発熱と寂寥
──目を覚まして飛びこんできたのは、心配そうなクヴァルト様の顔だった。
わたし、どうしたんだっけ……?
しばらくぼうっと考えて、それから、急に記憶がもどる。
「わたし……!」
起きあがろうとしたけど、頭がぐらぐらして、うまくいかなかった。
「ああ、そのままで。熱が出ていますから」
──熱。道理で、ぼんやりするし力が入らないわけだ。
おとなしく枕に頭を乗せてから、部屋が明るいことに気づいた。
「今、何時ですか……?」
「七時過ぎですね」
って……朝の?
どうやら、わたしは気絶してそのままだったらしい。
なんて失態だろう……穴があったら入りたい。
気絶なんて人生ではじめてだ、病弱なお姫様だけがするものだと思っていたのに。
「すみません、迷惑、かけてしまって……」
大丈夫なんて思ったけど、ちっとも大丈夫じゃなかった。
軽い気持ちで大失敗をやらかして、きっととても心配と迷惑をかけたはずだ。
わたしが声を詰まらせると、クヴァルト様はいつもどおりの優しい笑顔で、大丈夫ですよと笑う。
「あのあと、どうなったんですか?」
なにかまずいことになったんじゃないかと問いかける。
わたしが倒れたせいで、連中がここにいては駄目だとか、連れ帰ろうとか言いだしたら……
「あなたの体調はまだ思わしくない、ということにしていましたから、問題ありません」
無理を押して顔を見せにきたということにしたらしく、むしろ神官は感激していたらしい。
「用件は、なんだったんですか?」
わたしを確認して用をすませたあとは、近くの神殿で一泊し、今朝には王都へもどるらしい。
そもそもあの神殿の者は外出しないのが基本だから、今回は異例中の異例だ。
だから一刻も速くと、遅い時間の訪問だったらしい。
それほどまでにするような内容って、一体……
「あなたの件で少し頼み事をしたのですが……詳しいことは体調がよくなったらにしましょう」
少し気になるけど、急ぎの用件ではないみたいだ。
わたしに会えたことで諸々納得してくれたそうで、色々言われたりもしなかったらしい。
それなら、気絶しちゃったのはまずかったけど、役には立ったのかな。
でも、わたしの件なら、本当はわたしがやらなきゃいけないことだし……やっぱり微妙かも。
「旦那様、そろそろ……」
と、ジャンさんが控えめに声をかけてきた。
そうだ、今日はお仕事があるんだから、いつまでも引きとめるわけにはいかない。
クヴァルト様は渋面をつくって、すみません、と謝ってくる。
「そろそろ行かないと……なにか欲しいものはありますか?」
欲しいもの、ってお見舞いとかってことかな。
……本当はそばにいてほしいけど、それは絶対言っちゃいけないことだ。
困らせるのはわかりきってるし、じゃあ休みますとかなったら、部下が困るし。
だからわたしは特にないです、と答えたのだけど、納得してない顔をされた。
「……林檎、食べたいです」
これはなにか言わないと出かけてくれないな……としばらく考える。
結局思いついたのは、子供のころ、熱を出すとつくってもらったすり下ろした林檎のこと。
「料理長に伝えておきます。……今日はゆっくり休んでください」
クヴァルト様は名残惜しげにしつつも、立ちあがって部屋を出て行った。
やがて、遠くに馬車の音が響いて、すぐに消えた。
入れ違いにやってきた医者いわく、ストレスによる発熱なので、しばらくすれば落ちつくだろうとのこと。
熱が下がるまではおとなしく寝ているように、特にピアノは絶対駄目だと念を押されてしまった。
流石にこんなふらふらの状態じゃ、ピアノ室まで歩けないけど……つくづく信用がない。
風邪ではないから、熱できついけどそれだけで、正直、ちょっと暇だ。
気絶睡眠とはいえかなり眠ったから、そんなに眠気もない。
でも発熱しているので、なにかする元気はない、結局、おとなしくベッドにいるしかなかった。
……そうなると、広い部屋にひとりぼっちというのが、たまらなく寂しくなってきた。
最初はフリーデさんたちが控えていてくれたんだけど、じっと見られているのも落ちつかないし、ゆっくり休めないだろうと退出している。
呼び鈴を鳴らせばすぐにきてくれるけど、まさかさみしいからなんて理由では呼べない。
もといた世界のような狭い部屋だったら、こんなに空虚さは感じなかっただろう。
実家の場合も、家族が誰かいたから、なんとなく生活音とかが聞こえてきて、一人で寝ていてもそんなに不安はなかった。
でも、この部屋はとても広くて、ベッドも大きくて。
洗濯や調理の音も、ここまでは伝わってこないから、とても静かだ。
やたらと隙間というか、空間を意識してしまって、ひとりぼっちで置き去りにされた気がしてしまう。
あの……赤を見たせいと、熱のためだとわかっていても、一度不安になると、どうしようもなくて。
ルーちゃんを抱きしめて小さくなって、ぎゅっと目をつぶってやり過ごすしかなかった。
寝てばかりで食欲もあまりなかったから、本当に出てきたすり下ろし林檎を食べて、あとは寝てるような、起きてるような、そんな曖昧な感じですごした。
熱は大分下がった気がするけど、平熱とはいかないみたいで。
そんなに嫌だったんだなと、自分の身体の反応にびっくりする。
流石に腰が痛くなってきたので、ベッドに腰かけて絵の多い本を読んでいると、馬車の音が聞こえてきた。
クヴァルト様が帰ってきたんだ、と気づいて、慌ててフリーデさんを呼んで、髪の毛を梳かしたり最低限の見た目を整える。
ちょっとでもよく見せたい女心というやつだ、……あんまり変わってないだろうけど。
馬車の音が静かになってすぐ、クヴァルト様がやってきた。
そのままきてくれたのかと思うと、どうしようもなく嬉しくなる。
「お帰りなさい、クヴァルト様」
動けない分気合いをこめて口にすると、明らかにほっとした顔をされた。
「ただいま帰りました、少しよくなったようですね」
顔色、そんなに悪かったのかな、自分ではわからないんだけど。
「熱も大体下がりましたよ」
報告すれば、そうですか、と息をつく。
心配してくれていたことは申し訳ないけど、くすぐったくもあったりして。
大分我が儘になってきたなぁと思ってしまう。
「念のため明日も授業は休みにしておきましょう」
フラウさんに会えないのはさみしいけど、無理もよくないので、おとなしくうなずいておく。
クヴァルト様がいるだけで、部屋が広すぎる感じがしなくなったようだ。
やっぱりかなり、心細くなってたんだなぁ……もういい年なのに、情けない。
わたしの顔を見て安心したクヴァルト様が、またあとで、と椅子から立ちあがろうとする。
「あ、……の」
……そりゃあ、着替えとか、報告とか、夕食とか、あるだろう。
でも、……でもまだ行ってほしくなくて、思わず声をあげてしまった。
律儀にふりむいてくれたけど、二の句が継げなくなってしまう。
寂しいからここにいてください、なんて、言えるわけがない。
どうしたものかとシーツをにぎりしめると、クヴァルト様が小さく笑って、体勢を変えてわたしと視線を合わせてくれた。
「あなたさえよければ、私の夕食をここに運ばせてもいいですか?」
無意識に言葉にしたのかと思うくらい、当てられてしまった。
でも、ここで聞き分けよくなんてできなくて、はい、と勢いよく頷いてしまう。
ありがとうございますと言われたけど、本当はお礼をするのはわたしのほうだ。




