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蜂蜜の夜(3)

 自嘲しながらさらりと落ちた爆弾発言に、気づけば震えていた身体はぴたりとおさまった。

 ……さっきから、色々、盛りだくさんで、ちょっと脳が処理しきれない。

 酔いのせいもあるかもしれないけど、思考があっちこっちへ散らかりっぱなしだ。

 不能って、つまり、男性として機能してないってことで。

 つまり、一緒に寝て、そういうコトをしたくても、できないわけで。

 ……その言葉が本当なら、たしかに、わたしの身は安全だけれど、それが嘘の可能性だってある。

 だけど、こんな、男性としての尊厳とか、そういうのをずたぼろにするような嘘をつくだろうか。

 それにクヴァルト様は今まで、本当に、一度も嘘をついていない。

 それなら──きっとこれは、真実なのだろう。

 でも、だからって、じゃあ添い寝してください、と頼めるかと聞かれれば、そんなわけもない。

 理性とか、羞恥心とか、倫理観とか、とにかくなんだかそういうのが頭を回るわけで。

「──お互い、酔っているのかもしれませんね」

 呟くような声は、いいわけだと、わかる。

 こんな時でも、かもしれない、という表現をして、絶対に嘘をつかない。

「──そう、かもしれませんね」

 だからわたしも、あやふやに返事をする。

 逃げ道を用意してくれたクヴァルト様、開いたままのドア、名前を呼べば駆けつけると約束したウェンデルさん。

 ……酔ってる、から。だから。

 だから、わたしは、立ちあがったクヴァルト様に引き寄せられるようにソファから離れて、衝立のむこうへと、足を進めた。


 ベッドの大きさは、わたしの部屋とあまり変わらない。

 シーツの色とかが地味な色で、男のひとのベッドだなぁって思うくらいだ。

 ベッドサイドには小さな机があって、本や書類が積んである。

 ワーカホリックなクヴァルト様らしいな、とぼんやり考えた。

 クヴァルト様は机がないほうに行き、カバーをめくると「どうぞ」と恭しく告げた。

「……おじゃまします」

 なんか変だけど、無言というのもおかしい気がして、おっかなびっくりもぐりこむ。

 ガウンは脱いでそばの衝立にかけておいてある。……一枚脱いだだけでも、心許ない。

 クヴァルト様は反対側から入ってきて、三十センチ以上空けてむかいに横になった。

 緊張するわたしに、それ以上は絶対近づきませんと宣誓する。

 しばらくすると、とりあえず緊張はとけてきた、ようだった。

「眠れそうですか?」

 問いかけられて、微妙です、と正直に答えた。

 どちらかというと、逆に目が覚めた気さえする。

「では、寝物語には楽しくない話ですが、私の話を聞いていただけますか?」

「──聞いても、いいなら」

 注意深く返答すると、小さく笑みをこぼしてみせた。

「私の母は前王の妹、それはお話ししましたね?」

 クヴァルト様の話は、そこからはじまった。

 最初の部分は、出会ってすぐに教えてもらったことの復習みたいなもの。

 シュテッド公爵家の次男が、ここ、ベルフ公爵の養子になり、王妹と結婚。

 なんとその時の年齢は十七歳と十五歳だったという。

 この世界の貴族としては不思議でもない年齢だそうだけど……わたしにはびっくりな話だ。

 結婚するには早過ぎはしないけど、急いだのには理由があって、先々代の公爵が病床についていたらしい。

 だから判断ができるうちに、お眼鏡にかなう養子を迎えようと急いだそうだ。

 領主としては若すぎたけれど、そこは補佐官もいたし、長男に爵位を譲ったシュテッド公爵、つまり実の父親が、かなりサポートしてくれたらしい。

 時代も平和だったので、王都と領地をちょくちょく行き来して、これといった問題も起きることはなかった。

「母は慣れ親しんだ王都のほうが居心地がいいと、王都にいがちでしたが、近いですからね、さほど問題にはなりませんでした」

 王妹ということで、きちんとした教育は受けていたから、比重は偏っていたけれど、領主の妻としてそれなりに活動はしていた。

 年齢も年齢なので、これから成長していけば問題ないだろうと、みんな穏やかに見守ろうと話していたらしい。


 ところがある冬、事態は急転する。

 領地で流行った風邪に罹患した若き領主は、呆気ないほどあっさりと亡くなってしまったのだ。

 上へ下への大騒ぎだったらしいけれど、前シュテッド公爵たちの働きにより、葬儀もすみ、領地で蔓延していた風邪もなんとか治まった。

 やれやれと一息ついたところで、次なる爆弾が落とされた。

「夫を亡くし傷心で伏せっていた領主夫人の妊娠がわかったんです」

 葬儀には出席したが、その後体調を崩した彼女は、王都の邸で静養していた。

 正直、領地の者はそちらまで気を回している余裕はなく、勿論医者やメイドは十分手配したが、任せっきりだったらしい。

 まあ、それもそうだろう。奥さん一人と領民全部、どちらが先かとなれば、領民に決まっている。

 身分的にも王妹ということで、王都にいれば不自由がないから安心、というのもあったんだろう。

 妊娠の知らせに一同は驚いたが、気の滅入るニュースばかりだったから、領民も喜ぶと笑顔になった。

「ところが、彼女は言いました。お腹の子は、前領主との子では無い、と」

 ──笑顔になった瞬間の地獄の到来。

 淡々と話すクヴァルト様の顔からは、一切の表情が存在しない。

 ただひたすら事実を述べているその姿が、とても痛そうで、思わず手を伸ばした。

 クヴァルト様は驚いたように目を見張ってから、くしゃっと表情を歪めて、そっとわたしの手にふれる。

 ……その手はひどく冷たくて、思わずきゅっとにぎりしめた。


 懐妊してから月日が経っており、こちらの世界の技術では、もう堕胎は難しい。

 当の本人は産むと言って聞かないため、しかたがない、となったらしい。

 彼女も流石に状況を理解していたので、その事実を告げた相手はごくわずかだった。

 相手が王妹となると、ほとんどの者は叱責することもできない。

 秘密裏に国王へ報告したが、娘に甘い父親は、困ったことになったと嘆いたものの、大きく咎めることはなかったという。

「幸い、領主は亡くなっています。時期的には、亡くなる直前にできた子だと誤魔化せる」

 だから、彼女はそのまま子供を産むことを許された。

 けれど父親が誰かに関しては、決して口を開かなかったらしい。

 そうこうしているうちに喪が明け、そこではじめて懐妊が明かされた。

 その時には臨月間近で、領民は降って湧いたニュースに大いに喜んだという。

 特殊な事情の公爵家なので、生まれた子供が跡継ぎになるとはかぎらない。

 それでも、若くして死去した不幸な領主に、子が残されたと、みんなは喜んだのだという。

 ……でもそれって、実際はそうじゃないから、子供であるクヴァルト様にとってはつらいことなんじゃ……

「そうして赤子が生まれた直後、領主代行をつとめていたシュテッド前公爵に目通りを願う男がいました」

「……それって、まさか……」

「ええ、彼女と通じていた男性でした」

 彼女は妊娠がわかってから、そのひとのことを口にすることも、やりとりをすることもしなかったという。

 絶対に迷惑をかけたくないのだと、そう強く主張して。

 けれど、出産のニュースは隠せるものではない。

 表だってはおめでたい話だから、事情を知っている関係者も、喪のすぐだから、といいわけをつけて控えめにしたけれど、知らせないわけにはいかなった。

 そうなれば、相手の男性が知るのは簡単なことだ。

「……その男は、神殿に勤める神官でした」

 吐き捨てるような一言に、わたしの中でやっとすべてがつながった。

 だから、クヴァルト様は、結婚したくなくて、子供がほしくなくて、連中が憎いんだ──

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