか―――万全の状態で戦う時に、戦闘中のアドバイスを貰えないかとオ・カマーに頼み込み、しかしてあっさりと受け入れられる。
無論、ダンジョンに潜るまでの鍛錬は一切手を抜かない。むしろメニューを増やされた。オ・カマーはオカマの癖に鬼畜モンだと喉元まで文句が出掛かったが、少年達はぐっと堪えた。誰だって命が惜しい。少なくとも、自分達より遥かに強そうな人達が、揃いも揃って青褪める人の悋気なんて蒙りたくない。
オ・カマーに喧嘩を売りに行ったどこぞの馬鹿が、殴られた衝撃で宿屋の二階から窓を突き破って空を錐揉み回転しながら舞っていく光景を一度でも目にしたなら、誰もが心にそう刻む。しかも当人、超絶眠そうに欠伸をしながら宿を出てくるのだ。本気で怒ったオ・カマーとか、一生消えないトラウマを植え付けられそうで絶対に出現させたくない。その意見は図らずともパーティ全員の共通認識で一致していた。
「さっ、今日の修行を始めるわよ?」
「「「はいっ!!」」」
辛くて、苦しくて、けれど強さを得ていく実感だけは確かな日々が続いていく。
――― 八日目は鍛錬をこなした後、回復薬をがぶ飲みして万全の体調で戦い続ける。自分達にこれほどの力があったのかと錯覚するほどの、見違える動きが出来た。同時に、披露困憊した状態では戦力は十分の一以下になるということも理解した。
――― 九日目は鍛錬のメニューが半分になった。楽は楽だが、躰が重いのは変わらない。出来るだけ無駄の無い、疲れにくい動きを披露して貰い、今出来る最適解を脳内に描きながらダンジョンで戦い続けた。
――― 十日目は道具の目利きを指導してもらいながら、ダンジョンで戦った。斬れる部位、武器として使える箇所、鈍器としての使い途、投げナイフの修練。ありとあらゆる道具を使えるようになるべきだと、知識だけであれ、全員があらゆる状況で何かしらの手段を持つべきだと教わった。
――― 十一日目は魔法の効率化を教わった。今、必要なのは理論ではなく、実戦でどれほど役に立たせるか。そして戦いながら、如何にして発動させるか。呼吸、身振り手振り、足運びに物音の強弱にすら魔力を起動させる式として通じるのだと。歌や言霊を媒介としない無詠唱は強力で、だからこそ敵に使われた時、悪用された時を常日頃から考えろと、座学を叩き込まれた。
――― 十二日目は鍛錬を当初の八割ほどこなした後、盾の使い方を教わった。どのタイミングで、どの角度なら衝撃を反らせるのか、ぶりかえす疲労と痛みの強弱で躰に刻み込んだ。痛みが少なく、すぐに動ける体制で、なおかつ敵の隙を見通せるのが最良だと識った。
――― 十三日目は鍛錬もそこそこに、木の棒を持ったオ・カマーが相手になった。十二分に手加減してくれている筈なのに、まるで歯が立たない。僅かでも無駄な動きがあれば、力んだ攻撃をすれば、鋭いカウンターが返ってくる。
心は熱くても、頭は冷やせと、再三冷静になれと注意された。誰が、ではない。パーティ全員がそれを出来る必要があるのだと。誰かの視野が狭くなったのなら、誰かが視野を広く保って、足りない部分を補ってやらなければならないと。一人が殴りかかったなら、残った二人はサポートと指示を出さなければならないのだと。この日、教わったのはパーティとしての連携だった。
――― 十四日目は鍛錬を全くせず、ダンジョンに突撃した。万全の体調で順調に進みながらも、時折怖気を感じて動きが一瞬止まる。少年達の予感は引率するオ・カマー誘発されたものだったが、その数瞬後には必ず恐ろしい攻撃や危機が迫ってきた。調子に乗れば乗るほど、痛い目を見てしまう。
少年達は帰るまでに何十回と冷や汗をかいて、どれだけ慢心していたかを識った。体調が万全の時の方が気が抜けていると。ロクに躰が動かなかった頃の方が余程集中していたと。同時に、手負いの獣はそれだ。虎視眈々と、少年達の喉笛を噛み千切る機会を待っているのだと、告げられた。
そして当初から決められた通りの、十四日目の修行を終えた夜――。
「明日からアンタ達は、一端の冒険者となる。つまり、アタシらの同業者ってこと。でもまだまだ、足元どころか爪先にすら届いてないヒヨッコ。それが悔しいのなら、高みを目指して精進し続けることね。それと―――」
師匠から、教えなかった筈の名前を、一人一人フルネームで呼ばれていく。
そして今後役立つであろうアドバイスと、激励の言葉を優しく告げられて。
――― 少年は、少女達は、滂沱の涙を流した。
与えられた時間を無駄にしなかった、この人に認められたんだ、僕達はやり抜いたんだ、と。
その胸を満たす気持ちは、頬を濡らす涙の暖かさは、どこまでも、どこまでも、誇りと、充足感に満ちていた。