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前進を、したい

 午後のピアノの練習時間。

 今日はお休みなのだけど、ルト様にお願いして、外出せずずっとピアノを弾いている。

 たまにこういう日がほしいんだよね、快く了承してもらえてよかった。

 ひっぱりだして弾いている曲は、店でリクエストされて追加した曲。

 その当時は特になんとも思ってなかったんだけど……

 あまり難しい曲ではないのだけれど、合間に挟むにはちょうどいいし、評判もよかったのでちょくちょく弾いていた。

 店での演奏は、巧ければいいというものでもないし、難しい曲を弾ければいいわけでもない、TPOに合わせたものが求められる。

 流石にあまりにも簡単だと気が抜けるけれど、流行の曲を抑えてくのも大事なことだった。

 あとは、お客様の年代に合わせた当時の流行歌とかも。

 ……どうしてそんな曲を唐突に弾いているかというと、その……わたしの気分の問題なわけで。

「キス」という名詞が入っているのだけれど……つまり、ルト様と、そろそろ先に進みたいなぁと考えたりしていて。

 恋人同士、になってから、ほとんど毎晩一緒に寝ているのだけれど、ルト様はわたしを抱きしめて、頭のてっぺんや髪の毛にキスをすることはあっても、それ以上をしてこない。

 勿論それは気を遣ってくれていることはわかる。わかるのだけど、段々物足りなくなってきて。

 かといって、恋愛偏差値が底辺な上に、愛情表現に難点のある日本人のわたしは、自分からそんなこと言えなくて。

 もし、それで軽蔑されたらと不安なのも、少しあるし。

 そんなもやもやから、選曲が恋愛ものになってしまっている。

 とはいえ、これらはすべてもとの世界の曲だから、これを弾いたからって通じるわけじゃない。

 昔友だちが、カラオケでこの曲を歌ったら、恋人からキスをされて「してほしいから歌ったんでしょ?」って言われた、と惚気ていたけど、まず無理な話だ。

 でもまあ曲は綺麗だから、これもフラウさんに聞いてもらってもいいかなと思いながら弾き終えると、ぱちぱちと拍手の音がした。

「ひゃあ!?」

 いつのまに、と椅子から本気で跳び上がりかけた。

 開いたドアに寄りかかっていたルト様は、わたしの驚きようにびっくりしている。

「なにかまずかったですか?」

「あ、いえ、そういうわけじゃないです、ただ、いるのに気づかなかったから、びっくりして」

 演奏の邪魔さえしなければ、練習中に聞かれてもかまわないと告げたのは結構前のことだ。

 それでも使用人のみんなはまずこないけれど、ルト様はわりとやってくる。

 その時も邪魔にならないよう、曲の合間にドアを開けたりと気をつけてくれている。

 今回はわたしが気がつかなかっただけだけど、なんというか居心地が悪い。

 楽譜の題名はわたしの世界の言葉で書いているから、ルト様に読めないからいいとして。

 わたしの返答に納得したらしいルト様は、いつもすわっている椅子に腰かける。

 そして手ずから飲物を入れて、どうぞ、と渡してくれた。

 色々な意味でカラカラになっていた喉を潤して、ついでにクッキーもひとつつまんでしまう。

 このクッキーはいつものお店のではなくて、ルト様の手作りだ。

 ……うん、順当に腕を上げているな、ルト様。

 というか、抜き型が増えている気がする……いつのまに……

「はじめて聞く曲ですね、もう一度お願いしてもいいですか?」

「……いいですよ」

 他意のないお願いをされては、断りにくい。

 断りにくいのだけど、下心満載だったので、ちょっと弾きづらい。

 それでも弾きはじめれば余計なことは抜けていくから、失敗はしなくてすんだ。

 ……でも、今度練習する時は、ルト様が仕事の日にしよう、うん。


 気恥ずかしさを抱えたままその後は過ぎていって、夜。

 はじめにわたしが押しかけたせいもあって、大体着替えるとルト様の部屋にお邪魔する。

 月に一度のアレでつらい時とかは一人で寝るけど、ほぼ九割一緒にいるんじゃないかってくらいだ。

 もう少し我慢したほうがいいのかと聞いてみたら、寂しいので嫌ですとものすごいストレートに返されて撃沈した。

 わたしが行くと、ルト様は大抵寝酒を飲んでいる。

 こっちはあんまり強くないので、弱いお酒をちょっとだけ飲むか、全然飲まずに喋るかどちらかだ。

 でも今日は、勢いづけもあって少しもらいたいかもしれない。

「わたしが飲めそうなの、ありますか?」

 問いかけると、そうですね、と棚を開けて、適当なものを見繕ってくれる。

 実用性の低そうな、装飾過多のカップに少しだけ入れてもらい、ちょっとずつ飲んでいく。

 わたしに薦めてくれるのは、大体甘くて飲みやすいものばかりだ。

 今日のもするする飲めてしまった、うん、これおいしいかも。

 この世界にはカクテルってないのかな、今度聞いてみよう。

 あっさりとカップは空いたけど、流石におかわりはやめておく。

 でも、ちょっとものたりないかもしれない。景気づけという意味でも。

「……ルト様のは、どんな味なんですか?」

 今日は氷もなく、そのまま飲んでいる。

 ちょっと味見してみたくなって、じーっと小さなグラスを見つめてみた。

「……かなり強いので、ほんの少しだけにしてくださいね」

 忠告しながら新しいグラスに入れようとしたけど、味見くらいならわざわざ用意しなくてもいいんじゃないかな。

 ルト様が棚を開けている隙に机の上に手を伸ばし、グラスに残っていたのを注意深くかたむける。

「からい……!」

 いや、痛い? 喉を通る時にひりひりした。

 慌てた様子のルト様が、すぐに水をさしだしてくれたので、一気に飲んでなんとか落ちついた。

 そのあとには、かぁっと熱くなってくる感触。

「これ、ほんとうに、強いんですね……」

 だからルト様でも小さいグラスに入れていたんだろう。

 心配そうに見つめるルト様は、でも、酔っている様子もない。

 顔に出ないだけかと思ったけど、どうやらそこそこどころじゃなく強いみたいだ。

 一口程度にしておいてよかった、思いっきり飲んでいたらもっと大変だっただろう。

 今度からは、もっと注意して飲もう……

 ちょっとふらふらしながらベッドへ行き、ぼすっといつもの場所にもぐりこむ。

 ボトルやらを片づけたルト様が、少しあとに反対側に入ってきたのが音でわかった。

 名前を呼ばれて顔を上げると、ルト様が離れた場所にいた。

 近づいてもいいかと聞かれたので、いいですよと答える。

 ルト様は、まず言葉で確認してくる、その時も、後ろとか、視線が合わない状態で声をかけることは基本的にしない。

 わたしのほうからも近づいて、最近の定位置であるルト様の胸の中にもぐりこんだ。

 片手は背中に、もう片方は頭に置かれて、ゆっくり髪を梳かれていく。

 それから、いつものように頭のてっぺんに微かな感触。

 そのままお休みなさいと続けられるのがいつものことなので、その前に慌てて口を開いた。

「……あの」

「はい?」

 とりあえず呼びかけてみたものの……どう言えばいいか固まってしまう。

 直接キスをしてほしい、なんて、……無理だ、言えそうにない。

「……あの、その、そこだけじゃなくて、その」

 こそあど言葉だらけになってしまって、我ながら情けないけど、それ以上言葉が出てこない。

 それでも意味は通じたらしく、ルト様は不思議そうな顔から一転、気遣わしげなものになった。

 あやすように背中を軽くさすりながら、群青色の瞳が見つめてくる。

「……大丈夫ですか?」

 恐くないかとか、そういう含みを持ったそれに、たぶん、と呟く。

「あいつらは、そういうことしませんでしたから」

 あれは、……あれは、たとえるなら作業、というのが一番合うんだろう。

 愛情なんてあるはずもなくて、ただひたすら、目的のための行動というだけで。

 そこに少しでも情があってくれれば、もう少し許せ……ないけど。

 予想通り、ルト様は明らかに不快げに眉を寄せる。

 きっと脳内で燃やしたいって思っているんだろう。

「あ、でも、ルト様がしたくないなら、いいんですけど……」

 そういうコトができないから、興味もないのかもしれない。

 だとしたら、あまり我が儘も困らせてしまう。

 今さらそれに思い至って、わたしは慌てて添えると、ルト様はちょっと苦笑いをこぼした。

「したいとは、思っていますよ。ですが……諸々の事情を抜きにしても、あなたはこういうことに不慣れのようでしたから」

 ──恋愛偏差値が低いことは、バレバレらしい。

 順序立てて進めていくつもりだったのかもしれない。

 それをこっちから砕いたのは、ちょっと申しわけないけど……

 ルト様はするりと手を動かして、わたしの頬を両手で挟みこんだ。

 ゆっくり顔が降りてきて、まずは額にキスが落ちる。

 小さな音を立てて何度か繰り返されたあと、今度は頬を交互にする。

 合間には甘い声で名前を呼んでくれるから、恥ずかしさに目を閉じても恐くはない。

 恐くは、ないんだけど……恥ずかしすぎて無理。

 あの、と声をかけようとしたその時、本当に微かに、唇に暖かい感触があった。

 置く場所を探していた手が、無意識にルト様のシャツをにぎりしめてしまう。

 最初はほんのちょっとだったけれど、わたしが恐がってないことがわかったのか、次のキスはもう少し長かった。

 それを幾度か繰り返されるたびに、心臓がものすごい勢いで飛び跳ねているような気になってしまう。

 目を開けるなんてとてもできなくて、横になっているのに目眩がしそうで、必死にシャツをつかんでいると、その右手をやわくにぎられた。……いわゆる、恋人つなぎというやつで。

 その後も何度も続いて、最後にほんの少しだけ、深めのキスがされて、顔が離れて抱きしめられる。

「じ、自分で言った手前でなんですけど……」

「ものすごい真っ赤ですね」

 やっぱり。見えないようにと頭をぐいぐい胸に押しつける。

 そうしたら今度はいつもどおりの頭のてっぺんにキスが何度も落ちてきた。

「少しずつ慣れていきましょうか。……まあ、当分このままでも、可愛らしいので構いませんが」

 平気になったら、色々グレードアップするんだろうか。

 長いこと女性とは無縁だったはずだけど、ルト様の行動はなんていうか……慣れている。

 そのへんを考えるとむかむかしてくるだろうから、意図的に追いだすことにした。

 これ以上のキスだって、経験がないわけじゃない。

 だけど……こんなにゆっくり、丁寧にされたことはあまりなくて、開けてはならない扉にさわってしまった気がしてならない。

 でも、相手はルト様だし、他のひとに知られるわけじゃないし。

 とりあえずものすごく嬉しそうにしているから、まあ、いいかと、酔いも回った頭は悩むことを放棄した。

 平井堅「Kiss of Life」

 オリジナル・ラヴ「接吻」


 どちらかかなという感じで書いていました。

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