発熱と寂寥(2)
「わたし、甘えすぎですよね……」
しばらく雑談をしていたら、運ばれてきた二人分の食事。
わたしのほうはかなり量が少ないし、食べやすいものばかりだけど、熱も引いてきたので普通のものだ。
それをちょっとずつ食べながら、ため息まじりに呟いてしまう。
綺麗な所作で普通の食事をしていたクヴァルト様は、不思議そうな顔をした。
「あなたがですか? むしろもっと甘えてほしいくらいですが」
「えぇ……」
結構かなり甘えていると思うんだけど、クヴァルト様の尺度がわからない。
顔に出ていたのか、苦笑いをされてしまう。
「病気の時は特にそういうものでしょう?」
正確には病気ではないけど、熱が出ていれば同じようなものだろう。
「私もあなたと食事ができないと、一人寂しく……ですからね」
そういえば、クヴァルト様はずっとそうだったんだっけ。
「……さみしくなかったんですか?」
いや、寂しくないはずないんだけど、熱のせいか質問がへたくそだ。
クヴァルト様は苦い表情のまま、そうですね、と呟く。
「寂しいものだったんだと、今では思います。当時はそれが普通でしたから」
まわりにはたくさんいいひとがいるけど、それはみんな部下や使用人。
身分の差があるから、どんなに心を砕いていても、一緒に食事とかはまずできない。
でも、気づいた時にはそれが日常だったら、つまらないとかわかるはずもない。
「……あなたのおかげで、気づけてよかったと思います」
知らないままでも、生きてはいける。
それでも、知ったほうが、多分いい。
わたしのせいで気づけたなら、おこがましいけど、嬉しい。
すごく自分勝手なことを考えてしまって、熱のせいだといいわけをした。
そのあともクヴァルト様は部屋にいてくれて、執事頭さんたちからの報告とかも、わたしの部屋ですませてしまった。
邸であったこととか、買っておく備品の話とか、ぼんやりしている頭に切れ切れの単語が入ってくる。
それも終われば、いよいよすることはなくなってしまう。
過保護なクヴァルト様のことだから、はやく寝なさいって言うに決まってるし。
そうしたら、また、広い部屋にひとりになってしまう。
わかっているけど、お休みなさいと声をかけられなくて、でも話題もなくて。
どうしようとぐるぐる悩んでいると、視線を感じて顔をあげた。
「──また熱が出てきたら大変ですし、そろそろ休みましょう」
……ああ、言われてしまった。
いつもよりは早いけど、就寝の挨拶をしてもおかしい時間じゃない。
お休みなさいと返さなきゃいけないのに、うまく唇が動かない。
困らせちゃいけない、呆れられたら困る、見捨てられたら──そんなことになったら。
頭の中でどうしようとぐるぐる回るけど、答えはなんにも出てこなくて、離れていきそうな姿が嫌で。
無意識に手を伸ばして袖口をつかんだら、
「……っ」
ぽろっと、涙がこぼれた。
嘘、と思う間もなく、一度決壊したら止められなくなってしまった。
「す、すみませ、すぐ、止めます、から……っ」
慌てて謝って手を離し、袖口でぐいぐい拭ったけど、全然止まってくれない。
どうしよう、と頭の中はパニックになる。
いきなり泣かれてもクヴァルト様だってどうしようもないし、放って出ていくなんて、できるわけもないし。
どう考えたって面倒をかけるだけだから、はやく泣き止まないと……
そう頑張ればがんばるほど、涙は止まってくれない。
泣いてるわたしの前に立つクヴァルト様は、しばらく無言だったけれど、どこかへ行っちゃうことはなかった。
「……恐かったら悲鳴をあげてください、ウェンデルが殴りにきますから」
涙をひっこめようと躍起になっていたら、やがて、変なことを呟いた。
悲鳴? 殴る? 聞き返そうとした時にはわたしの横になにかが伸びてきて、それが腕だとわかった時には──
──そのまま、抱きしめられた。
……
……………
…………………え?
自分のではない暖かさ、知らない匂い。
胸に抱きこまれているのだと頭では理解しているのだけど、それ以上は脳が思考停止している。
「……恐くないですか?」
頭上から、心配そうな声がふってくる。
恐い、と単語を繰り返して、その意味を考える。
「いえ……平気、です」
「よかった」
ぎゅっと抱きしめられて、これ以上ないほど密着する。
だけど、全然恐怖は感じない。
それどころか、やっと寂しくなくなった、とほっとしているくらいだ。
クヴァルト様はわたしの顔を胸に押しつけてから、
「……いいから、そのまま泣いてしまいなさい」
片手を動かして、やさしく頭をなではじめた。
穏やかな声で命じられて、そんな、と反論しようとしたけど──反して涙はぼろぼろこぼれてきた。
うわ、と思ったけど、一度泣きだしたら止まらなくて。
最初はそれでもまだマシだったけど、段々声も抑えられなくなった。
子供みたいにわんわん泣きじゃくりながら、気づけばわたしはたくさんのことを口にしていた。
「わ、わたしに関することなら、ちゃんと行かなきゃって思って」
「……そう言うと思ったから、教えなかったんですけどね」
「ちょっと顔を見るくらい平気だと思ったんです、でも、赤いの見たら、こ、こわくて……」
まだ全然大丈夫なんかじゃなくて、今まで感じてた恐怖なんて、些細なものだったというくらい。
身体の隅々までがただただ恐い、という単語に支配される感覚なんて、もう味わいたくない。
「熱で不安だし、広い部屋にひとりぼっちはさみしいし、クヴァルト様お仕事だし」
ああもう、言わなくていいことも口にしてる。
どこかで止めようとする自分がいるのだけど、クヴァルト様は相づちを打つだけで、先を促すようになでてくれるから、抑止効果はない。
「ひとりで寝てると、ここはわたしの世界じゃないって、帰れないんだって、どうしてって……」
「……そう、ですね」
とうとう、口にしてしまった。
帰れないのが嫌だなんて言っても、どうしようもない。
クヴァルト様を困らせるだけだから、絶対喋らないようにしようって。
決めていたのに、もう駄目だった。
この世界にきてしまってから、ずっと抑えてきたものが、涙と一緒に全部あふれてしまったらしい。
我慢という言葉はわたしから抜け落ちて、何度もなんども、同じことを繰り返してひたすら泣きじゃくる。
しゃくりあげながらの言葉は、きちんとした文章にもなってなくて、めちゃくちゃだったけど、クヴァルト様はうなずきながら聞いてくれた。
合間あいまに背を叩いて、頭をなでてくれて、やさしく続きを促してくれる。
すべて吐き出し終わった時には、喉はガラガラになっていた。
そのまま寝ちゃえないかと思ったけど、残念なことに意識ははっきりしたままで。
「……」
なんと言えばいいかわからず、もぞもぞ身じろぎすると、気づいたクヴァルト様が身体を離してくれる。
絶対ひどい顔をしているだろうから、目を合わせることもできなかった。
「落ちつきましたか?」
穏やかな声で訊ねられて、うなずくのが精一杯だった。
クヴァルト様はすぐにフリーデさんを呼んでくれて、水を飲んで顔を拭いて、はれぼったいのはどうしようもないけど、とりあえず人間の顔に近づけておく。
そのままふて寝したいところだったけど、片づいたら入れ違いにクヴァルト様が入ってきて。
恥ずかしいやら情けないやらごちゃまぜで、うまく顔を見られそうにない。
「ご迷惑をおかけしました……」
ベッドの上で土下座をしたい気分だが、多分通じない文化だろう。
それでもこれだけは、と小さくなって謝ると、いいえ、とすぐ否定される。
「むしろ、やっと泣いてくれたと、嬉しいわけではないですが……そうですね、ほっとしました」
……たしかに、あんなに大泣きしたのは、こちらに飛ばされてからはじめてだ。
自分では冷静なつもりだったんだけど、なんてことはない、押し込めていただけだった。
爆発する時を逃したままだったそれは、あの赤を見たことで、制御できなくなり、クヴァルト様に抱きしめられてトドメを刺されてしまった。
帰りたいとか、嫌だったとか、言ったってどうしようもないことだと、思っていた。……いや、今でも思ってる。
口にして謝られるのも、呆れられるのも見たくなかったから、全部蓋をした。
泣くタイミングがなかったのもあるけど、八割は自分が決めたことで。
……あんまり、その決断は正しくなかったんだなと、今さら思う。
もっと早くに発散していれば、こんなにひどくならなかった気がする。
その結果がこのザマなのだから……うう、当分立ち直れない。
「休んで明日になれば、きっと体調はよくなっていますよ」
不確定なことを言いたがらないクヴァルト様には珍しい発言だ。
はい、とうなずいたものの、一人で眠るのは嫌だなと思う自分もいて。
……今夜だけは、熱と大号泣のせいに、してもいいんじゃないだろうか。
「眠るまで、いて……ほしい、です」
でもやっぱり恥ずかしいしどうなんだこの我が儘はと、声は小さくなってしまった。
けれどしっかり聞こえたらしく、
「わかりました、なら……こうしましょうか」
クヴァルト様はにっこり笑って、わたしに横になるよう告げた。
言われたとおりにベッドに転がり、いつものように端っこで右むきになる。
すると、伸びてきた手がわたしの右手を探りあてて、軽くにぎってきた。
左手はわたしの頭を、ゆっくりなでてくれている。
すっごく恥ずかしいのだけれど、それと同じくらい安心感があって。
わたしはあっという間に、眠ってしまった。




