王都にて(1)
そうして午後、ようやく馬車が王都の門をくぐり抜けた。
貴族用の入口は、時期がずれていることもあり、そんなに待たずに通過できた。
前にここを走った時は、まだ明け方だったので、窓から見る景色はまったく違うものに感じられる。
とはいえ、あの時通った大通りは市場が立っているので、通っている道がすでに別なのだけど。
似たような住宅街をどんどん走り抜けていくと、段々と建物の密集度が低くなっていく。
長い塀が続くようになってしばらくして、そのうちの一つで馬車が一時停車する。
護衛のひとたちが大きな門を開けると、再び走りだし、中へ進んでいく。
そして、そう待たずにがたんと音を立てて、完全に馬車が停車した。……どうやら、目的地についたらしい。
ルト様はさっさと馬車を降り、当然のようにわたしに手をさしだしてくる。
敷地内だからなんだろう、ちょっと迷ったけど、すなおに手を借りて地面に降りる。
そして目の前の建物を見て、……ぽかんと口を開けてしまった。
「ルト様、お屋敷、大きいですね……」
──そう、一言で表現するなら、邸はとても大きかった。
領地の邸と同じくらいなんじゃってくらいの規模で、少人数できたのが悪い気がするくらい。
これはたしかに維持費が勿体ないとこぼすはずだ。
「他の邸との兼ね合いもあって、小さくできないんですよ」
苦笑いするルト様に、なるほど、と納得する。
そもそもベルフ公爵の祖というひとは、国王の弟だかだったらしい。
なにかと大変な領地を治めるべく、臣籍降下したのがはじまりと、まあ、ありがちな話だ。
となると王都にも邸を構えるのは当然で、その規模も王族に相応しくなければならないというわけだ。
間違っても、他の貴族より小さくてはいけない。
その結果が、この大きなお屋敷というわけだ。……残されたほうはたまったものじゃないけど。
うーん、暇つぶしと運動を兼ねて、掃除を手伝うべきだろうか。
そんなことを考えながら、車寄せから入口へと歩いていると、先のほうに人影が見えた。
……って、誰もいないはずじゃ? と思ってルト様を見上げると、大丈夫ですよと微笑む。
ジャンさんたちも緊張した様子はないから、知りあいらしい。
ということは、シュテッド公爵の関係者かな?
もっと近づくと、そのひとは三十代くらいの男性だった。
ジャンさんと似たような服装なので、執事みたいなものらしい。
「ようこそ、クヴァルト様、セッカ様、大旦那様がお待ちです」
「ずいぶん気が早いですね」
ルト様が今日到着することは、実家みたいなものであるシュテッド公爵家には伝えてある。
そうしないと部屋の支度とかを前もってお願いできないからだ。
だから知っているのは当然だけど、待ち伏せしていたとは予想外だ。
新幹線でくるわけじゃないから、正確な時間を伝えることはできない。
いつから待っていたのかわからないけど、短い時間じゃないだろう。
「心待ちにしていたようなので」
そのひとは小さく笑って、恭しく扉を開けてくれる。
促されるまま中へ入ると、予想どおり、領地より装飾品などがしっかり配置された、大きな玄関ホールが広がっていた。
中心からは大きな階段が左右に続いており、広い踊り場には重たそうな絵画もかかっている。
探検のしがいがありそうだなぁと思っていると、ルト様は階段を上がらず、そのまま右に折れていくので、ついていく。
少し区切られた場所には椅子やソファが置かれていて、そのひとつに人影があった。
ドアの音で気づいていたのだろう、そのひとはすでに立ちあがっていて、ルト様を見てにかっと笑う。
「久しぶりだな、ルト」
わたし以外が呼ぶのをはじめて聞いた、その愛称。
白い髭をたくわえたナイスミドルな老人は、もと領主代理、前シュテッド公爵の、ええと……テオドール様、なんだろう。
顔を見るのははじめてだし、ルト様と直接血が繋がっているわけでもないから、見た目の予想は全然ついていなかった。
第一印象は、とても八十代には見えない元気そうなおじいちゃん、だ。
「ええ、お久しぶりです、お祖父様」
挨拶を返したルト様に、ん? とお祖父様が眉を寄せる。
隣に控えた側仕えのライマーさんもちょっとびっくりした顔をした。
わたしはというと、ルト様つっかえずに言えたな、と練習の成果にこっそり喜んでしまう。
対外的な場面以外では、お祖父様と呼ばなくなったというので、じゃあわたしと一緒に呼ぶ練習をしましょう! と、馬車の中で話していたのだ。
そうしないと、ルト様に膝枕をされそうだったので。
なので、多分十年以上ぶりのお祖父様呼びになるらしい。
お祖父様が感慨深げに表情をなごませたので、喜んでくれたようだ。
「……手紙には記しましたが、こちらがセッカです」
沈黙に気恥ずかしくなったのか、少し早口でわたしを紹介する。
メイド服なのでちぐはぐになってしまうけど、慣れない貴族のお辞儀を披露した。
「セッカです、はじめまして」
「ああ、そう固くならんでいいぞ」
口上を述べる前に制止されて、にこにこと微笑まれる。
「そうか、お嬢ちゃんがセッカか。想像よりかわいいのぅ」
……どんな想像だろう。というか、ルト様はどういう手紙を送ったんだろう。
ちらっと横目でルト様を見たけれど、答えはなかった。
「春とは言え、人のいない邸は寒いでしょうに、いつから待っていたんですか」
ちゃんと連絡するつもりだったのに、とぶつぶつ文句を口にするルト様は、お祖父様の体調が心配なんだろう。
「年寄り扱いするでない。たいして待っておらんし、かわいい孫とその嫁を早く見たかったんじゃ」
けれどお祖父様はしれっとしたものだ。……って、八十代を年寄り扱いしなかったら、いくつを……
ルト様も同じことを考えたらしく、大分据わった目をしていた。
けれどお祖父様はどこ吹く風で、そんなことより、と歩きはじめる。
「とにかくこっちじゃ、こっち」
なんですかと問いかけても、教えることはせずに手招きする。
顔を見合わせて、二人でそのあとに続くと、フリーデさんとウェンデルさん、ライマーさんもついてくる。
廊下を歩いて、お祖父様は一番奥の扉の前に立った。
一階は大体応接間とか、パーティー用の広い空間とからしいので、ここも多分そうなんだろうけど……
なにを見せようというんだろう?
いたずらっ子のように笑いながら、お祖父様が手ずからドアを開ける。
──そこは、案の定広々した空間だった。
多分、昔はパーティーとかをしたんだろう。外にも出られる広い窓に、きらきらしたシャンデリア。
だけどそれより目を引いたのは、直接日の当たらない場所に鎮座している──
「ピアノ……!!」
いそいそと近づくと、それは真新しいグランドピアノだった。
しかも色は白で、とても綺麗だ。
「お嬢ちゃんにはコレだと聞いてな、用意しておいた」
さわっていいぞと微笑まれ、遠慮なく天板を開けていく。
わくわくしながら鍵盤の蓋を開ければ、ぴかぴかのキーが目に飛びこんできて、……あれ?
「八十八鍵!」
きゃあっと叫んでしまい、流石にはしたなかったと慌てて口を抑える。
がばっとお祖父様のほうを見ると、大成功と満足げな顔をしていた。
「……たしか、邸のピアノはもう少し鍵盤が少なかったですよね」
横にやってきたルト様が、鍵盤を覗きこんで言う。
その言葉に、そうなんです! と勢いこんでうなずいた。
まあ、必ずしも八十八鍵が必須ではないけれど、最近では少しの物足りなさも感じていた。
だから、予想外のこのプレゼントに、わたしのテンションは上がりまくった。
「納品した時に、そういう話をしたそうだね? 楽器店の店主から聞いて、資金提供をしたんじゃよ」
ピアノの人気が低いこの世界では、開発費用もなかなか出せないらしく、八十八鍵のピアノをつくりたくても、需要がなくて困っていたらしい。
そこでお祖父様がお金を出してやり、試行錯誤の結果、このピアノができあがったそうだ。
ということは、結構前から手を回していたってことになる。……凄いな、お祖父様。
「私が買うつもりだったのに……」
ぼそっと低く呟くのは、ルト様だ。明らかに拗ねている。
邸にあるピアノも王妃様からのプレゼントだから、納得してないところがあるんだよなぁ。
小さな家を建てて、そこに置く予定のアップライトは選んでくださいねってお願いしてあるけど。
「まあまあ、これも一応使用には問題ないそうだが、まだ不安が残るということで、実際使ってみてほしいそうでな」
わたしはあくまで鍵盤の数を伝えただけで、それに必要なつくりかたは知らなかったから教えてない。
つまり、この世界のひとたちが、独力で完成させたわけだ。
となるともとの世界のものと同じかどうかは、弾いてみないとわからない。
「その上で問題ないとわかれば、製品として売るそうだから、お前さんはそれを買えばいいじゃろ?」
困った子供を窘めるような調子に、つい笑いそうになる。
お祖父様にとって、ルト様はいくつになっても孫なんだろう。
今回の王都滞在中に、この邸でも弾けるようにと、ピアノは買ってもらうことになっていた。
グランドピアノは大変だろうから、アップライトでも、って話だったんだけど。
先に注文しておいてもいいけど、王都の楽器店なら多少選べるだろうからと、実際行く予定だった。
なので楽譜もばっちり持ってきているので、この状態はとても嬉しい。
ルト様には悪いけど、到着当日からピアノが弾けるなんて、こんないいことはない。
二日弾いてないから、なおさら一刻も速く弾きたくてしょうがない。
「じゃあ早速……!」
「お待ちください、セッカ様」
荷物の中から楽譜を探そうと踵を返したわたしを、フリーデさんが止めた。
「まずは入浴を。その間に荷ほどきしておきますので、弾くのはそれからです」
笑顔だけど断れない圧力に、はい、とすなおに従う。
宿ではちゃんとしたお風呂に入れてないし、どうしてもなんとなくホコリっぽいのは否めない。
新品のピアノに土汚れをつけるのも申しわけないし、ここは言うとおりにしよう。
「ライマーが準備しておいたから、すぐ入れるはずじゃ」
お祖父様の言葉に、流石有能な執事……! と感心する。
「ありがとうございます。ではセッカ、案内しますね」
「あ、はい、お願いします」
最低でも年に一度は必ずきている邸だから、ルト様は迷いなく歩いて行く。
荷ほどきの邪魔をするのもだし、一人で入れるから、すなおについていった。
ちょうど反対側の突き当たりが、大浴場になっているという。
本当は従業員用だけど、ルト様の代で改修したそうで、邸のと似た感じになっているらしい。
それなら使いかたも大丈夫かな、とドアを開けて──
諸般の事情により明日も更新します。




