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猶予の三日目(1)

 今朝起こしにきたのはアディさんだった。

 らしいというかなんというか、仁王立ちで叫べば、跳び上がるようにルト様が目を覚ます。

 長年そうやって起こされていたんだろうなぁ、と、子供のころが見えたようで、思わず笑ってしまった。

「まったく、いつになったらちゃんと起きられるようになるんですか」

 ぷりぷり怒るアディさんに、すみません、と謝る姿は小さくて。

 複雑な事情を聞いた今は、なおさらこういうやりとりがいいなぁと思う。

 この邸に勤めるひとたちは、何代も前から家族ぐるみで、というのが多いらしい。

 だから「ルト様」にというより「公爵家に」と仕えているというほうが正しいのだろう。

 でも、それでも、長く一緒にいれば情がわくだろう、今のアディさんたちみたいに。

 ルト様はそれもあってどこか遠慮というか、一線を引いている感じがある。

 勿論身分的にもそうなるのはしかたないんだけど、でも、もうちょっと砕けてもいいんじゃないかなと感じるのだ。

 わたしがその橋渡しになれるかどうかは……性格的に難しそうなんだけど。

 そんなやりとりを経て身支度をして食事をすませ、ルト様は仕事に行く。

 そのあとでやってきたフラウさんは、見た目こそ普通だったけれど、気落ちしている様子だった。

「あの……早いですけどお茶にしません?」

 だから、授業をはじめてキリのいいところで、わたしから声をかけた。

 昨日空いちゃったから、本当はちゃんと勉強すべきなんだけど、どうしても心配なのだ。

「……そんなにわかりやすかったですか?」

 フラウさんの言葉に、いえ、と首をふる。

 態度におかしなところはないし、授業だっていつもどおり的確だ。

 他のひとはあんまり気づいていないだろう。

 ならどうしてわたしが勘づいたかといえば、単純に「音」だ。

 いつもどおりにしているつもりでも、咄嗟の時の声には本当の気持ちが出てくる。

 時折混じる低い音が、気分が落ちこんでいることを知らせてくれた。

 わたしは表情から機微を察知するのは疎いほうだけど、音に敏感なところでなんとかなっている。

「お土産も買ってきたんです、だから」

 用意しておいたお菓子の袋を見せると、困ったような、でも嬉しそうに笑って、ありがとうございますと言ってくれた。

 ひとを呼んでお茶の用意をしてもらい、午前中から優雅なティータイムとしゃれこむ。

 ……たまにはいい、だろう、うん。

「昨日の集まり、そんなに大変だったんですか?」

 フラウさんが凹んでいる原因なんて、それ以外浮かばなくて訊ねると、とりつくろうことをやめたらしく、ええ、と沈んだ声が返ってきた。

 なんでも昨日は、親戚の誰だかの誕生日で、それがなんと九十三歳。

 この世界では、というかどこでもだと思うけど、その年齢まで元気というのは珍しいもので、そのひとの誕生日には親戚が集まるのが恒例になっているらしい。

 まだまだ頭もしっかりしているらしく、挨拶する親戚たちに、一言ずつ声をかけてくれたそうなんだけど……

「……子供はまだか、と、聞かれてしまって」

 ──フラウさんはわたしより少しだけ年上だ。

 ちなみに、結婚したのは十年くらい前らしい。

 そして、夫は長男で、そこそこちゃんとした肩書きを持っている。

 となれば、跡継ぎはまだかとなるのは、わたしでも想像できる。

 魔法やらなんやらのおかげで、この世界の妊娠出産は、現代科学がないわりに危険は少ないらしいけど、それでも若いほうがいいのは間違いない。

 フラウさんはそれ以上あれこれ言わなかったけど、ここまで気落ちしてるってことは、他の親戚からも色々言われたのだろう。

 これが実家だったらまだマシだろうけど、行った先は嫁ぎ先の親戚なわけで。

 遠慮や気遣いをしない親戚だったら……うん、すごく嫌な想像しかできない。

 かくいうわたしも姉が早く結婚していて、わたしの仕事も不安定なものだから、結構色々言われていた。

 さっさと誰か見つけてピアノは趣味にしておきなさい、とか、結婚してから家でピアノ教室でも開けばいい、とか……全部無視したけど。

 両親や姉はそういうことを言わなかったけど「一人にしておくと心配だから」とはさんざん心配された。

 ……それはともかく。

「フラウさんのご主人は、なにか言ったんですか?」

 今はこっちの問題だ。わたしの質問に、今度は照れたような苦笑いを浮かべた。

 その場には当然ご主人もいたそうで、流石に九十歳の親戚には笑顔で受け流したものの、親戚からの嫌味には、ものすごい笑顔と嫌味で応戦したらしい。

 危うく喧嘩になりかけたらしく、別の意味でひやひやしました、とノロケなんだかなんだかわからないしめくくりがされた。

 フラウさんは姉妹もいるし、ご両親も健在だけど、ご主人のほうは両親もおらず、妹も早くに亡くしているらしい。

 だから家族がほしい、というのは二人の強い希望なのだけれど、いっこうに授かる様子がない。

 年齢も年齢だし、親戚にはせっつかれるし……と、流石に疲弊してしまったようだ。

 ……うーん、難しい問題だ。

「主人は気にしなくていいと言っていますけど……」

 自分の身体に問題があるんじゃないか、と、消え入りそうな声で囁いた。

 それなりに続いている家だから、私のせいで断絶もさせたくない、という言葉は、正直わたしにはわからない。

 好きなひととの子供がほしいというのも、申しわけないけどぴんとこない。

 でも、フラウさんにとってはものすごく重要なことなわけで、わたしが「そんなのいいじゃないですか」と告げたってどうにもならないのだ。

 フラウさんだって答えがほしいわけじゃないんだろう、ごめんなさい、と謝る目の端は赤い。

「……わたし、口ベタなので」

 しばらくしてそう口を開く。フラウさんは、きょとんとした顔でわたしを見た。

「慰めるのとかも、なんか違う気がするし、どうせうまく言えないんで、まだこっちの世界では、誰にも聞かせてない曲を用意しました。──聞いてもらえませんか?」

 結局わたしにはそれしかないのだ。昔は悩んだりしたけど、今はもう開き直っている。

 ひとそれぞれ得意なことは違うのだ。わたしはこれで──まあ格好つけて表現するなら、戦うだけだ。

 フラウさんがうなずいてくれたので、一緒にピアノ室へ行く。

 練習しておいた曲を譜面台に置いて、こっそり忍ばせてある神樹のミニチュアもセットする。

 流石に、わたしの力で不妊が治るとは思えないし、変に気合いを入れて悪影響が出ても困る。


 まず一曲目は、穏やかな曲。

 当時としては珍しい、女性作曲家による作品だ。

 たしか彼女は子だくさんだったし、柔らかい曲調が、フラウさんのイメージに合うと思ったのだ。

 硬質にならないよう、穏やかに響くよう、丁寧に曲を紡いでいく。

 三分ちょっとなので、曲はすぐに終わる。

 手を離すと、フラウさんがぱちぱちと拍手してくれた。

 表情を見るに、そこそこ気に言ってくれたらしい。

「嫌じゃなければもう一曲、弾きますけど」

「そんなにいいんですか?」

 大変なんじゃ、と心配されたけど、これくらい仕事の時に比べればなんてことない。

 平気ですよと答えて、もうひとつのほうを用意する。

 三楽章全部はちょっと長くなるので、一番有名な第三楽章だけにしておこう。

 まあ、これはまだ弾きやすいほうだから、いける……はず。

 これは題名からぴったりだと思ったし、まあ、これを書いた相手は恋人じゃないけど……もとになった歌詞は恋愛ものだからいいはずだ。

 さっきより甘く、でもどこか悲しげなところも感じられるように弾いていく。

 どこか夢の中のように曖昧な、それでもしっかり存在感を示して。

 ……大分気合いを入れたせいか、弾き終わった時はちょっと疲れたけど、それは気持ちのいいもので。

 精一杯の大きな拍手をくれたフラウさんの顔は、さっきより明るくなっていたので、ああ、よかったと嬉しくなる。

「とても素敵でした、独り占めなんて勿体ないくらいです」

「だったら、次はご主人を連れてきてください」

 この二曲はそれまで他には聞かせませんから、と告げれば、はにかみながらありがとうございます、と返ってきた。

 曲はまだまだあるから、これが弾けないからってなんてことはない。

 相手に喜んでもらえれば、奏者としてこれ以上のこともないし。

 そのあとは調子をもどしたフラウさんと部屋にもどって、勉強の再開。

 ピアノを弾いたりした分は、時間が大丈夫とのことなので、昼食後も補習じゃないけど続けた。

 休みを調整してご主人とくると約束をして、フラウさんは午後のお茶のあと帰って行った。

 ……ちょっとは気が軽くなってくれればいいけど、こればかりは夫婦の問題だ。

 テクラ・バダジェフスカ「乙女の祈り」


 フランツ・リスト「サール番号541・3つの夜想曲」より「第3番 愛の夢」

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