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猶予の三日目(2)

 ルト様が帰ってくるまでそんなに時間がなかったので、あまり練習はできなかった。

 それに、気を抜くと違うことを考えてしまうので、なかなか集中もできなくて。

 ……考えるのは、ルト様とのことだ。

 いつまでも曖昧なままというのは、最初こそ嬉しいだけだったけど、段々微妙になってくる。

 勝手なことだけど、態度の変わらないルト様にも、苛々してきてしまって、いつ暴言を吐かないかひやひやしてきているのだ。

 こんなふうになる自分も嫌で、ピアノに集中できないのも嫌で。

 これらを解決する方法は、とてもシンプルなんだけど、勇気が出なくて、ずっと引き延ばしていた。

 だけど、このままでは遠からず、わたしの気持ちが決壊してしまう。

 その時に無茶苦茶なことをしでかすよりは、まだ冷静なうちになんとかしたい。

 ──悩んでいるうちにも指は動いて、静かなメロディを紡ぎだす。

 わたしの名前に似ている、雪を降らせるその曲は、手が覚えているから考えごとをしながらでも弾けてしまう。

 こうして弾いていると、ごちゃごちゃしていたことが、少しずつそぎ落とされていく。

 そもそもが簡単なことなんだけど、……なにせわたしは、自分から告白したことが、ないわけで。

 恋だ愛だよりピアノに夢中だったからなんだけど、恋愛スキルの低さに絶望したくなる。

 当然ながら色々なテクニックなんてのも、職場のおねえさんのコイバナをぼんやり聞いていた程度だから身についているはずもなく。

 こんなことならちゃんとご教授頂けばよかった、と後悔してももう遅い。

 いっそピアノに託そうかと考えたけど、この世界での告白の定番曲なんて知らないし、聞くわけにもいかない。

 わたしの世界のでは、ルト様に通じないので、この手は最初から詰んでいる。

「ああー……もう……」

 結局すなおに頑張るしかないんだろう。

 手紙とかも考えたけど、それだけ渡して一人で寝ますって言ったら、絶対根掘り葉掘り質問される。

 そしてわたしはそれに答えられる自信はない。

 相手は十も年上で、それなりにめんどくさいひとたちと渡り合ってきた政治家なのだ。

 そもそもわたしに太刀打ちできるはずがない。

「……うん」

 とうに結論は出ていたのだけど、ようやくそれを認めて、わたしは気を落ちつかせるためにも好きな曲をガンガン弾いていく。

 明日はちょうどお休みだから、きっとなんとかなるだろう。

 できれば、いい意味でなんとかなってほしいなぁなんて、思いながら。


 ──当然そんなことを知らないルト様は、いつもよりちょっと遅れて帰宅した。

 腹芸は得意じゃないけれど、もともと表情筋が死に気味なので、不審がられてはいないらしい。

 もし聞かれたら、申しわけないけどフラウさんの話を出すつもりだったけど。

 だから今日の曲は、それなりに得意なものにしてお茶を濁しておいた。

 訊ねられることもなかったし、様子がおかしいと勘づかれもしなかったので、フラウさんとの話はしないままにした。

 内容的に吹聴していいものじゃないし、ことルト様にその話をするのは、いやがらせみたいだし。

 ……そういえば、ここの場合は親戚づきあいって、あんまりなさそうだ。

 前々領主の親戚は完全に他人だし、お母様のほうの親戚は王族だから、簡単に会えるわけじゃないし。

 となるとやっぱり、お祖父様には早く会って挨拶したいところだ。

 まあ、今後によっては、それもできなくなるかもしれないけど……

 お母様の様子は知っているようだけど、実際会ってはいないらしいし、わたしもあんまり会いたいとは思えない。

 アディさんたちがいなかったら、母親役もいなかったかと思うと、結構恐い話だ。

 あ、でも、お祖父様の奥様はいたのかな……?

 聞いてみたくなったけど、流石に夕食の席ではうまく言える気がしなかったので、ありきたりな話に終始した。

「……それで、明日はどうしましょう?」

 いつもどおり休めそうですと言われたけれど、わたしの今夜の行動によっては、明日の予定は白紙になりそうなわけで。

 具体的に決めて予約などを入れられてしまっては、相手にも迷惑がかかってしまう。

 ええと、と口ごもるわたしに、ルト様は変わらず穏やかな表情だ。

 特に慰問などもないらしいので、好きに決めていいと言われても困ってしまう。

「起きてから決めますか?」

 行き先に悩んでいると思ったのだろう、そう提案されて、本当は違うのだけど、そうさせてくださいと答えた。

 柔らかい表情と声のトーンは、少しも違わない、つまり、とりたてた感情の波もないってことで。

 わたしは一喜一憂しているけれど、ルト様は平常運転ということだ。


 ……甘やかしてもらっているのは嬉しい。

 本当はよくないことだけど、毎晩の添い寝は安心する。

 自覚はないけど、ルト様いわく添い寝してからは魘されていないそうだし。

 その前はそこそこの頻度であって、一時期落ちついたと安心したら、使者がきてからぶり返していたらしい。

 だから、わたしが嫌だと言わないかぎり、ルト様はいくらでも一緒に寝てくれるだろう。

 だけど三日続いたそれは、嬉しいのと同時に、どんどんもやもやしたものが大きくなってきて。

 いつまでも悩んでいてもどうしようもないから、できれば当たって砕けたくはないけど、とにかくぶつかろうと決めたのだ。

 その結果が最悪なことになったとしても、公爵様の持ち家はいくつかあるというから、そのひとつにでもしばらく住めばいいだろう。

 ピアノと枝があれば、一応生活はできるだろうし、大分常識もついてきたし。

 市井の生活はよく知らないけど、もとが庶民だから、きっとなんとかなるはずだ。

 ……なんて、フられる前提で考えちゃったのが、なんだかなぁだけど。

 正直、うまくいく確率のほうが低いだろうし。

「セッカ? ぼんやりしていますが、体調でも?」

 流石にぼけっとしすぎたらしく、ルト様の気遣わしげな声がとどく。

 ああ、この丁寧な声が好きだなぁと、うっかりこぼしかけて、慌ててなんでもないですと首をふった。

 ちょっと勢いをつけすぎて、逆に心配されたけど、授業を延長したせいですと誤魔化した。

 延長と聞いて心配してきたルト様に、途中で休憩したりピアノを弾いたからですよ、と答えて安心させる。

 本当に過保護で、嬉しいけど、やっぱり複雑で。

 でも、そんなもやもやも、今日で最後にしよう。

 わたしは胸に決意を秘めて、いつもより念入りにお風呂で身体を磨いた。

 今さらそうしたってあんまり意味はないし、そもそも寝る時はすっぴんだけど、気の持ちようというやつだ。

 今日はたまたまということにして、普段より装飾が多い、かわいい寝間着にしたのも、あくまで偶然……と、言うには、流石に厳しいか。

 お休みなさいと挨拶してきたウェンデルさんを引き留めると、どうしました? と首をかしげられた。

 さっき、今日もお好きにどうぞーと軽く言ってきたから、まだなにか、と聞きたいのだろう。

 フリーデさんがお休みだったのは、よかったのか悪かったのか、多分いたら、どことなく挙動不審がバレただろうし。

「……もし、この邸から出ることになっても、できればついてきてくれると……嬉しいんですけど」

「はい?」

 すごくすっとんきょうな声を返された。

 結構真剣に言ったつもりなんだけどなぁ。

「え、なんですか旦那様に愛想尽きました?」

 いやだからどうしてそうなるんだ。

 なんか時々、いや結構? ウェンデルさんとは言葉が通じない気分になる。

「そんなのあるわけないです。けど、その……一応っていうか……」

 まさか告白するつもりです、玉砕したら近くにいるのはつらいからどこか行きたいです、とまでは言えず、もごもごと語尾を濁してしまう。

 察してほしいと顔を伺いみるけど、ウェンデルさんはいつものんきな表情を崩さないので、なにを考えているか読みづらい。

 訓練のたまものなのか、声のトーンも滅多に変化しないのだ。

「まあ、私が言うことじゃないですね。とりあえず私と先輩はセッカ様の味方なので、だいじょーぶですよー」

 気楽な言葉だけど、それが逆にありがたかった。

 味方だと言ってくれるだけでも、結構嬉しいものなんだなぁ。

「じゃあ、行ってきます」

「なんか戦場赴くみたいなノリですけど、行き先は旦那様の部屋ですよねー?」

 それこそが今のわたしには戦場なんですと心の中で呟いて、わたしはウェンデルさんと一緒に部屋を出た。

 階段のほうに行った彼女は、周囲をぐるりと観察し、親指を立ててみせる。

 ……見回りはいないから大丈夫、って意味なんだろう。

 うなずきを返すと、数歩先のルト様のドアを眺める。

 何度か深呼吸をして、うるさくなってきた心臓をおとなしくさせようとするが、あまり効果はなかった。

 こんなに緊張するのは、コンクールの時以来かもしれない。

 あの時は、でも、むかう先にピアノがあって、弾きはじめればただその世界に入れたけど、今回はそうじゃない。

「……よし」

 何度目かの深呼吸のあと、意を決してドアをノックする。


 ──それが、深夜にわたしからルト様の部屋のドアを叩く、最後の日になるなんて、その時は当然、知らなかった。

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