アタシの修行は週休二日制よ!!
少年少女達の修行は文字通り、過酷を極めた。
どれほど辛いかというと――まず安物の剣と盾を持たせ、素振りをさせ、マラソンをさせ、筋トレさせ、ダンジョンに潜らせ、モンスターと戦わせられる。
なるほど、こうして事実を列挙すれば普通の修行だと思う。これなら簡単に達成出来そうだと。誰もがそう思ったことだろう。最初に話を聞かされた少年達もそう思っていた。
だが、剣が持ち上がらないほどに疲弊させ、歩くことすら困難なほど走らせ、全身が震えて痛みがずっと引かない――そんな状態でダンジョンに突撃させていたと聞けば正気を疑うのではないか?
無論、少年達が戦っているのはダンジョンの最下層ではない。最上階の、最も楽なエリアだ。十歳に満たない未熟な子供でも、然るべき準備と適切に動かせる躰があったなら、十分踏破可能なダンジョン一階だ。
そこにオ・カマーは彼らを放り込んだ。頭の血のめぐりだけ良くなるように施したが、その他一切、治癒すら行わない。
三食十分な栄養を摂取させ、睡眠も八時間取らせる。だが怪我をしようと、血反吐をぶちまけようと、致命傷でないと判断したら手を出さない。出口までの距離が途方もなく遠大に感じられるほどの苦痛を少年達は味わっていた。
まともに戦えない状況で、死線を潜らせる。最も安全な環境で、最も困難な試練を与えられていた。
これはオ・カマーが意図的に、パーティの大半が戦闘不能に陥った時の状況を再現したからである。
同時に金のない、勇気と無謀を履き違えた愚かな冒険者が如何にして死んでいくのか、その工程をも追体験させていた。
血が足りない。躰が震えて力が入らない。武器はおろか身につけた薬草入れすら重い。仲間はみんな死んだような眼をしていて、今にも泣き出しそうだった。そして何より、どんな状況でも助けは来ない。
泣き言は三日目で、無駄話は五日で途切れた。考えることが億劫になり、無駄なことを避けるようになっていく。
『泥を啜ってでも、恥辱に塗れても、立ち上がる為に』
『各々の人生に勝つための修行―――』
五日目の修行が終わった夜、不意に少年の眦から涙が零れ落ちて、頬を濡らした。
考える時間が出来たということは、泥に沈むように眠ることなく、眼を開いている時間を得たということは、紛れもない成長の証。
同世代が聞いたら絶句するであろう環境に適応し、何より彼ら自信が望み、頼み、求めた、戦い抜くための道筋を一歩踏み出したという証明だった。
しかし、少年の胸は晴れない。
辛いとしか感じられなかったのは、歳を考慮すれば当然のことでもある。
それでも眼を閉じれば睡魔に誘われる。少年は、そのまま泥のように眠った。
――― 修行を開始して六日目の朝、オ・カマーは彼らが借りている安宿の前で待ち構え、それぞれ両手を差し出すよう促した。少年達がおずおずと手でお椀を形作ると、ジャラジャラと金物の音がする布袋を一人ずつ渡していく。
「アタシの修行は週休二日制! だから今日と明日は休みよっ!! で、これは小遣いでもあるけれど……一つ、指示を出すわ」
「は、はい」
連日の修行で躰はうまく動かないが、返事だけはキチンと出来た。
「アンタ達が今やっている修行、その客観的な評価。それを調査してきなさい」
「……え?」
「辛くて苦しくて『どうしてこんなことに?』そう思ったことは無い? 一度も無かったことは、それこそ無いでしょう? それはアタシが一番知っているわ。で、それが本当に正しいコトだったのか、ただの虐めじゃないのか。その真偽を確かめてきなさいと、そう言っているのよ」
その情報料、相手から話を引き出す為の手間賃。それが今、手渡した金だとオ・カマーは告げる。
「情報収集をどの程度続けて、どこで打ち切るかはアンタ達の自由。残った金はすべて好きに使いなさい。ただし、全員別々の酒場で情報を集めるように。それが基本よ」
「……わかりました」
三人ともふらふらとした足取りだったのをちょっと不憫に思ったのか、オ・カマーは無詠唱で持続回復の聖癒術を施した。無論、秘密裏に。
休みだから疲れが少し取れたのかな? と、思わせる程度、その匙加減がこれまた難しいのだが。オ・カマーは難なく施していく。
「ふー、やれやれね」 と、オ・カマーは掻いてもいない汗を拭って気持ちを切り替えると、ルンルン気分で服屋に向かっていった。
「なにぃ? 話を聞かせてくれだぁ? あー……んだよ、銀貨? ほう、ちゃんと礼儀ってモンを知ってやが――ッ!?」
朝っぱらから迎え酒を飲んでいる連中をシカトして、少年は酒場の中でも背筋が伸びていて、強そうな雰囲気を持った剣士に声を掛けていった。無論、オ・カマーがくれた銀貨と一緒に、二つ折りにされた紙を差し出して。
高級紙を使い、無駄に精緻なオカマの絵が書かれた紙。そこにはオ・カマーの名前と、「ちゃんと正直に言わなかったら、ケツを掘りに行く」と死刑宣告に等しい脅迫文が添えられていた。とても丁寧で、流麗な文字で書かれているのがより一層の恐怖を誘う。
少なくとも目の前の男には絶大な効果があったようで、ブルブルと震えながら「な、何を聞きたいんだ?」と上目遣いで聞いてきた。オ・カマーの代理人とでも思われているのが少年にも理解出来て、口元が自然と引き攣っていった。
「実は――」
少年は総てを。自分の心情も含めた洗い浚いを吐き出し、剣士に聞いてもらった。
「……鬼か、アイツは」
その返しの一言目がそれだった。少年も首を縦に振って激しく同意する。だが何故か、剣士から二言目が出てこない。いや、待てよ――と、表情が目まぐるしく変わっていき、やがて神妙な面持ちになると、
「……強くなるヤリ方は人それぞれだ。俺は悪いとは言わねぇ。人によっちゃ顔を顰めるだろうよ。怒るかもしれねぇ。だが……」
本気で死なせたくねぇなら、何があっても後悔させたくねぇなら、そういう方法もあるな、と。渋々オ・カマーを認めるような言葉が剣士から出てきた。ベタ褒めはしたくないし、出来ないが、その方法は認めざるを得ない、と。
これが何年も付き合うような関係なら、そのような性急な真似は絶対にしない。意気込みを試すだけなら、濃厚な殺気でもぶつけて、心を圧し折ろうとするやり方の方が余程手っ取り早いと。
だが――僅かな時間で、確かな成果を。
限りある条件下で、高い確率で達成させる為に。
お前たちの願いを叶えさせるために、という付帯条件なら。
「奴の方法は、アリだ」
地獄のような修行は無駄ではないと。
そうして費やした時間を無駄にするかどうかは、むしろお前自身の決断だと。剣士は少年に告げる。
「片腕が千切れながらも連携して戦う時がくるかもしれねぇ。気絶した仲間を背負いながら逃げなきゃいけねぇ時がくるかもしれねぇ。仲間を逃がす為に、糞強ぇ化物と一人でやり合わなきゃならねぇ時が来るかもしれねぇ。だがな、どんな時でも冷静に戦えなきゃ――冒険者なんぞやっていけねぇ」
剣士は……おもむろに過去の戦いを振り返り、今まで決して口にしてこなかった苦い思い出を語っていく。長い独白であり、同時に恥辱であり、後悔であった。それらを締めくくる言葉は何時も、
「お前は俺のように、なるんじゃねぇぞ」
その言葉を聞いた瞬間、少年の瞳が大きく見開かれた。
いつか来る、絶望的な戦いで――
お前も、仲間も、足掻いて死なない為の、訓練だと。
お前が連れて行くことを選んだ、戦友を殺させない為の修行だと。
如何なる強敵が待ち構えていようと、どれだけ苦しくて辛くても、戦い抜く為の苦難。
そう、いつか―――
泥水を啜ってでも、恥辱に塗れても、必ず立ち上がる為に……!!
少年は、生まれて初めて、他者が口にした言葉の重みを――
理解しようと、そう努めようと、何一つ見逃すまいと、瞳を大きく開いていく。それは、紛れもない戦士としての相貌。
たった数時間の会話で、確実に変わっていく少年の面構えを見て、剣士は嬉しそうに口元を緩めた。