ハンバーグ
さあ、ハンバーグを作ろう!
材料は挽肉と、タマネギ、それから塩とパン粉と、少しのスパイス。
忘れてはいけない、卵。割れてはいない、卵。
包丁はよく研いであるかな、まな板は清潔かな。手は洗ってあるかしら。
爪の間もきれいに洗わなければいけないね。爪の間にはよく、汚いものが残っている。
ほら、生きていればどうしたって、汚いものに触らなければいけないでしょう。それを引きはがすためか、それとも引き留めるためかわからないけれど、爪を立てるのね。
立てた分だけ、爪は汚いものに食い込む。そして、えぐり取ってしまう。
えぐり取った大きな醜さのうちの微かな醜さが、爪の間に残る。
それをきれいにしなきゃ。何を使えばきれいになるの、ブラシ? それとも爪楊枝?
ううん、もっと鋭く細いものでなければいけないかも。
うん、きれいになったね。きれいになったでしょう。きれいになったって言えばいいのよ。き・れ・い・に・な・っ・た。
おいしいハンバーグを作ろう!
ぴかぴか光る銀色のボールに、まずは何を入れようか。まな板でタマネギをみじん切りにしよう。
丸いタマネギを、半分に切って茶色い皮を剥こう。剥いても剥いても剥けちゃうの、タマネギって。どこまでが外側で、どこからが内側か曖昧な野菜。茶色? 白? 透明? 走る筋にそって、何層も巻かれた実。
まず半分のタマネギを二枚おろしに、それから縦に細く切レ目をいれて、横から切っていくと細かく切れる。細かく、細かく、すると、まるで、小さく、透き通った、小さな、目、みたい。
ざらざら入れて、銀色のボールに。塩入れちゃおう、水が出る。小さナたくさんの目から水。
パン粉とスパイスも入れちゃおう。パン粉って素晴らしいね。一度焼き上げたおいしいパンを、カラカラに乾かして、細かく砕いた。スパイスも同じ。成長させた植物を刈り取って、カラカラに乾かして、細かく砕いた。
一から作り上げて、ばらばらに壊して、また作る。繰り返し。
さあ、卵を割って。卵の一番面白いところは、完全に閉じていること。入口も出口も、口もない。もちろん手も足も、考える頭も。
でも、殻の中にはすべてがあるの──かもしれない。何も無いかも知れない。何もかもがあるカモしれない。それは、卵を割らなければわからない。
だから、卵を割るまでは、卵の中には永遠がある。えいえんにたゆたっていたいなら、たまごをわルべきではない。
ああ、けれど、おいしいハンバーグを作らなければいけない、あなたのために。
さあ、卵を割って、卵を割って、おそれないで、おびえないで、勇気を出して、卵を、あっ
なぁんだ、ただの卵だったね。
お待ちかねの、肉を入れましょう! ミンチにされた豚と牛の肉。
ボールから飛び出さないように、注意して優しくこねましょう。そのうち粘りが出て、タネがまとまってくる。それまでの僅かな時間だけ、この肉のことを考えてみる。
この肉はもとは牛と豚だった。牛。人工授精で母牛の子宮に宿った卵。母牛の子宮の中で、分裂して胚になった卵。糞と干し草の匂いが立ちこめた牛舎で、母牛の腹の中でどんどん大きくなった卵。それが牛の子宮からひり出される。
子宮の口をこじ開けて、産道に出て、ななめにぐるぐるまわりながら狭い肉に押し潰されながら抜けてくる。耳も目も鼻も口も歯もある。目も耳も鼻も口も出てくる。大きな頭と細い手足。粘液に包まれてずるずる出てくる出てくる。
母牛が子牛の体を舐める姿を見て、誰かが感動して言うかもね。『愛情』『母の愛』『赤ちゃん牛ってかわいい』
母牛は自分が分泌した粘液を、自分がひり出した生き物の体表から舌で舐り取る。ペロペロ。それはまた母牛の四つの胃のどこかで消化吸収されて次は何になるかしら。ペロペロ。
子牛はよろよろ自分の足で立って、母乳を飲んで、そのうち草だの飼料だの食べるようになるのでしょう。どんどん食べて大きくなる。肉が必要。生まれて一年も経たないうちに、肉を増やすためだけの存在へ。いいえ、生まれる前から肉になるためよ。
牛が考えることも感じることも、ぜんぶ肉を太らせるため。秋の風に乗って蜻蛉が空を飛ぶのを見た? 鳥の嘴から、カマキリの足がはみ出ているのを見た? 雪が降って静かな世界。雪って灰に似ている。胚。みじん切りされたタマネギから水が出る。胚から出る水。
大人の男(人間!)十人分くらいの重さになったら、トラックに乗せて屠殺場に送る。ホロコーストの汽車に似てるね。狭くて、暗くて。水は足りてる? 餌は足りてる?
到着したら順番を待つ。もし、牛が言葉を話せたなら、何て言っているだろう。「なんだか向こうの方から機械の音がするなあ」「牛の悲鳴が聞こえた気がするぞ」「この匂いは何の匂いだろう」それはね、消毒と、血と、汚物の匂いだよ。ほかほかの湯気が上がる死肉の匂い。
牛を殺すのはちゃんと人間なのだ。エアガンでも、電気スタンでも、ハンマーでも、眉間に殺意を打ち込んで、素早く喉をかっ切る。それから前足の踝も切ってしまえば、がくん、がくんと、倒れるのは二段階。吊して血を抜く。
あなたはまだ生きている。
食道をねじり取って結ぶ。
肛門のまわりを切り取って結ぶ。
(あなたはまだ生きている)
たまらない臭気!
死の匂い。
背中から皮を剥ぐ。
(あなたは生まれ変わる、白く美しい存在へと)
大きく胸を開いて、ラジオ体操のように、大きく胸を開いて、第一。
右前足、左前足、切り取って束ねて置く。組み合わせを間違えそう、脚の山。
(あなたは死んだ)
眉間を打った誰かと、喉を切った誰かと、足を切った誰か、吊した誰か、肛門を結んだ誰か。
(あなたを殺したのは誰)
吊されて枝に実った果実になった牛は、もうただの肉になっている。
この肉の細胞はおぼえているだろうか。生まれてきたときの苦痛を、初めて飲んだミルクの味を、ゆっくりと大地を踏みしめた時の体の重みを。
皮はベルトや財布、靴になる。君が履いている靴は、以前、蠅が止まっていた牛の背中かもね。
血も骨も新たな役割を与えられる。無駄になるところは無い。完全に消費されるために産まれてきたのだから。
そして肉。切り分けられ、洗浄され、パッキングされる。
ちょうど粘りが出てきたね。手を休めないで。肉をこねて。
牛を殺して肉を切り取って、それを細かくミンチにして、せっかくばらばらのばらばらにしたのに、また纏めるの。
ばらばらにして、銀のボールの中で混ぜて、こねて、丸く、卵みたいに丸くして、きれいなピンク色のかたまり。
死体を細かく砕いて、他にも混ぜて、こねて、形にする。更にこれを焼く!
すごいでしょう! ここまでして、更に焼くんだよ!
死体を壊して潰してこねて焼いて食う。
焼けば、タンパク質が変性して縮む、水と脂が出る。それから、焼く前よりも、うんとおいしくなるんだよ。おいしいってすごいことだね。おいしいは免罪符。
ああ、焼いた肉って、とってもいい匂いがするね。
今日もどこか、幸せな家庭のキッチンで、肉はこねられ、焼かれている。
ああ、胸が震える。
おいしいハンバーグ。
「ぐぅっ……」
喉から奇妙に潰れた音が出て、僕はそれに意識を引き戻された。
苦しい。喉を圧迫する何かに僕は爪を立てる。これは人間の腕だ。
僕の背後から覆い被さった誰かが、僕の首を絞めている。分厚いコート、手が滑る。
ますます腕が食い込む。ふたたび意識が遠のく。このままでは。
僕は胸に突くほど下げていた顎を、思いきり仰け反らせた。
がつん、と勢いよく後頭部が相手のどこか、多分顎にぶつかる。
相手は甲高い悲鳴を上げて、瞬間、腕が緩んだ。
僕は前のめりに倒れる。後ろでは何かが壊れる音や、乱れた足音がしたけれど、構っていられない。
「げほっ、げほ、げほっ」
潰された喉が痛い。口から涎をまき散らして、僕は職場の床を汚した。
頭がずきずきとして、眼球が押し出されるような圧迫感が引いてやっと、僕は後ろを振り返った。
入口に置かれていた観葉植物が倒れていた。
鉢は割れ、破片が散乱し、零れた土の上にまた、白い紙片が残されていた。
『カカワルナ』
「……なんだよ……」
この時、僕の胸中に湧いたのは、恐怖では無かった。