出発の早朝
ぼんやりと目が覚めた。
周囲はカーテンがかかっているにしてもまだ薄暗い、夜も明けていないのかもしれない。
この世界にも時計はあったはずだけど、そういえば、何時に起こしにくるとは聞かなかった。
もう一眠りするには、微妙な時間な気がする。
けれど勝手に起きても勝手がわからない。しばらくうとうと惰眠を貪ることにする。
こういうのも久しぶりだから、浸らせてもらってもいいだろう。
起きているのか眠っているのか微妙な状態だったので、どれくらい経ったかわからないけれど、静かな音を立ててドアが開いた。
「失礼します」
小さな声は、昨日ずいぶん聞いた声だ。
「フリーデさん」
もそもそと身じろぎして半身を起こそうとすると、すかさず寄ってきて支えてくれた。
起きていると思っていなかったらしく、ちょっと驚いた顔をしている。
そんな彼女はばっちり身支度をすませているけれど、目の下に少しクマがある。
不寝番をしていたのは本当らしい、今日は休めるといいのだけれど。
「そーっと……ってあれ、起きてたんですね、おはようございます!」
擬音を口にしながら入ってきたのはウェンデルさんで、朝とは思えぬ元気のいい挨拶とともに、さっさとカーテンを開けた。
やはりまだ外は薄暗くて、開けてもあまり大差ない。
その間にフリーデさんが部屋中の灯りをつけて、室内は結構な明るさになる。
この灯りは魔法で点くものなので、蝋燭なんて目じゃないくらいの光量だ。
「早朝からすみません」
「いいえ、準備するんですよね?」
恐縮するフリーデさんに首をふる。手に持っているのは布の塊、多分着替えだろう。
今の寝間着のままでは、流石にどうかと思っていたのでありがたい。
二人に支えてもらえば、少しの間なら歩いても問題なく、あまり問題なく支度を終えることができた。
でも、やっぱり着替えまで手伝ってもらうのは居心地が悪いので、はやくきちんと動けるようになろうと、何度目かの決意をする。
この世界の女性はスカートが基本らしく、膝が隠れる長さが当たり前。
着替えた服も、足首くらいまで隠れるタイプのものだ。
あそこにいた時は場所柄か派手なものじゃなかったけれど、今回のもそんなに華美じゃない。
できれば今後もこんな感じのだといいんだけど。
髪の毛はまた綺麗にくしけずってもらう、公爵様の邸についたら、髪の毛を洗いたいとふと思った。
汚れている感じはないから、どうにかしてもらったみたいだけど。
それだけのことをしても、熱も上がった感じはしないし、頭もぼんやりしていない。
この調子なら、すぐもとにもどれる気がした。
「お腹は空いてます? 食べられるなら食べておいたほうがいいですよー」
ウェンデルさんの言葉を受け、すぐそばにあったテーブルに移動することにした。
ここまできちんと着替えておいて、ベッドで食べるのは嫌だったし。
椅子にすわってきちんと食べる食事は、本当に久々だ。
献立はというと、昨日とあまり変わらないスープが出てきた。
まあ、まだ胃に負担のかかるものは駄目だろうし……と思いつつスプーンですくったら、なんだかとろみがついている。
……パン粥系は苦手なんだけど、でも、折角つくってくれたし……ちょっと気合いを入れて口にしたら。
「お米……?」
もとの世界の日本米とは少し感じが違うけれど、それでもたしかにお米の味がした。
味つけも魚の出汁っぽく、中身的にはおじやみたいな感じで、懐かしい舌触りにスプーンが進む。
しかも飲物にと出されたものが、麦茶っぽいもので、これまたわたしには嬉しかった。
そのせいか、ぺろっと出された分を食べてしまった。
「王宮にも、少しは神樹の子に関する資料があります。そこにあった情報を参考にした料理だそうです」
完食したわたしに、フリーデさんはにこにこと嬉しそうだ。
おかわりしたいくらいだったけど、一度に食べすぎはよくないからと言われてしまう。
考えてみれば、このあと車酔いするかもしれないし、空腹過ぎも満腹すぎもよくないか。
残念だけれどあきらめて、代わりに麦茶っぽいものを飲んでおく。
もとの世界のひとばかりが召喚されているのだから、お米も伝わってて不思議じゃない。
以前読んだそういう異世界ものでも、主人公が米を食べたいと叫んでいたけど、今なら気持ちがよくわかる。
わたしは米とパンが半々くらいの生活をしていたけど、こっちにきてずっとパンだったから、お米がおいしく感じられてしかたがない。
「調理法などは教えてもらうことになっていますから、むこうでもお出ししますね」
「ありがとうございます!」
神子の身分もたまにはいいものだ。わたしは万歳したい気分で礼を言う。
あとは、先人に感謝というところだろうか。
少し食休みをしていると、ドアのむこうから声がした。
そろそろ移動する時間らしい。
馬車までどれくらいあるのかわからないけれど、ここは王宮内だというから、すぐそこではないだろう。
歩いて行けるか不安だったけれど、勿論、そんなことは想定内だったらしい。
フリーデさんが入室の許可を出すと、部屋に入ってきたのは立派な担架と四人の女性騎士。
……どう見ても病人扱いだ。いや、まあ今は病人みたいなものだけど。
乗ったことがあるからわかるのだけれど、横たわった状態で運ばれるのは、結構気持ちが悪い。
でも、文句を言うのも気が咎めるし、あれにすわって乗ると、それはそれで危なそうだ。
持ってきたひとたちも、わたしが普通に立っていたので、あれ? という表情をしている。
……で、結局。
がっしりした体格の女性騎士に、おんぶのような状態で連れて行ってもらった。
落ちないように固定されたりしたので、おんぶというか、わたしが背負子の荷物というか……そんな感じ。
重たくないか心配だったけれど、騎士はすいすい歩いて行って、最後には「軽すぎます!」と文句が出た。
階段を三階分くらい降りて、結構な距離を歩いて、外へ出たころには日が出てきていた。
久しぶりの外の空気が気持ちいい。車なんて走っていないから、とても澄んでいるし。
そこからしばらく歩いて行くと、先のほうに門が見えた。
その手前は広場のようになっていて、数台の馬車が停まっている。
一番先頭の馬車の前には、公爵様が待っていた。
騎士は目の前でわたしを降ろしてくれたので、お礼を言って公爵様にむき直る。
「おはようございます、公爵様」
「おはようございます、朝から強行軍で申し訳ない」
昨日よりはいくらか簡素な、多分旅装の公爵様はそう謝ってから微笑む。
そして、丁寧な動作で馬車の扉を開けてくれた。
他の馬車は距離を離されていることからして、これが一番メインの馬車なんだろう。
「ウェンデルが同乗しますから、安心してください」
すぐ後ろには、わたしの荷物が入った袋を持つウェンデルさんが控えている。
それは安心だけど……
「公爵様は?」
本来の主人は公爵様だ、一番いい馬車に乗るのは、彼でなくてはならないはずだ。
わたしの問いに、公爵様はやんわり笑みを浮かべている。
「狭い馬車ではありませんが、私と一緒では休めないでしょう?」
ですから他の馬車に乗ろうと思います、と告げられて、むぅと唸る。
たしかにワゴン車くらいの大きさだから、緊張する可能性はあるけれど。
一番偉いひとを差し置いてというのは流石に気が引けるし、今はそんなに眠くもない。
「できれば、一緒がいいです。色々聞きたいこともありますし」
公爵領についての予習とか、他にも知っておきたい、知るべきことはたくさんある。
落ちついてから教えてくれると言っていたけど、最低限の常識は備えておきたい。
公爵様に恥をかかせてしまうのも避けたいし。
わたしの言葉に、公爵様はしばらく悩んだけれど、やがて、ちょっと困ったように笑った。
「では、そうさせてもらいます。なにかあれば御者台に移りますから、遠慮なく言ってくださいね」
そうしてわたしはウェンデルさんに手伝ってもらって、馬車に乗りこんだ。
中は四人がけで、むかいあう形になっている。
進行方向と同じむきにわたしとウェンデルさん、反対に公爵様がすわった。
そして、馬車が動きだした。