愛らしい存在(公爵視点)
なし崩し的にはじまったセッカとの生活は、思ったより快適だった。
そもそも、彼女はほとんど我が儘を言わない。
庶民だったという言葉に嘘はないのだろう、住環境に遠慮こそすれ、豪華なものを求めることもない。
楽譜だけは欲しがったが、そんなものは些細な出費で、体調のことがなければいくら与えてもいいくらいだ。
あまり表情が変わらないのはもともとらしく、普段は無表情気味だが、媚びてくるよりはよほどいい。
なにより平素がそれだから、演奏している時の生き生きとした表情との差が激しくて、目を奪われる。
──気づけば、思った以上に心を砕くようになっていた。
となるとひとは勝手なもので、最近ではもう少しねだってほしいと感じるようになってきた。
だが、普通の女が喜ぶようなもの、たとえば宝石だとかは、贈っても喜ばれないことはわかっている。
ならば菓子をと考えても、太るの無駄遣いだの、とどめに「一緒に見に行きたいから」とかわいく(クヴァルトにはそう見える)お願いされたら、いいわけのない日は買えなくて。
年下の妻を迎えた男性が、色々と買い与えてご機嫌とりをしている姿を、しらけて眺めていた自分はどこへ行ったのやらという状況だ。
けれど贈り物よりなにより、彼女の演奏を聞いて拍手をするほうが、嬉しそうな顔をするものだから。
もらってばかりだと思いつつも、毎日の贅沢を甘受していたわけだが、ようやく、少々高額なものを贈れそうないいわけができた。
きっかけになった事態はまったく嬉しくない神殿絡みだったが、この際それは置いておく。
連中に渡したネックレスは、その時はじめて見たものだった。
どうしてだろうと考えて、すぐに理由に思い至る。──彼女はいつも、襟元の詰まった衣装ばかり選んでいた。
嫌な記憶があるために、肌を見せたくないのだろうと、そこで思考は止まっていた。
それも間違いではないのだろうが、あれを隠す意図もあったのだろう。
おそらく、肌身離さず身につけていたに違いない。考えなくても当たり前だ、多少の荷物だけで無理矢理召還された彼女にとって、もとの世界のものは、なによりのよりどころだっただろう。
けれど、それを目立たせれば、クヴァルトたちを心配させてしまうから、隠していたと予想した。
──実際は別れた恋人からのものだったので、すがるのも複雑だったのだと、あとで聞いたのだが。
ともかく、心情はわかるし、我ながら最悪だと自覚はあるけれど、軽い嫉妬心も覚えていて。
彼女を守るものは、すべて自分の手によるものでありたい──なんて、大概なのだが。
もとの世界のものをとりあげたいわけではないけれど、それほど大事にされるものを、自分も贈りたいと考えてしまった。
なにせピアノは国王からで、白紙の譜面は贈り物というには流石に情けない。ぬいぐるみは毎晩抱えて眠ってくれているようだが、それは就寝時限定だ。
できれば四六時中身につけてくれるものがいい、となれば、やはり装飾品が妥当だろう。
母の持ち物は豪奢すぎてつける気にならないと言っていたし、記憶にあるかぎりでも似合いそうになかったから、ちょうどよくもある。
そのあたりの本音は押し隠して、早速メサルズたちに話を通し、適当な店を見繕ってもらう。
パーティーの時しかつけられない、大粒の石を使ったものだとかではなく、普段でも使える、けれど安価ではない店。
目星をつけた店にあらかじめ連絡を入れておけば、その間はほぼ貸し切りにすることもできる。
そうしておけば、セッカも安心して品を選べるだろう。
準備万端に整えた休日の午後、案の定セッカは遠慮がちだったが、それでも綺麗なものは好きなのだろう、徐々に積極的に店内を周りはじめた。
だが、つい手首をつかんでしまったため恐がらせたのは失敗だった。
拘束されていた時を思い出すのだろう、手をつなぐほうが抵抗がないらしく、手首にふれると明らかに怯えた顔をする。
気にしていないと伝わるようにと、普段どおりの対応を心がけているうちに、セッカがふと足を止めた。
店員に頼み、ショーケースから出してもらったのは、ひとつのネックレス。
正直に言えば地味な色の石だ、と思った。けれどそれを手にとったセッカは、なぜか次にクヴァルトを見つめてきて。
「……?」
よくわからずに視線を受けとめていると、彼女の目はクヴァルトの顔とネックレスを行ったりきたりする。
ややあってから、フリーデのほうを確認し、うん、とうなずいて。
「クヴァルト様、これもお願いしていいですか?」
おずおずと申し出てくるころには、流石のクヴァルトにも理由がわかっていた。
──間違いなく、自分の瞳の色と合わせている。
その証拠に、こちらを見るフリーデの視線が生ぬるかった。
久しく覚えのなかった照れが生じ、見られないように顔を覆っていたせいで、余計な心配をかけたらしい。
品をもどそうとする手を声で制し、買いましょうと許可を出す。
把握したらしい店員が同じ石のついたものを持ってくると、セッカはいちいちクヴァルトを確認しながら、好みに合ったものを選んでいく。
見つめられるたびにむず痒くて、表情を悟られないように掌で隠していたが、そうすると色が確認できないことに気づき、苦心して表情を保つ。
セッカは同じような色味の石を手にとっては、少しだけ嬉しそうに唇の端を上げている。
フリーデはそんな彼女を慈愛のこもった顔で見守りつつ、クヴァルトには少々意地の悪い目をむけてきた。
甘んじて受けとめながら、心中でぼやいたことはといえば「この愛らしいミコをどうしよう」だった。
保護してくれている対象に好意を抱くのはよくあることだ。それが本心からでも、生きるために必要な思いこみだとしても。
少なくとも無理にそういう思考になるようにはしていないから、八割は本心であってほしいところだけれど──
肌身離さず身につけていてほしいとはたしかに願ったが、まさかこんな反撃にあうとは思いもしなかった。
そんなことを言えばセッカを困らせてフリーデに怒られるだけなので口にしないけれど。
アクセサリーに自分の目の色に似たものを選ぶということは、それだけ信頼されていることに他ならない。
でなければ身にまとおうという気になるはずがないからだ。
なんの他意もないまっすぐな好意は、久しく受けとっていないもので、予想以上の喜びが胸に広がる。
とはいえ感情のままに抱きしめるなど言語道断だし、そこまで莫迦にもなりたくない。
──正直なところ、この瞳の色はあまり好きではない。
なぜなら「父親」と似た色味だからだ。
けれど母に似ていても気にくわなかっただろうから、結局どちらと同じでも、不愉快に違いなくて。
そんな気持ちが少しだけ、軽くなったようで、我ながら単純なものだ。
どうにか平静をとりもどしたころには、例の石は選び終えていて、あとは使いやすいものをいくつか、という話になっていた。
店員が出してきたものをすべて購入しても、些少とは言わないが問題のある金額ではない。
全部包んでもいいくらいだったが、慎重に選ぶ姿を見ていると、それも言いだせず。
きまじめな彼女の様子を見ているのも楽しいので、また連れてきて少しずつ増やせばいいか、と思った。
そのあと店側の余計なお世話により、上機嫌のまま帰宅とはならなかったけれど、思ったよりセッカは平静だったので我慢もできた。
見たこともないので実感はないが、神樹自体に悪印象は持っていないらしい。それはそれで不愉快なのだが。
ピアノ室に移動した彼女に頼んだ曲は、はじめて弾いた時のもの。
セッカは不思議そうにしていたけれど、あの日の衝撃は、きっと忘れることはないだろう。
どこか頼りなげな異世界の娘が、別人のように生き生きとした表情で、一切の迷いのない指使いをする。
あふれる旋律は素人でもわかるほど素晴らしく、情感にあふれていた。
魔力が流れてきていることに、しばらく気づかなかったほど、クヴァルトは音の世界に浸りきっていた。
演奏が終われば、そこにいたのはたしかに同一人物で、その落差に驚くと同時に「これ」が彼女を彼女たらしめる大切なものなのだと、理解した。
ならば、これを奪うような真似は決して許してはならない。その時はまだ彼女のことを知っているとは言えなかったけれど、強くそう感じたのだ。
その時と同じように──いや、それよりも磨きをかけた演奏が流れていく。
あふれる魔力は旋律によって、踊るようであったり、静かに寄り添うようであったりしている。
そのどれもが心地よくて、これは余人に聞かせられないと思ってしまう。
こんな演奏を聞いたら、一度で陥落だ。
クヴァルトは己を御せるけれど、耐性のない者がこの調子で恋の曲など聞いてしまえば、跪いて愛を囁きたくなるだろう。
彼女は演奏家として、皆にも聞いてほしいと思っているようだから、早急になんとかしたい。
そんな効果まで生まれると知れば弾かなくなるかもしれないし、曲にあおられ馬鹿な真似をする者が出ても困る。
──なにより己が面白くない。
芽生えてきているこの感情の名前がわからないほど、クヴァルトは初心ではない。
けれど、それは綺麗に押し隠して、セッカに惜しみない拍手をおくる。
地位も金もあり、見た目も悪くない、一般的に見れば優良物件である認識はある、多少年齢は重ねているけれど。
だが、自分には致命的な問題が、それもひとつではなく存在する。
だからあくまで、保護者として。
いずれは誰か、それなりに身分のある、セッカと年の近い青年を見つけて。
──見つけたくないと思いながらも、その時のクヴァルトは、良識ある大人を演じるつもりだった。
ネタはありますがまたちょっと空きます。
年度末って……地獄ですね……




