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肌の上、服の下

「ハルカちゃんと同じ大学だね」

 僕は床に投げ出された足を跨いで、アツミの手元を覗き込んだ。アツミは身長が高く、彼が肩の高さで提示したのは、都合が良かった。更によく覗き込むためには、もう少し高さが欲しい。

 ぎゅうぅ、と床から呻き声が上がる。

「ナオトさんったら、ダメですよ、乗っちゃ」

「おっとと、つい」

 僕はAの(ひかがみ)に足を乗せていた。読めた名前は、『永山 宗治』。Aは大はずれか。

 身分証と、見下ろしたナガヤマの顔を見比べる。同じようではあるが、平面になった写真と、立体の顔は天と地ほどの違いがある。

 脂じみてべっとりと房になった、長めの髪型。床屋に行く習慣がないのだろう。服装もその辺の量販店で売っている、偽ブランドまがいのものだ。身分証の通りなら、ハルカと同い年のこの青年の、毛穴は開き、吹き出物がそこここにある。

「ふふ」

 アツミは猫みたいに笑った。僕が睨むと、彼は猫撫で声を出した。

「何だよ、何か、おかしいかい」

「ちっともおかしくないですよ、ナオトさん。どうしてこんなに醜いんだ、みたいな顔して見ているから、それがナオトさんらしくって、あんまりにも」

「面白がってるじゃないか。それに、僕は醜いも美しいも人が決めるもんじゃないってわかってるからね」

 アリウムの紙袋からコーヒーを取り出す。ぬるいコーヒーをひとつをアツミに渡し、僕は自分のカップに口をつけた。

「僕が知ってるのは、その人に似合うかどうかだけだよ。美しいとか醜いとか、正しいとか間違ってるとか、そんな偉そうなことは、一介の美容師には手が負えない難題だ。だからもし、君がそれをわからないなら」

「ナオトさん」

 アツミは更に声を柔らかく、低く響かせた。

「ねえ、ナオトさん。美しいものも、醜いものも、どちらも同じようなものですよ、そうでしょう? 人間が決めるなんて、決める、なんて、それこそ傲りじゃないですか」

「じゃあ、誰が決めると思う?」

 アツミは考える振りをしてから答えた。

「さあ、神とか?」

「神さま? アツミくん、君は神さまを信じてるの?」

「信じるも何も、神なんて、どこにでもいるでしょう」

 アツミは温いコーヒーのついた唇を赤い舌で舐めた。そして、床にL字になった膝を足の甲で引っかけ、そのまま蹴り上げる。

 男の体が裏返る。スッポンのように伸ばしていた男の首が遅れてねじれた。襟の隙間から、何かが見えた。

「あれ、アツミくん、ちょっとこの服、脱がしてみて」

 僕が出した手に、アツミがカップを渡す。

「えぇ? 俺がですか。ナオトさんがやらないんですか? ひょっとして触るのが嫌とか」

「こちとら毎日お客さんの頭触ってんだよ。それこそシラミが湧いてんのから、どんだけ洗髪してないんだってやつまでさ。アツミくんこそ人に触れるのが嫌いで、足使ってとか」

「俺、人に触るの好きですよ。触らないとわからないことってあるじゃないですか。目で見えるものなんて限られてるし、指の感覚ってすごく鋭敏だから。そうだな、指よりも、唇とか、舌ですかね。よく知りたいならより鋭敏なところで」

 また赤い舌で唇を舐める。よく焼けた肌や、陽光に漂白された髪に不釣り合いに、舌だけが赤い。

「……アツミくん、君、しつこそうだよね。セックス。嫌われない?」

 ふふ、とまたアツミは笑う。

「女の方が性には貪欲ですよ。ナオトさんこそ淡泊すぎて嫌われませんか?」

「しつこいのは否定しないわけね」

「前にも言いましたけど、本命に一途なんです。ナオトさんこそ、淡泊なのは否定しなくていいんですか? 意外と情熱家とか」

「うーん……僕はそういうの昔から興味ないんだよね」

「おや? 聞き捨てできませんよ、こういう話はお酒でも飲みながら」

「そうだね、機会があればゆっくり」

 アツミがナガヤマの服のボタンをはずす。ナガヤマは激しく抵抗するが、拘束され、負傷した彼の全力と言ってもたかが知れている。

 アツミは鼻歌でも歌い出しそうに時間をかけてボタンをはずし、袷を開いた。

 汗と怯えの酸っぱい匂いをかぎ取って、僕は鼻に皺を寄せる。

 アンダーシャツを透ける赤い色、アツミが目を瞠る。

「……どうしてわかったんですか、ナオトさん」

「さあ、美容師の勘ってやつかな?」

 ナガヤマは女物のブラジャーを服の下に着けていた。

 脂汗の浮いたアオキの苦悶の顔。黒く汚れた襟、アンダーシャツを透ける鮮やかな赤。中央のビーズ飾り、縁を彩る繊細なレース。

 まるで似合ってない。

「かわいそうに」

 思ったことをつい、口に出してしまった。アツミはにっこりして「俺、ナオトさんのそういうとこ、好きだなぁ」と述べた。









 保険がわりに、アツミと僕のスマートフォンの両方で、ナガヤマのあられもない写真を撮ってから、拘束を解いた。

「警察を呼ぶつもりはないから、安心して。君を助けてもくれないけどね」

 いちいち物騒なアツミである。

 外した結束バンドもろもろを突っ込んだゴミ箱に、百均の袋が捨てられていた。

「今は何でも百均で買えるんだなあ」

「コンビニでも良かったんですけど、節約してみました。経費は請求していいんですよね」

「コーヒーやっただろ」

 そういえば、サンドイッチも二人前買ってきたんだった。袋に手を伸ばしたところで、ガラガラ声が邪魔をした。

「おっお前らなぁ! こ、こんなことして、ふっ、ふざっ、ふざ、ふざっ、ふざけて」

 ナガヤマだった。

 勢いよくしゃべり出したナガヤマの声は、尻つぼみになる。彼は僕とアツミの視線にすら耐えられない。よくこれで僕を脅したものだ。

「隠れ女装の男が、不法侵入した先で、何言っちゃってんの?」

「アツミくん」

 アツミの挑発は効き目があった! ……ゲームならそんな風になるところかもしれないが、僕はとりあえず彼にサンドイッチを渡した。しばらくその口は、食べ物を摂取することだけに使っていて貰いたい。

 屈辱で顔を真っ赤にしたナガヤマと視線を合わせるために僕はしゃがみ込んだ。

 ナガヤマの顔は、涎や鼻水や汗で汚れていた。僕はそれを多めに引き出したティッシュで拭ってやる。

 彼はされるがままになっていた。

「……ブラジャーのこと、僕の友人がからかってごめんね」

 ナガヤマの充血し濁った目が揺らいだ。

「女物の服って、男物と違って、すごくきれいだもんね。ひらひらして、きらきらして、着たくなるのわかるよ。僕も姉さんの服を着てみたことがあるから」

 ほんと? ナガヤマの目が尋ねてくる。

 ほんとさ、随分昔のことだけどね。

「特に下着は芸術品だよね。レースやフリルがたくさんついていて、色も花畑みたいっていうか、絵の具箱をぶちまけたみたいにさ。君が着たくなるのも不思議じゃないよ」

 こちらを向いていたナガヤマの視線がわずかに、意識が逸れる。

 女装が好きってことじゃないのか。けれど反応はあった。

 ──わかるよ、僕も──さんの服を着た。

 こっちだ。

「……ねえ、その素敵な、赤いブラジャー、それをつけてると、そのブラジャーにふさわしい自分になった気になるよね。ふさわしいあの人に、なれた気がするよね」

 ナガヤマはびっくりした顔になる。

 彼の目に、僕の顔が映っている。僕は、君がなりたい君を知っている。君がなりたい君にしてあげる。だから、僕にさらけ出していい。

「そのブラジャー……誰と、おそろい?」

 ビンゴだ。

 ナガヤマは僕の顔を凝視している。

 ナガヤマは僕の中の彼を見つめている。

 僕の中の彼は、彼の理想の彼。

 それは。

「ハルカちゃんとおそろいなんだね」

 ナガヤマはずるずると溶けたゼリーみたいに床に崩れ落ちた。

 ぐすぐす、と鼻をすする音がしてきて、僕は彼が話し出すのを待つ。

「……ナァンデヨォ……」

 アツミが食べ終わる前に彼が話し始めたので、僕はほっとした。余計なことを言われたらかなわない。サンドイッチが具だくさんで食べにくかったのも功を奏した。

「カカワルナッテ、イッタジャナァイ……」

 ガラガラ声で、ナガヤマは話し始めた。

 アツミが顔を寄せてくる。「ストーカー、ですかね」

 知らないよ、でもまあ、きいてみようよ。頭の隅で、あの膝、放っといていいのかなと思ったけれど、そう先に、聴くだけ。

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