赤は、
それから邸にもどり、すぐピアノの練習をしようとしたのだけど、まず服を着替えさせられた。
いつも着ているドレスもそんなに派手じゃないけど、庶民的ではないんだよなぁ。
個人的にはずっとそのままでよかったのに、駄目です、と怒られてしまった。
クヴァルト様も着替えついでに一休みすると言うので、ちゃんと休んでくださいと念を押した。
しばらく練習してから声をかけると、クヴァルト様はすぐにやってきた。
こちらも服装はいつもどおりになっていて、眼鏡も外している。
あれはあれで似合ってたから、機会があれば見てみたい。
なんてことを考えつつ、今日は新曲を披露することにした。
この世界のピアノ曲はあまり知らないというので、折角なら聞いてもらいたい。
好みもあるけど、デライアさんの曲の中で、一番気にいっている長めのを演奏することにした。
穏やかな曲が多いので、万一魔力があふれても、そんなに影響もないはずだ。
幸いなことに好評で、気分よく次の曲といこうとしたのだけど……
そこに、ノックの音が響いた。
珍しいな、と思いつつ、手を止めてどうぞと声をかける。
「旦那様、セッカ様、お邪魔をして申し訳ございません」
堅い表情のアディさんがフリーデさんと一緒にやってきた。
邪魔を詫びるというより、もっと厄介なことが起きたのだと、なんとなく察せられた。
わたしとクヴァルト様がここにいる時は、滅多なことでは呼びにこない。
つまり、よほどのことが起きたということだ。
クヴァルト様はすぐ立ち上がり、アディさんと話し始める。
声は全然聞こえなくて、内容はわからなかったけれど、明らかに眉を顰めているから、よくないことなんだろう。
わたしの隣には、フリーデさんがやってきた、その表情も、あまりよくない。
「……少し外します、あなたはここにいてください」
ぎこちない笑みを見せてそう言うと、クヴァルト様はアディさんと行ってしまった。
フリーデさんの煎れてくれたお茶を飲んでから、思い切って訊ねてみる。
「なにがあったんですか?」
問いかけられることは予想していたのだろう、フリーデさんは驚きはしなかったけれど、すぐに教えてはくれなかった。
この言い淀む感じからして、もしかして……
「……あいつら、関連ですか」
ここまでわたしを遠ざけるものといったら、それくらいしかない。
予想通り、フリーデさんは苦々しい顔でうなずいた。
「連れ戻しにきたわけではありませんから、そこは安心してください」
どうやら顔に出ていたらしく、早口の言葉にほっとする。
じゃあ、一体なんの用事なんだろう。
「旦那様がなにか要望を出したそうで、その対応にきたようです」
要望……クヴァルト様があいつらに?
それも珍しい話だけど、間違いなくわたしに関わることだろう。
でなければあいつらを嫌ってるらしいクヴァルト様が行動するわけがない。
「ただ……セッカ様を確認しないと、対応できないとしつこくて……」
どうやら結構前から押し問答が繰り広げられているらしい。
そもそも、もう遅い時間だから、訪問するには失礼なくらいだ。
日を改めてくれとやんわり告げたらしいけど、頑として譲らないらしい。
とりあえず応接室に通して、クヴァルト様を呼びにきたわけだ。
となると、わたしが行かなきゃ駄目なんじゃないかな……
正直、やつらと会うのは恐いけど、直接顔を見なきゃ嫌だと言い続けるなら、迷惑をかけてしまうし。
ちらっと顔を合わせるだけなら、なにかされることもないだろう。
なにより、今はまわりにたくさんの味方がいてくれる。
しばらく待っても呼ばれる気配がないことからしても、会話は進んでいないのだろう。
「フリーデさん、応接室に行きましょう」
立ちあがって促すと、かなり渋られた。
だけど、最後まで聞かずに歩きだせば、彼女はついてくるしかない。
こういうの、権力の横暴みたいで嫌なんだけど、そうしなきゃ進まないししょうがない。
応接室の近くで様子を窺っていた何人かが、わたしに気づいて止める言葉を口にする。
でも、みんなの不安そうな顔からして、中は相当まずいことになっているようだ。
わたしが行けば用事がすむなら、そうするべきだろう。
……緊張はするけど、クヴァルト様にばかり苦労をかけるわけにはいかない。
やつらのことはわたしの問題なのだから。
深呼吸をひとつして、応接室のドアをノックし「セッカです」と名乗ると同時に開ける。
マナー違反だけど、そうしないと絶対開けてくれないと思ったからだ。
中に入ると、クヴァルト様と相対してすわっていた人物が、すごい勢いで立ちあがった。
「愛で子様!」
──感極まった調子で言うそのひとの、顔は覚えていない。
大丈夫だと、思っていた。
クヴァルト様もいるし、みんなもいるし、襲われる可能性はまずないと。
だから顔を見せるくらいなんてことないと……そう、思っていたのに。
それなのに、そいつの肩から下がっている赤い布を見た瞬間、がつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。
思い出したくない記憶が怒濤のように押し寄せてきて、身体に力が入らない。
「セッカ!」
ああはじめて呼び捨てされた、なんて、一瞬だけ妙に冷静に気づいたけれど。
その直後、まるでテレビの電源を落としたみたいに、わたしの意識は黒く塗りつぶされた。
キリが悪いので短いですが。
その代わり続きは明後日に。




