姉妹
平成 年 月 日【解剖した日】
警察署司法警察員【署長の名前確認】警視正は、【確認】事件について、本件被害者である佐藤 水希の死体を解剖の上、下記事項の鑑定をするように嘱託されました。
鑑 定 事 項
一 死因
二 損傷の部位、またその程度
三 凶器の種類とその用法
以上。
よって、 大学法医学教室解剖室にてこれを解剖するに、所見は次のようである。【介助人に見学の学生の名前は伏せる】【個人情報の取り扱い留意】
鑑 定 書
解剖検査記録
一、外景検査
女性屍 身長 百五十六㎝ 体重 四十五キロ
体格 やや細 栄養(栄養状態は、目視では不定。血液検査の結果で)
※遺体の損傷が激しく、生前の体重は+五キロ程度と考える
・皮膚が剥がされている
・手足の指は第一関節で切断されている
・後頸部に水平の切創
→ここから皮膚を剥がしたか 脂肪と筋組織の一部ごと剥がされている
※後頸部の切創から顎下部までの皮膚を一息にはがしたのでは(頭部を裏返すようにして)
胃の内容物(-)
同様に 尿(-) 便(-)
腹部圧迫にて死後吐かせたか
?内臓損傷/生命反応
→エンジェルケア【死後の処置】の真似?
肛門・膣に残留物(+) 乳白色にて芳香(+)
内部に損傷は認められず。レイプ(-)
→残留物はバスビーズか 特定回す
……………
刑事訴訟法第四十七条の適応を受けて、刑事事件の訴訟に関わる書類のひとつとして作成された鑑定書が、公判前に開示されることはない。 ただし、公益性のある場合、もしくはその他の事由においては、その限りではない。
「女きょうだいって子供の頃はまだあれだけど、大人になってまで女同士でべちゃべちゃしたら気持ち悪いっていうか、ねえ、ちょっと暑いんだけど」
午後の美容院は、窓から光りが差し込んで、あたたかくて眠気を誘う。寝不足であればなおさら。
僕にとってはあたたかいくらいだが、ケープの中は汗ばむほどであったらしい、僕は「すいません」と謝って、空調の温度を下げるようにスタッフに声をかけた。
スモーキーグリーンのマッシュヘアは若いスタッフによく似合っている。僕もそろそろ髪型を変えよう。職業上の義務というわけではないが、お客様の前ではいつでもそれなりの見た目でいたい。
「あら、ありがと」
『お客様』はいつも、鏡越しに僕たちの一挙手一投足を見ている。それは鋏さばきだけでなく、髪型や服装、喋り方や癖にまで及ぶ。
僕は、パーマに使うロットを手に取った。五十代の女性であるこのお客様には、決まったスタイルがある。
それが流行遅れであろうとなかろうと、彼女はそのスタイルに決めたのだから、僕はそれを作り上げなければならない。
本当はもっと似合うスタイルの提案をしたいと思う。僕の思うように――僕が思う、最高のお客様の姿を見せてやりたいと思う。
これは僕だけでなく、美容師全体が罹患している病だと思う。その人を見つけた瞬間に、最良の姿を探して計算を始める。カリキュレーターの電池が尽きた時は、きっともう、二度と鋏を握れなくなるのだ。
お客様の口がむずむず動く。話したいのだ。
僕は先程までの会話の内容をさらった。
「僕には姉がいますけど、きょうだい仲はいいですよ」
「あら、男女だと違うんじゃない。女同士はやっぱり独特よぉ」
「そういうのあるんですか?」
「そうよぉー、この前なんかね、あ、これはあんまり内緒にしといてね、近所のお家の娘なんだけどさあ」
そう言い置いて、お客様は嬉しそうににやにや笑いながら話しだした。
「そこン家は二人姉妹でさ、二人とも我が強くって、小さい頃から喧嘩ばっかりで。その喧嘩ってのがまたすごいのよ、あたしン家まで叫びが聞こえてきてさあ。喧嘩の内容ったらまたよくわかんないんだけど、服だのカバンだのを勝手に使ったとかそんなんでね。これが姉の方が嫁に行ったのよ。隣の県に行ったのよ、できちゃった婚で! 隣の県。 それが子供がすぐに産まれるってんで、里帰り出産したのよね。子供が産まれて一ヶ月くらいして嫁ぎ先に戻ったってのにさあ、いつ覗いてもお姉ちゃんがいんのよ。実家に入り浸り。妹もさ、あんなに仲が悪かったってのに、赤ちゃんの面倒をよく見てかわいがってんの。マァ、子供の一人も産まれるくらい大人になると、姉妹の仲も変わるもんだわって思ってたのよね。それにしても人が変わったみたいに姉妹なかよくなってさあ。そのうちもう一人も産まれて、でも二人連れていっつも実家にいんのよぉ、お姉ちゃん。そしたらさあ、二人目の子供が物心つかないうちに」
彼女はそこで声を潜めた。
「離婚しちゃったのよ、お姉ちゃん」
僕は視界の端で鏡に映る自分の顔を捉え、驚いた表情を作った。
「そうなんですか」
彼女はしたり顔で大きく頷いた。
「そうなってもおかしくないわよねえ、全然旦那の面倒見てないんだもの。お姉ちゃんは実家に出戻りよ。離婚なんて外聞のいいことじゃないけど、最近の人はそういうのほんとに気にしないわよねえ。あたしにも姉妹揃って、こんにちはーなんて明るく言ってきてさあ。ご両親は心労が祟ったんじゃないの? なんたってできちゃった婚から数年で離婚なんて、それはもう、育て方ってなるじゃない。お父さんはガンになって入院してすぐ死んじゃってさあ、お母さんはそれでがっくりきちゃって、老人ホーム入ってんのよ。それで、今、そこン家は、お姉ちゃんと妹と、お姉ちゃんの子供二人が住んでんのよ。マーァ仲睦まじいわよ。小さい時あんな喧嘩してたのが嘘みたい」
彼女は鼻孔を膨らませて、化粧台に置かれたアップルティーのグラスを手に取った。
「お姉ちゃんは、養育費がっぽり貰ってるらしいのよ。仕事なんかしてないのよ。でも車を買い換えるとか、家をリフォームするとか金遣いが派手なのよ。妹は地元の小さな会社の事務員よ。あの家にそんなお金あるわけないじゃない。
離婚した元夫から子種貰って、子供産んで、子供だしにお金貰って、姉妹で楽しく暮らしてんのよぉ、いいご身分じゃない。でもねえ、あたし思うのよね。あたしは主婦として、主人に尽くして、舅にも姑にも仕えて、こうやって真面目にやってるわけでしょう。男を立てなさいってちゃんと教えられてきたからね」
グラスのアップルティーが彼女の口に吸い込まれ、なくなると、ストローが空気を吸い込む。ずずぞぞぞぞ。
「あの姉妹はさ、そういう立派なこと何にもしてないのよ。あれはね、姉妹二人して、男をバカにしてんだね。そんな風にね、男をバカにして女同士できゃっきゃしてるようなのはね、いつかバチがあたるよ」
彼女はグラスを置くと、代わりに女性週刊誌を取り上げた。
ページをめくると、最近世間で取りざたされたセクシャルハラスメントの告発記事が載っていた。
「これもさ、レイプとか痴漢に遭う女はやっぱり男を誘ってんのよ。だから、女が悪いの。こんなね、文句言うのはみっともない」
次は無差別の通り魔殺人である。白昼、繁華街の歩行者天国で、包丁を振り回した男が暴れた事件だ。巻き込まれた死者は四人に上る。
「最近、こういう物騒な事件ばっかりよねえ。被害者の人は気の毒だけどさあ」
彼女は荒れた指先で被害者の一人の顔写真を指さした。若い美しい女性であった。
「ちょっときれいだからっていい気になって、バチがあたるようなことをしたのよ。あー、こわいこわい」
僕は筋の通らないお客様の話に愛想笑いをして、ロットを巻き終わった頭にタオルを巻いた。
閉店して、店内の片付けをしながら僕は考えていた。
美しいハルカと、平凡なミズキの姉妹。ハルカはミズキを慕っていた。
彼女は姉を喪って深く傷ついていた。姉を殺されるという残酷な罰。ハルカを罰するためにミズキが殺された――? バカな。
これは理由にならない。人を殺すに、迷信みたいなものは理由にはならない。
ならば、ミズキが殺されたのは、どんな理由があってのことだろうか。彼女の秘密の恋人が――あの血色の爪を作り出した恋人が犯人だとしたら――彼女を殺したとしたら、どんな理由だろうか。
皮膚を剥がす――肉の弾けたザクロのような姿が――彼女には一番似合うと思ったのだろうか。
僕はぞくりとして後ろを振り返った。
そこには青白い顔をした人物が立っていた。ぎくりと体を強ばらせてから、僕はほっと息を吐いた。
自分に驚くなんて。
鏡に映った僕は、髪型や服装も相まって、男のようにも女のようにも見える。僕のようにも、僕以外の誰かのようにも。
僕以外の誰か。例えば、鋏ではなくナイフを持った誰か。
僕は頭を強く振って、ザクロやナイフといったイメージ、思念を振り払う。
――僕にわかるはずもない。人を殺す理由など。殺人者の心など。
はたして殺人とは、どういった理由で起きるか、公益性のある場合、もしくはその他の事由において、ひとは人を殺しうる。