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蜂蜜の夜(4)

「……こう言っては何ですが、愛人を持つこと自体は、ままあることなんです」

 愛情よりも、家の都合や政略で結ばれるのが貴族社会。

 相手に対して情を持てればいいほうで、まして恋愛結婚なんて夢のまた夢だ。

 今の国王は、政略結婚だったけれど、王妃と相思相愛になれた。

 だから感情の伴わない結婚を減らそうとしているらしいけど、簡単にいくものではないだろう。

「ただし誰でも愛人にできるわけではありませんし、跡継ぎを産んでからという暗黙の了解もあります」

 公爵領の場合、跡継ぎは重要ではなかったけれど、相手が問題だった。

 ぶっちゃけ、神官との密通そのものは、結構あるらしい。

 この世界の神官は、少なくともわたしが見たかぎりでは頭髪もそのままで、服装以外あまり一般人と違いがない。

 イケメンがいたら、お祈りついでに……というのがあるんだそうだ。

 なんだかなぁと思うけれど、うろ覚えの世界史でも、そういうのがあった気がする。

 だけど子供が生まれてしまうとなると、色々と厄介になるわけで。

「色々と揉めたそうですが、最終的に、母は出産後、辺境の修道院に入ることで決着がつきました」

 修道院に行くこと自体は、夫の喪に服すためというもっともらしい理由がある。

 再婚するとなると子供の存在が問題になってきてしまうし、恋人がいるのに再婚なんて絶対嫌だとはねのけたらしい。

「そして彼女は修道院へと行き──同じころに一人の神官が、還俗して姿を消しました」

「それって……」

 もしかしなくても、という呟きは、クヴァルト様の皮肉げな笑みの前に消えてしまう。

 修道院というと女性だけのイメージだけど、この世界では必ずしもそうじゃないらしい。

 というか、修道院に入ったというのは表向きで、実際はそこそこ立派なお屋敷に、お供を連れて引っ越した、というのが正しいようだ。

 娘に大変な暮らしはさせられない、という、父王の温情だったらしい。……甘過ぎるんじゃないか、父王。

「そして供の中には、新参の青年が混じっていました」

 淀みなく告げていくのが、逆に恐い。

 流石にそれが誰かは、わたしでもわかる。

 ──彼女はそれを「真実の愛」だと主張したそうだ。

 結婚した相手のことは嫌いではなかった、支えたいと本気で思っていた。

 でも、愛しているのは別人なのだ、と。

 いいのか悪いのか、神官のほうも本気で、二人の気持ちに周囲が折れた結果になったわけだ。

「まあ、事実だったのではないですかね、調べたかぎりではうまくやっているようですし──」

 くすくすと、場違いなほど楽しげな含み笑い。

 こんなに背筋が寒くなる笑い声は、はじめて聞いた気がする。

「──真実の愛の前には、生まれたての子供を置いていく罪悪感もなかったようですしね」

 ……ひどい話だ。

 つまり、クヴァルト様のお母様は、母である前に女だった、ってことだろう。

 恋人と別れなきゃならないと思ったから、二人の子供を思い出代わりに産むと決めたけど、いざ恋人と一緒にいられるとわかったら、どうでもよくなったわけだ。

 なんて、勝手な話だろう。

 そもそも政略結婚がよくないわけで、そういう意味ではお母様も被害者かもしれない。

 けれど、でも、だからって、あんまりじゃないか。

「さて、困った二人は遠くへ追いやれましたが、子供の問題が残っています」

 この世界でも扱いに困る子供を神殿に送ることはあるそうだけれど、対外的には領主の息子なので、送る理由としては弱かった。

 けれど世襲制ではない公爵だから、次期公爵にするのもいかがなものか。

 そもそも生まれたばかりだから、誰かしら領主を立てなければ、領地経営に問題が出てしまう。

「養子にするにも出自が足かせとなり、一代かぎりの爵位を与えるのが無難だろうという話になったのですが──」

 そこで待ったをかけたのが、シュテッド前公爵だった。

「子供にはなんの罪もない。成長するまで見守ってもいいのではないか、そう進言したそうです」

 前公爵は、書類の上ではクヴァルト様のお祖父様だけど、実際血のつながりはない。

 それでも無碍にはできないと、強硬に主張したそうだ。

 一代かぎりの爵位を与えるなり、公爵領を継ぐなり、成人するまでの様子で決めればいい、と。

 話し合いはずいぶんかかったけれど、結局、公爵領はシュテッド前公爵が領主代理となった。

 クヴァルト様が領主として問題ない能力を持っていたら、そのまま継がせようということになり──結果、今に至る。

 外から見ればごく自然な、けれど実際はとてもいびつで危ういバランスの中、クヴァルト様は領主としてここにいる。

「……だから私は、よい領主でいなければならない」

 ワーカホリックなのは性格もあるんだろうけど、それ以上に自分の出自のせい。

 それ以外に、自分の立ち位置が存在しないから。

 いい領主でなければ、自分を守ってくれた人々に、申しわけが立たないから。

 ──血筋的には王に連なるものだから、決して悪いものじゃないけれど、多分、お母様の血が煩わしいんだろう。

「だからクヴァルト様は、嘘をつかないんですか?」

 公になっている存在そのものが、偽りだから。

 前領主の息子──だと思われているから。

「……ええ、せめて他の部分では誠実でなければ、許せないので」

 許せないのは誰、なんだろう……自分なんだろうか。

 そんなに責めなくてもと思うけれど、割りきれないんだろう。

 思い返してみても、クヴァルト様はたしか、王妹の子だとは明言したけど、前領主の息子だとは言わなかった。

「小さなころはそんな事情も知らず、ジャンたちと適度にはしゃぎながら、過ごしていました」

 昔を思い出しているのか、表情が少し穏やかになる。

 なにも知らず、身分の差もあまりなく遊べた子供時代。

 それはクヴァルト様にとって、一番いい時代だったのかもしれない。

「けれど成人して事実を知って──はじめは荒れましたが、そんなことをしてもどうにもなりません」

 だから多少机を放り投げはしましたが、それくらいでした、と囁く。

 前に言ってた投げた云々って、そのころのことか……

 荒れたって、嘆いたって、生まれた自分はどうしようもない。

 ここまで育ててくれたみんなの手前、いつまでも自暴自棄になれるほど、クヴァルト様はバカじゃなかったんだろう。

「色々と思い悩みましたが……結局、私にできる恩返しは、公爵として領地を守り、子を成さずに死ぬことだと──思うようになりました」

 そう考えて、領主を継ぐために勉強やらなにやらをいっそう必死になって。

 まだ若いと反論もいくらかある中、正式な領主になって。

 国王と親戚であるという地位にも奢らず、着実な領地経営で、うるさがたを黙らせて。

 平和な今のうちにと長期的な諸々の工事などの計画を立てて、周囲を説得して……

 がむしゃらに仕事をしていて、縁談もすべて断り、社交もろくにせずにいたらしい。

 そして気づいた時には、不能になっていました、淡々と言葉が落ちる。

「それって、精神的なものってこと……ですか」

「医者はそう言っていましたね」

 子供をつくるわけにはいかないと、自分自身に暗示を──この場合呪いのような気がするけど、をかけてしまっているのだろう。

 身体的にはなんの問題もないので、治るかもしれないが、いつになるかはわからないと告げられたらしい。

「ですが別に、それならそれでちょうどいいと思いました」

 ただ、流石に知られたいとも思わなかったので、もとからする気はなかったけれど、結婚しないと改めて決めた。

 クヴァルト様が「そう」であることを知っているのは、少しの親族と、使用人のごくわずか。

 実の母親も、ウェンデルさんたちも知らないという。

 わたしも口外するつもりはないけれど……でも、これって、やっぱりひどすぎるんじゃないか。

 クヴァルト様自身には、なんの落ち度もないのに。

 けれどクヴァルト様はなんでもないことのように平気な顔をしていて。

「そのおかげで、今はあなたとこうしていられますしね」

 ……そんな優しいことを言う。

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