宅飲みする男二人(公爵視点)
邸の扉を開ければ、すぐのところにセッカが待っている。
ほんの少し唇を持ちあげて出迎えてくれるのが、馴染みの景色になっている。
愛想があまりなくてすみません、と彼女はよく言うけれど、ピアノを止めてくれているのだから、それだけでも十分すぎるほどだ。
「お帰りなさい、ルト様」
ここまではいつもと同じ、けれど──
「それと、ようこそ、ディディスさん」
「お邪魔するね、セッカちゃん。あ、そのネックレスいいね!」
そのあとに言葉が続く、なぜなら今日は客人を連れてきているからだ。
さらりと褒めそやしたネックレスは、クヴァルトの瞳の色のそれだから、不問に処すことにする。
「では、私は書斎にいますから」
前から話していたとおりにセッカへ声をかけると、ディディスがへ? と間の抜けた声を上げる。
「え、セッカちゃんのピアノ聞くんじゃないのか?」
「ええ、あなたが聞くのでしょう?」
なにをわかりきったことをとわざと言ってやる。
今夜ディディスを誘ったのは、一緒に飲まないかというものだったけれど、彼は当然セッカのピアノも要求してきた。
彼女はひとに聞いてもらうことを楽しみにしているから、一応先に訊ねて、快諾されたことを伝えてもある。
けれど、前に話したことを覚えているのだろう。クヴァルトが遠慮するとは予想していなかったようだ。
たしかに自分は大概心が狭いが、晴れて彼女と想いが通じた今は、そこまで狭量ではない、つもりでいる。
「まあ、扉は開けたままにしてもらいますし、ウェンデルが近くにはいますが。それくらいは構わないでしょう?」
ディディスのことは信用しているが、セッカが恐がる可能性もある。
だから、そのあたりは譲れないわけだが、彼の心配はそこではなかったらしく。
伺うようにセッカを見るが、彼女の表情は動かない。
「……いや……でも、セッカちゃんは演奏者、だろ? オレ一人で聞くのは申しわけないよ」
ややあっての言葉は彼らしくないものだったが、セッカには嬉しい選択だ。
ではお言葉に甘えてとクヴァルトが言えば、ついでに女性も何人か、と要求するあたりは流石と言える。
ただし時間的に邸に残っている者も少ないので、結局いつものメンツになったけれど。
「こういう曲が聞きたいとか、ありますか?」
ピアノ室に移動してから、セッカがディディスに問いかける。
あらかじめいくつか選んではいたが、折角だから好きな系統のものを、ということらしい。
ディディスは少し悩んでから、
「神秘的な優しい曲がいいかな」
そんな要望を出してきた。
クヴァルトはそれを聞き、表情に出さぬよう息をつく。
セッカはもう少しわかりやすく、ぽかんと口を開けたが、すぐに我に返っていた。
「わかりました、あ、かしこまって聞かなくていいですからね」
束ねてある楽譜から目的のものをとりだして、譜面台に置くと、ゆっくりと弾きはじめる。
──それは、少し不思議な雰囲気の曲。
旋律が追いかけっこするような調子で、拍は正しいはずなのに、どこか揺れているような感覚になる。
不穏なわけではないし、暗いわけでもないが、どこか変わった調子は、彼の求めた神秘的な優しさにぴったりだ。
なんでも、物語の中で、神樹のようなものをまつる神殿に使われている曲らしい。
セッカはたまたまだと言うけれど、それなりに縁のある人物を浮かべると、かれらに相応しい曲を選ぶ力があると、クヴァルトは推測している。
この曲も、ディディスを招くと話したあとに、セッカが選んだうちのひとつだ。
彼女自身はもっと勇ましい曲が似合うと思っていたようだが、どうしてもこれが気になる、と口にしていた。
もとの世界ではそんな気分になったことはないというから、こちらにきてからのものだろう。
いまだに自分の魔力を感知できない彼女には、まったく自覚がないようだけれど。
曲が終わると、ディディスは嬉しそうに拍手をして、セッカの技術に感心する。
手放しで褒める姿につくった感じはなく、セッカも嬉しそうにしていた。
それから三人で夕食を食べて、もう一度離れに移動する。
こちらにもひととおりのものは揃っているし、今日のために準備もしておいた。
クヴァルトの私室でもよかったのだが、隣にセッカがいるので、他ならぬ自分が嫌だったのだ。
「うわーこれこれ! 飲んでみたかったんだよなぁ」
飲めるなら、とねだられた銘柄はどれも高級であったり手に入りにくいものばかり。
それでも、自分一人ではなかなか消費できないので、まあいいかと出しておいた。
酒瓶を抱え込む勢いで相好を崩す姿は、女性に愛を囁く時とは少し違う。
「ただし、飲む前に少し話をさせてもらいますよ」
手酌で注ぎそうな彼を制して、椅子に腰かける。
らしくなく、手にはわずかに汗をかいていた。悟られないよう、拳をにぎる。
「わーかってるよ、でも、なんだよわざわざ?」
こうしてディディスと飲むこと自体は、はじめてではない。
大体彼に誘われて、街中で飲むことが多かったけれど、仕事の話を兼ねて邸へ招いたこともある。
けれどクヴァルトから、特にこれといった案件もなく声をかけたのは、これがはじめてで。
ディディスの怪訝そうな顔も当然だろう。
「……実は、ヴァルトという略称は嫌いなんです」
「へ?」
口にした言葉が予想外だったのだろう、きょとんとした表情を晒す。
そもそもこの略称は、ディディスが勝手に呼びはじめたものだ。
変わったものでもないし、ごく普通の略だからと、敢えて止めずにいたけれど、そろそろ、いいかと思った。
「父親と音が似ていて、不愉快なんです」
この話をまさか、彼にするなんて。
自分の心の変化に驚きつつも、口調だけは淡々と告げる。
「父親? 全然名前が違うじゃないか」
わけがわからないと首をかしげるディディスに、抑えていたつもりだが笑みが浮かんでしまう。
この表情はよくないと、セッカに何度も怒られているのだが。
よほどひどい顔なのだろう、ディディスの言葉も途中で止まった。
「──ええ、前領主とは似ていません、当たり前です。彼は私の父親ではありませんから」
……沈黙は、一体何秒だっただろうか。
「それ、……それって」
饒舌なきらいのある彼が、口ごもる姿は珍しい。
クヴァルトはいっそ面白く思いながら、かつてセッカにした説明をしていく。
すべてを話し終えると、目の前にあった酒を一気に飲んだ。
これくらいでは酔うこともないが、ディディスは到底同じことをする気にはなれないらしい。
「ちなみに、副領主は知りません」
「そりゃそうだ……卒倒するって、あのじーさん」
初老の彼はことのほか前領主に目をかけていた。
彼の時から副領主だったからこそ、クヴァルトの領主就任を喜んでくれた。
今では手腕も認めてくれているけれど、はじめは決して実力ゆえにではなかったはずだ。
「ほとんど知らせてないってことだろ。なんでオレに……?」
まっすぐ見つめてくる瞳は、とまどいに揺れていた。
まさかここまで重大な秘密を打ち明けられるとは思っていなかったのだろう。
クヴァルトだって、彼とはじめて会った時は、そんな気になれると思っていなかったのだし。
「あなたを、信用しているから、と言えば満足ですか?」
掛け値なしの事実なのだが、我ながら気障ったらしい科白になってしまった。
案の定ディディスは胡乱な目つきになってしまう。
苦笑いを浮かべて、本当ですよ、と呟いてから、それに、と続ける。
「山の件が片づきましたしね、ちょうどいい頃合いだと思ったんです。……あなたは、ひょっとしたらこれで辞めるかもしれないと思っていましたから」
ぴくり、と指先が動いたが、表情は変わらなかった。
たいしたものだと感心したが、予想はついていたのだろう。
領主の補佐をする人間の身辺調査が必須であることは、少し考えればわかることだ。
──ディディスは孤児だが、捨て子ではない。
彼が孤児になったのは、ある不幸な事故のせいだった。
林業で儲けようと、考えなしに伐採され、更地になった裾野に建てられた住居。
ある年に続いた長雨は、土砂崩れを引き起こし、遮るもののなくなった平地まで一気に落ちていった。
不幸な若夫婦が犠牲になったが、生まれたばかりの赤子は、奇跡的に一命をとりとめた……
無茶な伐採が起きた一因は、当時領主が不在だったための、統制不足もあるとされている。
クヴァルトが領主になる前から、祖父であるシュテッド前公爵の手によってその地への植林はなされていた。
彼はさらにその箇所を広げ、文句を言う土地の所有者に代替地を用意してやった。
その場所だけではなく、領土中を調べ、危うい箇所は同じように植林したり、川辺の補強も行っている。
水害に対する備えはまだ完全ではないが、土砂崩れへの対策はほぼ終了したと言っていい。
ディディスは、それは積極的に、文句を言う面々への説得へむかっていった。
その対応は決して横暴ではなく、性急でもなく、誠実で実直だった。
おそらく内心にはあせりがあっただろうに、決してそれを出すことはしないまま、最後まで貫き通した。
だから、信頼できると感じたのだ。
それらを告げてやると、ディディスは飲んでもいないのに頬を染めて机に突っ伏した。
赤面しても絵になるのだから、美形というのは得なものだと感心する。
……セッカが、顔で選ばなくてよかった、とも。
クヴァルトは小さく笑いながら、ディディスの前に置いたグラスに、一番に飲みたがった酒を注いでやる。
「先日、あと二十年は働けとも言われましたしね、末永くよろしくお願いしますよ、ディー」
ちりん、とグラスをぶつければ、澄んだ音が響く。
はじめて呼んだ略称に、ディーはぱっと顔を上げた。
そこにはさっきとは違う照れが浮かんでいるようで。
「私のことは、今後、クーとでも」
「……ジャンが呼んでるやつじゃないか、一気にそこまで格上げかよ」
「ルトでもいいですよ?」
「…………それは全力で断る」
予測どおりの返答に、また笑ってしまった。
彼のことだから、セッカが呼んでいる略称は使いたがらないとふんだのだが、そのとおりのようだ。
女性と見れば甘い言葉を吐く男だけれど、なかなかどうして義理堅い。
だからこそ、領主補佐として抜擢したし、己の秘密を話す気になったのだけれど。
「他に適当な略称がありませんからね、諦めてください」
今まで勝手にヴァルトと呼んでいたから、今さらクヴァルトにもどしては不審がられる。
けれどその略が気にいらないと知った今は、もうヴァルトと呼べないだろう。
となると、気恥ずかしかろうがなんだろうが、彼はもうクーという愛称を使うしかなくなる。
──退路はどこにも、存在しないのだ。
「お前は、ほんっと、そういうところ……!」
ディーにもわかっているのだろう、ぐぬぬと唸ると、目の前のグラスを一気に煽る。
白皙の美貌に朱がさす様は、なかなか女性には目に毒そうだ。
愉快げに笑うクヴァルトを恨めしげに眺めつつ、置いてあった焼き菓子を遠慮なく囓る。
酒に合うよう塩気を効かせたものに、うまいな、と舌鼓を打った。
「口に合ってなによりです。セッカに塩味を頼まれたので、つくってみたんですが」
米を使った菓子にも挑戦したいが、そちらはレシピが存在しない。
セッカもつくりかたは知らないというので、今後試作をするつもりで、クヴァルトはとても楽しみにしている。
「ここから先は煩わしい話はしませんから、安心してください」
にっこりと微笑んでやると、そうかよ、と投げやりな呟きが漏れる。
「代わりにノロケが多そうだけど……いいよ、酒の肴に聞くよ。……クー、が、楽しい話ならな」
自分の言葉を隠すように、言葉が終わると同時に酒を飲む。
「……ああもう! 女の子相手よりよっぽどむずむずする! 蕁麻疹出そう!」
離れでどれだけ騒いでも、邸まで聞こえることはまずない。
それを知っているクヴァルトは、空になった杯におかわりを注いでやりながら、遠慮なく大笑いしてやった。
部屋には寝転がるに十分なソファもあるし、雑魚寝でよければ眠る場所もある。
「折角ですから、たまにはあなたの武勇伝も聞かせてください」
「言ったな!? よしじゃあセッカちゃんに効きそうなアレコレを伝授してやる!」
酒に強くないディーは少々酔いはじめているらしい。
おそらくろくでもない指導になるのだろうと思いつつ、それも楽しそうだと感じたりもして。
男二人の酒盛りは、明け方までだらだらと続き、ディーは見事に撃沈したが、クヴァルトはけろりとした顔で、セッカとの朝食の席についたのだった。
GB版聖剣伝説「マナの神殿」




