子供とピアノ(2)
「……これ、聞いたことある?」
激しい曲ではないからと、子供たちをまとわりつかせたまま、一番メインの部分を弾く。
子供たちは最初は不思議そうにしていたけど、やがて誰かがぽつりと呟いた。
「──メイスの数え歌?」
「あ! そうだ!」
「ほんとだ!」
巷で有名な童謡を、邸のみんなに聞いて回って、全員が口にしたのがこの曲だった。
曲を調べること自体は、少し前から行っていたことだったりする。
楽譜店で童謡の楽譜があまりに少なかったので、思いついて、空き時間に聞き込みをしていた。
その後この訪問が決まったので、気合いを入れて完成にこぎつけたのだ。
メイスの数え歌は、ドレミの歌みたいな数え歌で、大体親から教わって知っているという。
楽譜は存在しなかったけど、みんなにせがんで歌ってもらい、一番無難な音階で採譜した。
そこに、ざっくりと伴奏をつけてある。
難易度的には幼稚園で、先生が弾き語りできるレベルのものと、わたし用のふたつ。
主旋律は子供むけらしく簡単かつ繰り返しなので、覚えやすいものだ。
「みんなで歌ってみる?」
声をかけると、何人かは恥ずかしそうにしたりしたが、何人かはやると言うので、その子たちを集める。
まっすぐ立って少し間隔を開けてもらい、基本の音を出した。
「この音に合わせてあーって言ってみて。お腹から声を出す感じで……そうそう」
腹式呼吸だなんだと本格的なことをやる気はないけど、無理に声を出させるのもよくはない。
そもそも発声は……あまり本業ではないし。
一音ずつ合わせてもらい、なんとなくつかんできたところでやめにする。
練習ばかりでは、飽きてしまうだろう、多少ズレたってご愛敬だ。
「わたしが、さんはい、って言ったら、歌いはじめてね」
前奏が終わったらなんてわからないだろうから、合図を送ることにして、アレンジしてつくった前奏を弾きはじめる。
「せーの……さん、はい」
声をかけると、子供たちが歌いはじめる。
最初は流石に音程が危うかったが、同じ旋律の繰り返しなので、徐々にうまくなっていく。
一人、綺麗な声の子がいて、その子につられるように、声がそろっていった。
最後のほうはほぼ完璧に合っていて、わたしも弾いていて楽しくなってくる。
メイスの数え歌、と、最後に歌いきり、ちょっと派手目にした最後の和音を弾く。
「おしまい」
鍵盤から手を離して褒めようとすると、それより先に何人かの拍手が聞こえた。──何人か?
ふりむけばそこには、ウェンデルさんとディディスさんだけでなく、院長とクヴァルト様もいて、笑顔で手を叩いていた。
「せんせい!」
「先生、どうだった?」
子供たちもそれに気づき、わっと院長のもとへ走っていく。
彼女はにこにこと微笑みながら、一人一人の顔を見つめていった。
「とても上手でしたよ」
途端、わぁっと歓声があがる。
クヴァルト様はわたしのほうへやってきつつ、ディディスさんをさりげなく押しのけた。……目が笑ってないです。
「ここにもピアノがあったんですね」
「先代の時代だったかな? ピアノが寄付されたんだったかな、記録調べりゃ出てくると思うけど」
ピアノを眺めるクヴァルト様に、ディディスさんが説明する。押しのけられたけど、ちゃっかり隣に陣取っていた。
先代……前の院長ってことかな? それならそこまで古くもないか。でも寄付されたというなら、製造自体はもっと昔のものなんだろう。
「放っておかれていたので、調律が少し甘くなっています、もし誰か弾くようなら、手を入れたほうがいいです」
音がおかしいままそれを覚えてしまっては、あとあと苦労する。
趣味で弾くだけなら、それでもいいというひともいるけど……わたしはそれに異議を唱えたい。
仕事でも、趣味でも、万全を期すべきだ。
わたしの言葉に、手配しましょう、とクヴァルト様が請け負ってくれる。
「セッカ様! 今度はこっちで遊ぼう!」
院長と喋り終わったらしい子供たちに、手を引っぱられる。
これは、外遊びの誘いだろうか……
ちょっと苦手なんだけどと思っていたら、ディディスさんがその子をひょいと肩車した。
慣れているのか、その子も驚きもせず、高い! とはしゃいでいる。
「よーし、じゃあ競争! 誰が先に広場につくか!」
「あ、ずりぃ!」
叫ぶが否や、子供を抱えたままダッシュするディディスさん。
子供たちもきゃあきゃあ言いながら、あっという間に走って行った。
流石にドレスで追いかける気にはなれず、わたしはクヴァルト様とのんびり歩いて追いかける。
広場についたころには、ディディスさん主導のもと鬼ごっこがはじまっていて、参加しないかと誘われたけど、丁重にお断りした。
この格好で走り回るのは難しい……裾が短ければやったんだけど。
代わりにウェンデルさんが混じっていたので、多分大丈夫だろう、手加減してるみたいだし。
クヴァルト様も参加しないようで、二人でぼんやりと眺めていた。
「子供は元気ですねぇ」
「……そうですね」
なにげなく呟いた感想への返答は、ずいぶん低い声だった。
……なんだか、様子が変なような?
「公爵様、すみません」
声をかけようか悩んでいると、院長がやってきた。
クヴァルト様は失礼、と断って、院長と共に行ってしまう。
追いかけたかったけれど、大事な話なら邪魔になるし、子供たちはちょくちょくわたしの姿を確認する。
あとで聞けばいいか、と、わたしは子供たちに手をふった。──ふり返してきたのはディディスさんで、その隙にウェンデルさんがちゃっかり捕まえた。
「──子供がお好きなんですね」
帰宅して、少しピアノを弾いて、クヴァルト様に一曲披露して(ちなみにリクエストで数え歌をもう一度弾いた)
どことなくいつもと違うクヴァルト様は、口数も少なくて、でも怒っているとかではなさそうで。
どう声をかけていいか悩んでいるうちに夕食後、やおらの科白に、わたしは目を瞬いた。
子供が、好き? 誰が……ってこの場合はわたし、だよね。
「いえ、べつに好きじゃないです」
そんなこと言ったっけ? と首をかしげながら否定すると、あからさまに驚かれた。
びっくりされたことにこちらもびっくりしてしまう。
「孤児院で子供たちと打ち解けていたので……」
「ああ、あれはピアノに食いついてくれたからですよ」
でなければ、子供の相手なんてできるわけがない。
わたしはそういう、幼児教育の勉強なんてしてないし、姉の子供ともそんなに遊んでなかった。
むしろ、ピアノをいじられると困ると思っていたくらいだし。
「ただ、似たような場所で働いている友だちがいたので、手伝ったことはあります」
その子はピアノが壊滅的に下手で、でも幼稚園の先生になるにはピアノが必須スキルだ。
ちゃんと練習代を払うから! と頼まれて、ピアノの練習につきあったのだ。
無事就職が決まった彼女にお願いされて、発表会などの時、伴奏で幼稚園に行ったこともある。
なんとなく様子を見ていたから多少勝手がつかめているだけで、特に子供が好きなわけではない。
むしろ、言葉も通じないし、未知の存在って感じで、働いてる友人は凄いと感心したくらいだ。
そのあたりを説明すると、クヴァルト様の暗い表情が、少しだけ直った気がした。
「……勘違い、でしたか」
「まあ、嫌いじゃないので、勘違いってわけでもないですけど……好きか、って聞かれると、いえ全然、ってなりますね」
というより、普段のわたしの中に、子供という存在がない、というほうが正しいかもしれない。
使用人たちのほうには当然小さい子もいるけれど、基本的に母屋には連れてこない。
むこうでちゃんと面倒を見る場所と人手があるからだ。
小さい子は預けられ、少し大きくなると、学校にも通っている。
ちゃんとそれ用の馬車もあるのだから、たいした福利厚生だ。
「……そう、ですか」
クヴァルト様はぽつりと呟いて、ほっとしたような、複雑なような、でもどこか暗い顔をした。
今の会話のどこに、そんなに落ちこむ要素があったのか、わたしには全然わからない。
だけど、直接聞いていいのかどうかは……悩んでしまって、結局口を挟めなくて。
消化不良のまま、その日は終わってしまったのだった。




