休日の二人(4)
そして帰りの馬車の中。
わたしは新しい楽譜にほくほくしていた。
楽譜店が取り寄せた楽譜はそんなに多くなくて、見るなりクヴァルト様は「じゃあ全部」と迷うことなく言ったのだ。
店員はまた探しておきますとものすごい笑顔で包んでくれた。
内訳は気に入ったデライアさんの楽譜(これはピアノ以外もある)と、上級者むけの本。
これでまた弾ける曲が増えるかと思うと、早く弾いてみたくてたまらない。
クヴァルト様とフリーデさんはそんなわたしを微笑ましく見ていた。
「新しい曲の前に、帰ったら一曲お願いしてもいいですか?」
だから、遠慮がちにそう頼まれて、忘れかけていた約束を思い出す。
「勿論です。練習もしたいですけど、クヴァルト様にも聞いてほしいですし」
楽譜は逃げないから、練習はいつでもできる。
だけど、昨日も聞いてもらってないから、今日弾けなかったら二日も空いてしまう。
それはわたしも寂しいので、是非聞いてもらいたい。
クヴァルト様はよかった、と微笑んで、そうこうしているうちに邸についた。
「ああ、フリーデさん、それ持って一緒にきてもらっていいですか?」
大分遅くなってしまったし、わたしは場面に合わせていちいち着替える気はないので、早速ピアノ室へ行くことにする。
フリーデさんたちは、わたしがクヴァルト様に演奏している時は遠慮することが多い。
気遣い半分と、魔力が変に流れないための人払いだ。
そんなに自覚がないから平気だと思うのだけど、たくさんの人間に魔力を送って、疲れたら大変だということらしい。
だからいつもどおり本館に残ろうとした彼女に、それ、つまり神樹のミニチュアを指してお願いする。
フリーデさんは不服げな表情をちらりと見せたが、わかりました、とうなずいてくれた。
クヴァルト様もむっつりした顔なので、ピアノ室の目立たないところに飾っておこう……
「今日はなににしましょう?」
買ってきた楽譜はとりあえず机に置いておいて、ピアノの蓋を開きながら問いかける。
最近練習しているデライアさんの曲もいいし、まだ披露してないもとの世界のもいいし……
「最初の日に演奏してくれた、月光ソナタをお願いします」
だけどクヴァルト様のリクエストは、ちょっと意外なものだった。
最初の日と、みんなに聞かせたりで、そこそこ耳になじんできている……ならいいけど、飽きてないか心配だったのだけど。
でも、わたしの好きな曲だから、すなおに嬉しい。わたしはいそいそ楽譜をとりだしてセットした。
暗譜しているからなくても平気だけど、やっぱりあったほうが落ちつくのだ。
弾きはじめる前に深呼吸をひとつして、指を鍵盤におろせば──そこからはもう夢中になる。
今日あった嫌なこととか、凹んだこととか、嬉しかったこともなにもかも一緒くたになって、消化されていく感じ。
だけど苛々をぶつけることはしない、そうするとピアノに怒られる気がするから。
勿論そんなのわたしの勝手な感じかただろうし、口にすれば笑われるけど、大事な商売道具であり相棒であるからこそ、弾く時は誠実でありたい。
楽章ごとの少しの間以外を走り抜けるように弾いて──満足して指を離す。
大きな拍手をくれたので、クヴァルト様にも満足いく演奏だったのだろう。
「やはりこの曲を弾いているあなたが、一番あなたらしく見えますね」
そんなにたくさんの曲を見たわけではないですけど、と添えられたけど、その言葉はとても嬉しいものだ。
自分の好きな曲を、自分なりの解釈でつくりあげた演奏で、わたしに合っていると褒められる。
そうそうあることじゃない、最大の賛辞だ。
「ありがとうございます、すごく嬉しいです」
お辞儀をして礼を言い、気恥ずかしくて誤魔化すように笑う。
どうも、こういうのはくすぐったくて慣れない。
「ただ……言いづらいのですが、その分この曲は、魔力がよく流れますね」
……喜んでばかりもいられなかった。
どうやら夢中かつ全力なせいか、結構な量の魔力が放出されたらしい。
全然疲労感はないし、むしろもう一曲! みたいな気分なんだけど……というか、それくらいテンションが上がると、魔力を出してしまうんだろうか。
魔力の質は前と同じくとても上質なので、害になることはないと断言されたのが救いだけど。
「うーん……あの樹みたいに魔力を吸うものって、ないですかね?」
「……アレのように、ですか」
あまり話題にしたくなかったんだけど、思いついたのでそっと口にする。
ファンタジーではよく、アイテムやらを使って魔力を封じるネタが出てきた気がする。
でも今まで見たことないし、クヴァルト様も提案しなかったから、この世界にはないのかな。
「あの樹の前でピアノを弾いたことはないから、なんとも言えませんけど、神子の魔力を吸うんですよね。なら、近くにいれば放出した魔力を吸ってくれるんじゃないかなぁって……」
ただ、樹が勝手に吸いとっていたから、わたしから発したものを受けとるかはわからないけど。
資料があればいいんだけど、細かい部分は連中が部外秘だと渡してくれないらしい。
「……でも、たしかめるためにあそこへ行くのは嫌なので、他にそういう道具がないかなって」
音色がとどく距離なら、中に入らなくてもいけるかもしれないけど、それでも王都へ行かなきゃならない。
このピアノは別にこれといった魔法がかけられてるわけじゃないけど、どのピアノでも効果が出るかはわからない。
万全を期すならこのピアノを運ばなきゃいけないけど……そうなると労力がとんでもない。
それだけ大がかりなことをするとなると、ちょっと行って帰ってくるとはならないだろうし。
……うん、正直、そこまでして試したくない。
クヴァルト様がそのほうがいいと思うなら、頑張るけど。
「……魔力を吸う道具となると、王宮にはあるかもしれませんが、国宝級になるでしょうね。持ち出しは難しいかと」
やっぱりとんでもないアイテムになっちゃうのか。
魔法が簡単に使えない世界だから、そういうアイテムもたやすくつくるわけにはいかないんだろう。
「うーん、頑張って念じたらぬいぐるみとかに魔力が流れたりしないかなぁ……」
「そうして動き出すんですか? おとぎ話にあるように」
「あ、こっちの世界にもそんな話があるんですか?」
やっぱりこういうネタは鉄板なのか。
クヴァルト様も小さいころに読んだか聞いたかしたらしい。
今度書斎にないか調べてみよう。なかったら、いつか本屋に行く時の目標にしてもいい。
「明日にでも、ためしにやってみますね」
ちょうどクマのルーちゃんがいるから、実験させてもらおう。
ファンタジーなんかでは宝石とかだけど、多すぎて割れるとかあったし……あ、じゃあルーちゃんじゃまずいか。
万一があってもいい道具……って、難しいな、誰かに聞いてみよう。
クヴァルト様だと高価なものでもいいですよって許可しそうだから、パスで。
演奏したあとにそれを確認してもらえば、わたしにはわからなくても大丈夫だろう。
できそうなら、いつかはルーちゃんに動いてもらいたいところだけど。
ぬいぐるみが勝手に動く……折角こういう世界にきているのだから、見てみたいじゃないか。
本当にできたら、もう何体か追加して……と想像していたら、遅くなったらしく、メイド頭のアディさんが夕食の準備ができたと声をかけてきた。
食堂へ移動する間も、わたしはぬいぐるみを動かす妄想でいっぱいだった。
できれば小さい楽器なんかも持たせて、行進させてみたい。
子供にも受けそうだし、俗な話だけど、これで稼げるかもしれないし。
「動いたらいいなぁ……」
色々な期待をこめて呟いたら。
「ですが、クマの手では演奏できませんよ?」
……いや、だから、なんでもかんでもピアノに結びつけませんってば!
でも楽団とか考えてたから、遠いとも言い切れない……
しかも大まじめに指摘するクヴァルト様がおかしくて、ツッコミしそこねてしまったのだった。




