外出と驚かせ
翌日、クヴァルト様はいつもどおり出勤(って変かもしれないけど)して、わたしはフラウさんと勉強する。
魔力の件を聞いてみたけど、やっぱりクヴァルト様と同じくらいのことしかわからないようだった。
あと、ぬいぐるみが動く話の題名を知っていたので、探しやすくなってたすかった。
正直、上流貴族のマナーは面倒くさくて好きになれそうにない。
ただ、神子という存在は特殊なので、国王とのその親族以外なら、こちらから話しかけても失礼とまではならないらしい。
逆に、子爵、男爵にはわたしから話しかけないと駄目だそうで、……うーん。
でも誰がどの爵位かなんて、なかなか覚えられそうにない。
軍人みたいに勲章をつけたり制服でわかるわけじゃないし。
貴族名鑑もあるのだけど、この世界は写真技術は存在しないので、肝心の顔がわからない。
人間の顔を覚えるのが苦手なわたしには、かなりの苦行となりそうだ。
そんなこんなで気疲れしたので、午後のピアノ室にむかう足どりがいつもより軽くなったのはしかたがない。
しかも昨日の新譜も見られるのだから、早足にもなるというものだ。
まだ荷ほどきもしていなかったので、楽譜を袋から出して、一冊ずつ確認して、……あれ?
ひとつ、同じ楽譜が二冊入っている。
わざとかなと思ったけど、他はそんなことないので、多分手違いかな。
書きこみするとはいえ、練習曲以外は、そんなすぐにはぼろぼろにしないし、商品なのだから、持ったままもまずいよね。
中味を確認してみるけど……うん、当面は一冊あれば十分かな。
さて、この余分をどうしよう、とどけてもらうように頼めば、誰かがやってくれるだろうけど……
昨日は楽器店ではあまり時間がとれなくて、他の楽譜を見たりできなかったら、わたしが行ってもいいかなと思ったりもする。
クヴァルト様と一緒に行くのは楽しいんだけど、どうしても気が咎めてしまうのだ。
とはいえ一人で行くなんて場所もわからないし、許可もでないだろうから、誰かしらは待たせてしまうのだけど。
それでも、異性と一緒より、同性とのほうが、気兼ねなくっていうのは大きいわけで。
ちょっといいなと思ったら全部買いましょうと言われるのも、困る部分もあるし。
わたしは離れから本館へもどり、執事頭のメサルズさんを探すことにした。
「セッカ様? どうされました?」
不思議な顔には「練習中では」とありありと書かれていて、……うん、本当にみんなの認識が一緒だな。
自業自得なんだけど、気をとりなおして説明する。
楽譜が多く入っていたので、返しに行きたいとだけ言えば、では誰かに、となるのは目に見えている。
だからわたしは急いでその先を続けた。
「昨日はあんまりゆっくり見られなかったので、どうせなら店に返しがてら買い物もしたいんですが、人出とか、馬車とか、出してもらえますか?」
予定外の行動となると、わたしの一存では決められない。
特に馬車とか護衛とかの問題があるから、邸のあれこれを管理しているメサルズさんにはじめから当たったほうがいい。
駄目かなと思ったけど、メサルズさんはにっこり笑って快諾してくれた。
クヴァルト様を送った馬車も帰ってきているので、足もあるし問題ないとのこと。
……あ、そっか、それなら。
「じゃあ、もう少しあとで出かけてもいいですか? クヴァルト様と一緒に帰れるように」
用事をすませて、迎えに行けば、馬車のひとも手間が減るし、わたしも楽しい。
提案すると、メサルズさんも賛成してくれた。
「きっと旦那様も喜ばれますよ」
……だといいけど、邪魔にならなきゃいいな。
今日は特に遅くなるとは言われてなかったので、大体いつもの帰宅時間だろうとのこと。
そこから逆算して出かける時間を決めて、わたしはピアノ室にもどる。
返す本だけ別にして、新譜を早速練習しはじめた。
三時のお茶がすんだところで、出かける支度をはじめる。
美容部員コンビにお願いしたので、ちょっといつもより時間がかかるから、早めの支度だ。
でも派手すぎず、職員に見られても恥ずかしくない程度に、真面目系で。
たまにはいいんじゃないでしょうか、と髪の毛も結ってもらった。
この国では特に髪型に決まりはないらしく、女性のショートカットも珍しくない。
結婚しなきゃ髪を結わない、とかもないようだ。
こっちにきてから、後ろ髪はそこそこの長さにしているので、遊び甲斐があるらしい。
正直面倒なのでもうちょっと切りたいんだけど、黒髪はあまり見かけないからか、切らないでほしいと頼まれてしまったのだ。
化粧も終わって、やれやれと一息つく。
胸元につけているのは、先日購入した紺色のネックレスだ。
ちょっと涼しいかもということでストールも持っていて、留めるためのピンも同じものにしている。
そしてウェンデルさんと一緒に、馬車に乗りこんだ。
フリーデさんはお休みだ、もっと休んでほしいんだけど、本人が譲らないんだよなぁ。
馬車はまず、楽器店へ行く。
大分見慣れてきた窓からの景色を楽しんでいれば、あっというま……とはならないけど、そんなにはかからない。
中に入ると、昨日もいた店員がすぐ気づいて、あれ? という顔をしてから店長を呼びに行った。
すぐにやってきた店長も、不思議そうな顔をしつつ丁寧に礼をしてくれる。
「こんにちは、あの、昨日いただいた楽譜、ひとつだけ二冊入っていたんです」
二日続けてきた理由を説明しながら、問題の楽譜をとりだす。
「それは失礼しました、ご連絡いただければ伺いましたのに」
うっかりミスで入ってしまったものらしく、恐縮されてしまう。
でも、楽器店にくるのは好きだから気にしないし、返品だけが目的じゃない。
「大丈夫です、今日は他にも用事があって」
店長と一緒に楽譜コーナーに移動して、ぐるりと見回す。
ピアノの普及率は低いので、楽譜は少ない。
でも、一応楽団もあるから、ピアノにかぎらなければ、楽譜は決してないわけじゃない。
つまり、なかったら作ればいいのだ。
「子供の歌とか、流行の歌とかって、楽譜に起こしてあったりしますか?」
棚を眺めながら聞いてみると、あんまりないみたいだ。
小さい子供を預ける、幼稚園っぽいところもあるらけれど、あんまり音楽はやらないらしい。
CDなどがあるわけじゃないから、いわゆる歌謡曲、というものもあんまりない。
酒場とかで歌うひとはいても、彼らはそれが商売道具なので、おいそれとは教えてくれない。
そして、親から子へとか、地方に伝わる歌は、そもそも楽譜が存在しない。
……ゆくゆくはそれらを集めて、ちゃんと形にしたいな。
悲しいかな独創性はないんだけど、音を拾って楽譜に起こすことならできる。
伝承されているものは、いつなくなるかわからない。形にしておくことは、文化の保存という意味で大切なことだ。
……それに、そうすれば、少しはわたしがこの世界にきた「意味」を残せるだろう。
「じゃあ……あとは、初心者用の教本がほしいです」
「教本、ですか?」
わたしの申し出に、店長は意外そうな声をあげる。
というのも、わたしがあんまり毎日夢中でピアノを弾いているせいか、邸の中でちょっとした音楽ブームが起こりそうなのだ。
趣味で吹奏楽をかじっているひとがいて、ここぞとばかりに薦めてきたらしい。
そんなわけで何人かから、興味があるんですが、と言われている。
……でもピアノはあまり人気がない。どうもわたしがやりこみすぎているせいで、気軽にはじめられる気がしないようだ。
誤解を解くためにも、初心者用の教本やらをそろえたい。
それに、ピアノを弾かなくても、楽譜が読めるようになるのはいいことだと思う。
だから楽譜を読むための教本もほしいのだ。
それぞれが自分の好きな楽器を見つけて演奏できれば、とても素敵だ。
お邸楽団みたいなのができちゃったりしたら、なんて夢も見てしまう。
理由を話すと店長は納得して、それなら、と数冊選んでくれた。
その中から吟味して、三冊だけ購入する。
今回はメサルズさんに確認をとって、ウェンデルさんが財布を持っている。
山ほど買った前回のことがあるから、大丈夫か不安だったのだけど、メサルズさんいわく、まだまだ大丈夫、らしい。
だからって浪費していいわけじゃないから、あらかじめ予算を決めておいたのだ。
たまにはこういう買い物をしないと、金銭感覚を失いそうだし。
いくつか見比べた結果、納得のいく教本を買えたのでよしとする。
使用人の邸にいる子供にも教えられたらなということで、子供むけが一冊、大人用の教本が二冊だ。
それらを包んでもらって、わたしたちはクヴァルト様の仕事場へむかった。




