表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/124

猶予の一日目

 目が、覚めて、少し離れた位置にある、クヴァルト様の顔に驚いた。

 ぎゃっと叫びかけて、慌ててひっこめる。

 そうだ昨夜、押しかけたんだった……

 片手はつないだままで、だけどそれ以外はなにも眠る前と変わっていない。

 クヴァルト様、じゃない、ルト様は、すやすや眠っている。

 ……どうしよう。

 そろりと手をほどいても、起きる様子はない。

 このまま部屋にもどるのは、流石に失礼な気がする。

「ルト様、起きてください」

 声をかけてみるが、反応はない。

「ルト様、朝ですよー」

 もうちょっと声を強くしたら、掛け布団をひっぱってくるまってしまった。

 ……なにこれ、かわいい。

 もしかして、ルト様って、寝起きが悪い?

 かわいいけど、困ってしまう、揺さぶったりしていいものなんだろうか。

 おろおろしていると、コンコンとノックの音がする。

 時計を見ればわたしが起きる時間にはまだ早いけど、誰かきたらしい。

 まずい、と思ったけど、出入り口は一つしかないから、逃げることもできない。

 すぐにドアの開く音がして、衝立からやってきたのはフリーデさんだった。

「ふ、フリーデさん、あの、その」

 なんて言えばいいかわからなくて、結局まともな言葉は出てこない。

 おろおろするわたしに、フリーデさんはいつもどおりの表情で微笑んだ。

「おはようございます、セッカ様」

「お……おはよう、ございます」

 ここにいることを驚いている様子もない。ウェンデルさんから聞いたのかな。

「大丈夫ですよ」

「な、なにがですか!?」

 慌てるわたしに、いつもどおりの調子で告げてくるけど、それはどこにかかっているのか。

「昨夜からのことはウェンデルから聞いています、知っているのはごく一部ですから、セッカ様はいつもどりに過ごしてください」

 あ、そういう……ええと、フリーデさんはルト様が「そう」なこと知ってるんだろうか。

 ウェンデルさんは知らないって言ってたから……もしかして?

 それならわたしがここにいても、なにもなかったことはわかるだろうけど。

 質問するのは恥ずかしいし、知らなかった場合が大変なので、スルーさせてもらう。

「旦那様はなかなか起きませんから、生半可な方法では駄目ですよ」

 フリーデさんはてきぱきと動き、カーテンを開けてから、かけておいたガウンを手渡してくれたので、袖を通す。

 ついでにぼさぼさだろう髪の毛も手櫛で整えた。

 その間にフリーデさんは掛け布団に手をかけて、ばさっ! と一気にはぎとった。

 ルト様は寒そうに震えたあと小さく唸り、もぞもぞと起きあがる。

「この起こしかたは……フリーデですか……」

 どうやら相手によって違うらしい。

 というか、ここまでしてもまだ寝ぼけているってすごい。

「早く起きてください、セッカ様が困っていますよ?」

 しれっと言い放つフリーデさんに、ルト様がようやくわたしを見た。

 ……目が合うと、照れくさくて視線をうろつかせてしまう。

 ルト様は少しとまどったあと、笑ってみせた。

「……恥ずかしいところを見せましたね」

「あ、いえ、お得な感じです。おはようございます」

「お得ですか。……まあ……いいです。おはようございます」

 正直に答えたらフリーデさんが横で笑ってた。

 いつもきっちりしてるひとの、砕けたところって、見るとラッキーって気持ちになる。

 挨拶もできたので、わたしは自分の部屋へもどり、フリーデさんがくるまでに支度をすませておく。

 朝食を食べに下に行けば、そこにいるのはいつもどおりのルト様だ。

「おはようございます、セッカ」

 にっこりと改めて挨拶される。

 さっき言ったけど、と言いかけて、そうだバレたら困ると挨拶を返した。

 今日の授業は休みますかと心配されたけど、大丈夫だからと連絡はしないでもらう。

 昨日は激動の一日だった……濃縮されまくってて、何日も経過した気がする。

 でも、そのおかげで大分すっきりしたから、授業もちゃんと受けられそうだ。

「なるべく早く帰りますね」

 いつもどおりの過保護な科白、でもそこに甘さが入っているような錯覚をしてしまう。

 はい、とうなずくけれど、いつもどおりにできているか全然自信がない。

 そもそも、普段どういう態度をしていたっけ……

 うーんと悩みながら、フラウさんを出迎えて、授業に入る。

 昨夜のことは伏せて、枝のせいか夢を見たこと、ピアノの演奏で雪を降らせたことなどを報告する。

 フラウさんは魔法にも詳しいので、アドバイスがもらえると思ったからだ。

 予想どおり、調べてみますねと心強い返事をもらえた。

 ただ、人前でやると、よからぬ輩に利用されかねないからと注意もされたけど。

「その話のあとで申しわけないのですが……」

 授業の最後に恐縮したフラウさんから、明日は休みにさせてほしいと言われた。

 なんでも、親戚の集まりがあるのだそうで、欠席するわけにはいかないらしい。

 わたしの授業は毎日やらなきゃいけないものでもないので、構わないですと答えたら、感謝されたけど、その表情はどこか浮かないもので。

 一同が集まるのでなかなか大変なんです、と笑い話めいて告げているけれど、声のトーンはいつもより低くて堅かった。

 ……親戚づきあい、あんまり嬉しくないのかな、と考えて、それはそうだよなと思う。

 夫側の親族らしいから、気疲れとかもすごいだろう。

 気をつけて、くらいしか声をかけられない身を歯がゆく感じながら見送った。


 さて、なら明日はどうしよう。

 ルト様は仕事だろうから、一日中ピアノを弾いているのでもいいんだけど……

 ひきこもっているのもよくないし、と、あれこれ考えながら楽譜の選定をする。

 疲れてくるだろうフラウさんに、明後日に新しい曲を披露しようと思ったのだ。

 結局、わたしのできることはこれしかないし。

 あれもいいこれもいいと楽しく悩んだ結果、なんとなくこれ、と決まったので、残りは練習にあてた。

 一曲はわたしでもキツイから、もうちょっと精度を上げておきたいなぁ……とムキになっていたら、ちょっと根を詰めすぎたらしく、フリーデさんに怒られた。


 休み明けだからだろう、早く帰ると言っていたけど、ルト様の帰宅は少し遅くなった。

 そのおかげで長時間練習していたことはバレなかったので、わたしとしてはよかった……かな?

 あとで密告されなければ、だけど。

 申しわけなさそうな顔をしていたので、気にしていませんよと伝えておく。

「今日も雪、降らせます?」

 やる気満々で問いかけたら、渋い顔で駄目です、ときた。

「昨日二度も降らせたでしょう、無理はいけません」

「元気ですよ?……その、よく眠れましたし」

 わたしの言葉にルト様は嬉しそうにしたけれど、すぐ表情を改めて、でも駄目ですと重ねた。

 本人が平気って太鼓判を押してるのに、と思ったけれど、魔力が実感できない身なので説得力に欠けてしまう。

 観察術士を呼んでおけばよかったかな、と後悔したけど、しかたがないので、枝を出して普通に演奏した。

 ……でもこれだって魔力を吸ってるから、変わらない気がするんだけどなぁ。

 演奏自体を止められたら嫌なので、黙っておくことにする。

 何曲か弾いて、夕食を一緒にとって、と、いつもどおりにすぎていく。

 昨夜のことを知っているのはごく一部、という言葉どおり、みんなの視線に変わったところはない。

 わたしのほうから聞くのも恥ずかしいので黙っているけど……どこまでなにを知っているかは、あとで聞いておかなくちゃ。

 でないとうっかり口を滑らせてしまいそうだし。


 お風呂も入ってあとは寝るだけ、という段階になって、いつものように、お休みなさいの挨拶をする。

「……寝酒が欲しければ、またどうぞ」

 三階の廊下にいるのはわたしたちだけだったけれど、それでもぎりぎりまで声を潜めて囁かれる。

 その言葉の裏の意味に気づけないほど、わたしも子供じゃない。

 それでも、何度も甘えていいものかと悩んでしまう。

 でも、わたしの踏ん切りがつかないことなんて、ルト様はお見通しで。

「私も少し、飲みたいので」

 わたしだけじゃないんだと、同じ気持ちなんだと伝えてくれる。

 ……本当にいいんだろうか。

 とりあえず部屋にもどったものの、ベッドに入る気にはなれなくて、うろうろとさまよってしまう。

 だけど、目の前に魅力的なお誘いがあって、それを蹴飛ばして一人で寝るなんて選択肢は、なかなか選べないわけで。


 迷ったわたしは、とりあえずウェンデルさんのいる部屋のドアを叩く。

「はーい、今夜も見ないフリしますよー」

 なにか言う前に宣言されてしまって、身の置き所がない……

 お願いしますと気軽に返事もできなくて、ドアの前で立ちつくしてしまう。

 ウェンデルさんはそんなわたしを眺めて首をかしげた。

「どうしました? 悩んでるみたいですけど」

「だって……いいのかなって」

「いいんじゃないですか? 旦那様がいいって言ってるんですし」

 ウェンデルさんはけろりとしたものだ。

 そんなにさっくりとは思い切れないんだけど、でも……

「……行ってきます」

「は~い」

 ……やっぱり、一人は寂しくて。

 ウェンデルさんの顔に押されるように、ルト様の部屋へ移動する。

 コンコン、とノックすれば、すぐにドアは開いた。

 昨日と同じような格好のルト様が出迎えてくれる。

 机の上には、昨日と違うグラスとお酒。

 相変わらずドアを閉めないままなのは、わたしへの気遣いなんだろう。

 おずおず中へ入ると、昨日と同じソファをすすめられる。

 お酒は見た目からして違っていたけれど、あまり強くないものではあるらしい。

 甘い果物の味がしたから、フルーツワイン? とかなんだろう。

 あんまり強くないお酒だけど、飲めば少しは酔って、判断力とかも、低下する。

 ……それが、いいわけだとわかっている。

 眠気にグラスを落としそうになったところで、さっと別の手がさらっていった。

「……そろそろ、休みましょうか」

 いつもと変わらないルト様の声に、安心すると同時に、もやもやした気持ちにもなる。

 わたしばかりが悩んでるみたいで。……実際、そうなんだろうけど。

 ルト様にしてみれば、ぐずってる子供をあやすような感じなんだろう。

 そうでなければ、こんなこと、していいわけがないし。

「……もうちょっと、話したかった……のに」

 昨夜と同じ場所にもぐりこんで、片手だけを繋ぐと、どんな話ですか、と訊ねられた。

 どんな、って、具体的にあるわけじゃない。

 あ、誰がどこまでこのことを知っているかは聞きそびれた……けど、流石にもう聞けそうにない。

「二人きりで話せるのって……今だけ、だし……」

 それ以外は、大体そばに控えているひとがいる。

 演奏する時は部屋からは出ているけど、廊下にはいるわけで。

 なにか喋ったら簡単に聞こえてしまう距離だ。

 勿論守秘義務とかあるから、遠慮なく話してもいいんだろうけど、やりにくいわけで。

 そういう意味でもこの時間は、とても貴重なものなのに、眠気がひどくて勝てそうにない。

「……なら、夕食後のお茶を早めに切りあげましょう。そうすれば、時間がとれますよ」

 しばらくの間があってからの提案は、眠い頭ではうっすらとしか理解できない。

 でも、たしかに、それなら眠くなる前に話せる気がする。

 ……いいですねって言ったつもりだけど、成功したかはわからない。

 だけど、条件反射のようにねむくて、我慢できなくて──寝落ちしてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手
 設置してみました。押していただけると励みになります。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ