馬車の中(1)
馬車は思ったより快適だった。
まだ速度がゆっくりというのもあるだろうけれど、それにしても揺れが少ない。
座面もふかふかだし、乗り心地は抜群だ。
昔乗った夜行バスと比べては失礼だけど、天と地ほど違う。
「もっと揺れたりすると思っていました」
正直に告げると、公爵様は愉快そうに笑った。
なんだかイタズラをしかける前のような顔をしている。
「実はこの馬車は、王族用なんですよ」
他に誰も聞いていないのに、少し声を潜めて投下されたのは、なかなか驚きの内容。
でも、王族用のわりには、馬車は地味だった気がする。
木目の綺麗なつくりはしていたけれど、装飾はそんなにないし、形だってごくシンプルだった。
それに反して室内は、天鵞絨のカーテンだったりと、結構お金がかかっていそうで、それが事実なのだと思わせる。
「お忍び用なんですよ、だから、外は普通の貴族のものに似せてあります。見た目だけですけれどね」
「……なるほど」
だから外から見えない部分は派手まではいかないけれど、そこそこなのか。
納得したわたしは、馬車の周囲をぐるりと見回す。ぱっと見てはわからないところに紋章があった。
おそらくあれば王家のなんとか、というものなのだろう。
「馬も王宮のよい馬を借りていますし、駅で新しい馬と交換する手はずも整っています。普通より速く快適に到着できるはずですよ」
権力の使いたい放題というのは、凄いものだと感心する。詫びのつもりもあるのだろうけど、いずれお礼をしなくては。
……そうだ、お礼と言えば。
「あの、公爵様」
呼びかけると、公爵様は一転、ちょっと不服げな顔になった。
「クヴァルト」
「はい?」
「クヴァルトと呼んでください。公爵様、は他人行儀すぎます」
……呼びかたで文句を言われてしまった。
「ええと……じゃあ、クヴァルト様」
ちょっと日本人には呼びにくい発音だから避けたかったのだけれど、そこまで変なアクセントにもならずにほっとする。
イタリア語っぽい発音のほうがまだマシだったんだけどなぁ。
公爵様、……クヴァルト様は再び笑顔になると、
「あなたのこともセッカ嬢と呼んでいいですか?」
控えめにお伺いを立ててきた。
べつにわざわざ許可をとらなくてもいいのに、このひとはずいぶん紳士だ。
「呼び捨てでも構いませんよ?」
「それは、もう少しあとにとっておきます」
穏やかに微笑む姿は、大人の余裕がたっぷりだ。
あと……か、たしかにまだ知り合って一日しか経っていない。
濃い一日だったし結構たくさん喋ったから、呼び捨てされても気にしないくらいだけど。
ましてどう見ても年上っぽいし。
「……ああ、失礼、脱線してしまいました、話を続けてください」
ゆっくり促されて、そうだと思い出す。
ウェンデルさんから渡してもらい、膝の上に抱えていた荷物を持ちあげた。
「わたしの荷物、持ってきてくれてありがとうございました」
それから深々と礼をすると、ああ、と得心がいったらしい。
「それなら、私ではなく王妃に礼を言ってください。そうですね……落ちついたころに手紙でも」
「王妃様ですか? あ……でもわたし、字が書けません」
意外な名前に驚いて、それから少し恥ずかしいが告白する。
「ああ、申しわけない。普通に会話ができているので、失念していました」
異世界転移のお約束というか、わたしは普通に日本語を喋っているけれど、相手にはむこうの言葉で聞こえているらしい。
おかげで、意思疎通にはなんの問題もない。
「神子として召喚されたおかげか、文章もなぜか読むことはできるんですけど、書くのはまだちょっと……」
翻訳ソフトを使ったかのように、もともとの文字に重なるように日本語が写るのだ。
おかげで苦労はしないけれど、文字を覚えるという意味ではいっこうに進まなくて善し悪しだ。
単語の切れ目からして、英語とかそのへんの文法に近いと思うから、なんとかなるとは思うけど。
「ミコ?」
相手の言語が日本語でないと断定できるのは、こういう部分だ。
むこうの言葉で近いものがないと、日本語そのままで聞こえるらしく、わからない、という反応をされる。
「わたしの国の言葉で、神様のために特別なことをする人間のことです。神樹の子っていちいち言うのが面倒で」
説明すると、たしかに、とうなずいたあと、では今後はそう呼びましょうと言われた。
神樹の子、という単語もあまり口にしたくなかったから、正直そのほうがありがたい。
「体調がよくなったら、家庭教師をつけましょう。短期目標は王妃へのお礼状……といったところで」
クヴァルト様の提案は、わたしからもお願いしたかったことだ。
なにせわたしには、この世界の知識が足りない。
一般常識と、まあ識字率がどれくらいかわからないけれど、できれば文字も覚えたい。
それくらいのお金はあると言っていたから、いずれ返す心づもりで、今は甘えてしまおう。
って、また脱線気味になってしまった。知りたいことが多すぎるからしかたないけど。
「それで、どうして王妃様なんですか?」
「ああ、そうでした。彼女は国王の素晴らしい相棒なんですよ」
軌道修正して問いかけると、面白そうに笑いながら教えてくれる。
飾りの王妃でないということなんだろうか。
「王は穏やかでおっとりした性格なので、彼女が裏から指示を飛ばすことも多いんです」
……あ、そういう意味でなんだ。
だからわたしの対応も後手後手だったのかと納得する。
よく言えば、というやつだ。悪く言えば優柔不断の事なかれ主義とでもなるだろうか。
「その彼女が、あなたを迎えに行く時は、後顧の憂いがないよう、関わるすべてのものを一緒に持ってくるようにと厳命したんです」
「後顧の憂い、ですか……」
大事なものはひとつだけで、あとはなくなってもよかったんだけど。
わたしが無意識に首をかしげていると、クヴァルト様は表情を真面目なものに改めた。
「本人にしか渡さないとあの場に呼び戻す可能性と……大がかりな術ですが、召還魔法はやつらも使うことができるのです」
瞬間、ざぁっと血の気が引いた。