発熱と寂寥(3)
目が覚めた時には、クヴァルト様は当然だけどいなかった。
ほっとしたような残念なような、微妙な気持ちをもてあましつつ、そっとベッドから起きあがる。
熱もほとんど引いたし、目元は重たいけど気分はすっきりしている。
カーテンを開ければ、日差しが雲の間から出ていて、まあまあいい天気だとわかる。
「失礼します、……セッカ様! 起きて大丈夫ですか?」
楚々と入ってきたフリーデさんが、血相を変えて近づいてくる。
心配そうな顔の彼女に、苦手だけど笑いかけてみせた。
「大丈夫ですよ、元気になりました」
お風呂に入りそこねたので入りたかったのだけど、時間も微妙だし、まだ熱があるなら駄目です! と怒られたので、身体を拭くだけにして着替えをすませる。
クヴァルト様は下にいるというので降りていくと、こっちも心配そうな顔を隠しもせず近づいてきた。
「おはようございます」
「おはようございます。……起きて大丈夫ですか?」
……まあ、昨夜色々見られているから、気にするのは当然だろう。
思い返すと恥ずかしくて逃げだしたくなるので、なるべく考えないようにする。
「熱っぽさもほとんどないから、大丈夫ですよ」
顔を見られるとどうしても泣いたあとがわかるから、ちょっと視線を下にずらしてしまう。
思いっきり泣いた本人の前でそうしても、あんまり意味はないけど……
医者を呼ぼうとするクヴァルト様を止めて、朝ご飯にしましょうとせっつく。
今日も仕事なのだから、あんまり長話はできないはずだ。
熱は精神的なもので、吐きだしたからそんなに気にすることはない、と何度も言ったのだけど、渋い顔は変わらなくて。
今日は絶対無理をしないこと、と約束させられてしまった。
ピアノを弾いてもいいけれど、いつもより長めに休憩をとるようにとフリーデさんに言いつけている。
どうせ夢中になったら聞かないだろう、わたしに言わないあたり、よくわかってる。
でも、フラウさんがこないと暇だなぁ、このままピアノ室に行ったら間違いなく駄目出しだろうし。
おとなしく本でも読むかと思っていたら、フラウさんがお見舞いにきてくれた。
思ったより元気でよかったとお茶をしていって、お土産にと手作りのクッキーをもらってしまう。
明日は大丈夫なので授業をお願いしたら、一応いつもどおりに伺いますね、と穏やかに告げられた。
途中ですれ違うひとからも、体調を気にされたり、なにか足りないものはないかと訊ねられたり。
昼食にここにきてから気にいった料理が多く出たり、デザートがいつもより多かったり。
庭師のおじいさんから、普段よりたくさんの花をもらったり……
みんなからの心遣いが嬉しくて、昨日から緩んでいる涙腺は簡単に涙を流してしまう。
そうするとみんなを困らせてしまうのだけど、でも、なんにも伝えないよりはいいのかな、とか、思えてきた。
だって、どんなにわたしが口にしなくたって、もとの世界に帰れなくてつらいだろうとか、そんなの、わかりきってることだ。
我慢されたら、寄り添うこともできない、だからクヴァルト様は、安心したと言ったのだろう。
……おとなげなかったな、わたしは。
もともとの性格もあるし、なんだかんだでピアノがあれば大抵は耐えられるのも本当だから、これからも喜怒哀楽をはっきりさせるのは難しいけど。
それでももうちょっとくらいは、頑張って意思表示してもいいかもしれない。
午後からはフリーデさんたち監視のもとピアノの練習をした。
一人だと魔力が流れた時に不安だったので、もう一人お願いしたらなぜかメイド長がやってきた。
なので、いつもより休憩も多くとらされて、お菓子タイムも増えてしまった。
流石にアディさんには逆らえない……
お菓子はおいしいけど、太りそうでとても困る。
平凡な容姿で神子らしさもないのだから、せめて横には広がりたくないんだけど。
カロリー消費しがてら、フリーデさんにがっつりした曲を披露しているうちに、夕方になった。
もっといろんなひとに聞いてもらいたいんだけど、魔力のことがあるので、まだ保留のままだ。
アイテムに吸収してもらうって話も、そういえば中断したままだ。
図書館とかに行けば、調べられるのかな?
相談してみようと考えながら、クヴァルト様を出迎える。
「もどりました、体調はどうですか? 熱は?」
挨拶もそこそこに心配してくるので、ちょっと笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、元気です」
自信満々に返答したけど、そのあとこっそりフリーデさんに確認をとっていた。
……そこまで信用がないとちょっと悲しいんだけど、自分でまいた種でもある。
やっぱりもうちょっと、練習量を減らすべきかな……でも、午前中が潰れるから、これ以上少なくしたくない。
そりゃあ今は仕事はないけれど、腕を落とすのは嫌なのだ。
他ならぬ自分が、下手になっていることに気づいてしまうのが許せない。
そんなことを考えながらだったせいか、今日の演奏はずいぶん力が入っていたらしい。
「……重たいですね、少し」
流れた魔力がいつもより重たいと言われてしまった。
重さがあるのかと不思議に感じたけど、要するに、無理矢理流された感じらしい。
気分よく弾いた時にやってくる魔力は抵抗なくなじむけど、今日はしばらく反発したのだとか。
……かなり感情に左右されるんだなぁ、気をつけないと。
とはいえ、わたしが魔力を感じられないから、どうやって注意すればいいかわからないのがなぁ……
クヴァルト様は、おいおいでいいですよと声をかけてくれるけど。
食事の合間に明日は授業を受けますと告げれば、微妙な顔をしたけど最終的には納得してくれた。
せめて今年中に、最低限のマナーは身につけておきたいのだ。
新年の挨拶にわたしが同席できれば、クヴァルト様的にはいいことだと思うし。
その時にちゃんとした姿を見せたいわけで。
このへんはフラウさんには言ってあるけど、本人に伝えれば無理しなくてもとか、絶対甘くなるので秘密でお願いしている。
気遣いなのはわかっているのだけど、頑張りすぎなくていいお告げられると、やっぱり十も離れているとそういう扱いなんだなと寂しくなるのだ。
見返したいわけじゃないけど、そこそこできるのだとわかってほしい。
甘やかされるのは嬉しいのだけど、そればかりではダメ人間になってしまう。
と、何度目かの決意をしたはずなのに……
「……駄目ですか?」
「う……駄目、というか……」
今わたしはそこそこ大きなピンチに立たされている。
ことの発端は夕食を終えてお風呂もすんで、さあ寝ましょうという時。
お休みなさいとドアの前で挨拶をしたのだけれど、クヴァルト様がいっこうにそこを動こうとしなかった。
「あの……?」
いつもなら部屋なり書斎なりにもどるのに、不思議だなと声をかけると、
「心配なので、眠るまでそばにいさせてください」
と、わたしにとっては爆弾発言が落とされたのだ。
「きょ、今日は大丈夫ですよ!」
慌てて元気ですし! と告げるが、私が心配なんですと引いてくれない。
助けを求めてウェンデルさんを見ても「見張ってますし旦那様入れても大丈夫ですよー」とへらりと笑うばかりだ。
いやクヴァルト様にかぎって変なことはしないだろうと思うけど、そこは深夜未婚女性の部屋に入るのはどうのこうのとあるんだろう。
「ですが、昨日の今日ですし、気になって眠れそうにありません」
切々と訴えられると、どうにも紺色の目に弱い。
昨夜のように手を繋いで、わたしが寝落ちるまでそばにいたいと懇願される。
正直に言えばものすごく嬉しいことだけど、だからってはいって頷くのはどうかと思うわけで。
だってわたしは寝ちゃうけど、クヴァルト様はその間眠れなくて、しかも体勢もちょっと厳しいだろうし。
なにより寝顔を見られるわけで、考えたらむしろ緊張して眠れない気がする。
そのへんを説明したのだけど、返ってきたのは悲しげな声でのさっきの言葉なわけで。
昨夜は熱があって正常な判断ができなかったからといいわけができたけど、今日は無理。
でもクヴァルト様は頑として譲らなそうで。
「寂しいかもしれないけど素面じゃ無理です恥ずかしいですお休みなさい!」
わたしの出した結論は、一気に正直な言葉をぶつけて、素早くドアを開けて閉める、という、子供かと我ながら思うものだった。
ばたんと後ろ手にドアを閉めて、はーっと息をつく。
流石に開けてくることはしなかった、クヴァルト様が紳士でよかった。
……そりゃあ寂しいけど。一人はやだなと思うけど。
でも、家族にするようなああいうのは、昨夜はよかったけど、冷静になると複雑なわけで。
まさか本人に「恋心があるのでそういう態度は勘違いします」とは言えないし。
伝えるつもりはないはずなんだけど……うう。
考えはじめるとドツボにはまりそうなので、わたしはさっさと寝ることにした。
とりあえず明日はまず謝って、それからは、クヴァルト様の言葉次第で。
まとまらないことを考えながら、眠りに落ちた。──思ったより、あっさりと。




