遅い夕食
「帰りが遅くなる?」
いつもの時間のころになってもクヴァルト様は帰ってこなくて、代わりにジャンさんが伝言を持ってきた。
帰り際にちょっと急ぎの案件が入ってしまったらしい。
「ですので、先に食事をしてかまわないとのことです」
クヴァルト様の公私を支えるジャンさんが帰ってこられるということは、そんなに大変なことでもないのかな。
聞いてみるとそのとおりで、領主がいたほうがスムーズに運ぶので置いてきたらしい、それもどうなんだろう……
ジャンさんは最近きちんと紹介されたわけだけど、アディさんの息子で、子供のころから一緒だったからか、こういう場面だとかなり遠慮のない喋りかたをする。
これだけ仲がいいなら、もっとはやく会っていそうなものだけど、若い(って言ってもクヴァルト様と同じくらいだけど)から恐がってはと配慮してくれたらしい。
最初の数日は、わたしにかかりきりのクヴァルト様の代わりに、領庁に詰めていていなかったのもあるそうだけど。
それはさておき、どうしようかと悩んだのは一瞬で。
「帰ってはくるんですよね? なら、待っています」
答えなんて決まっている。いくらなんでも日付が変わる前には帰ってくるだろうし、わたしは明日は休みだから、夜更かしも問題ない。
ジャンさんは答えを見越していたのかいたずらっぽく笑うと、
「わかりました、じゃあ俺は先に休みますね、お休みなさい」
潔いほどさっさと邸を出て行ってしまった。ジャンさんはそのへん、すごくしっかりしている。
流石にもう一度ピアノ室にもどるのもなので、書斎で本を物色して、適当なソファに腰かけて読むことにする。
本当はもっと、領地の歴史とか読むべきなんだろうけど、報告書っぽい分厚いそれは、何ページか読むと眠くなってしまう。
読み物になってないから当然なんだけど、どうにかならないかなぁ……
なので家具のデザイン本というのを見つけたので、それをぱらぱらめくっていると、ウェンデルさんが呼びにきた。
時間は……思ったよりは遅くないかな、でも、流石にお腹が空いてきた。
「お疲れ様です、クヴァルト様」
「遅くなりました、……もしかして、夕食はまだですか?」
ウェンデルさんたちと出迎えると、ただいまと言いながらも、わたしたちの様子から察したらしい。
「はい、だって、一人の食事は味気ないですから」
だから早く行きましょうと、反論をさせずにみんなと食堂へ押しやるようにする。
今か今かと待ち構えていた料理長によって、すぐさま食事は運ばれてきた。
「気持ちは嬉しいですが……」
やや渋い顔をしているクヴァルト様に、気にしないでくださいと何度も言う。
本当に平気なんだけどなぁ、夢中になって食事を抜くこともあったし。
……これ白状すると怒られそうだから黙っておくけど。
「それより急用は終わったんですか? 明日、休めます?」
本当なら明日はお休みのはずだけど、と心配して訊ねれば、
「休むために今日すませてきましたからね、大丈夫ですよ」
どうやら片づけて帰ってきたらしい。なんだったのかはわからないけど、流石だ。
口にしないってことは、わたし関連とかではなく、領地の問題だったのかな。
聞いていいものか悩んでいると、ですから、と声が続く。
「明日、行きたい場所はありますか? どこでもお連れしますよ」
「え……いえ、休んだほうがいいんじゃないですか」
いつも何時に寝ているか知らないけど、睡眠時間は普段から多いわけじゃないみたいだし。
今夜は普段より遅くなるのは間違いないんだから、折角の休日、惰眠を貪るべきじゃないだろうか。
「あなたと過ごすことを励みに頑張ったので、いいんですよ」
……そういうことをさらっと囁かれると、すごく困る。
クヴァルト様にとっては、十も年下のわたしは、あくまで保護対象でしかないだろうけど。
多少の恋心を自覚した今にそんな甘い科白を聞くと、期待してしまいそうだ。
「でも、ひとの多いところは……正直、不安です」
市場とか、見てみたい場所はたくさんある。
でも、前回のパニックを思い出すと、行きたいとすなおに口に出せなかった。
周りに迷惑をかけてしまうのも嫌だし、それによってクヴァルト様の評判が悪くなるのはもっと嫌だ。
帰りが遅いと聞いた時から、明日は邸でおとなしくしていようと決めていた。
「そうですね……では、行き先は任せてもらえますか?」
でも、クヴァルト様は出かける気満々らしい。
乗り気なところに水を差すのも申しわけない。
わたしも出かけられるならそうしたいし、でも、
「はい、お願いします。でも、出かけるのは午後からにしてくださいね」
これだけは譲れないと強く言うと、不思議そうに目を瞬かせた。
「午前中は休んでてください。いくら平気って言われても、心配ですから」
断られたらピアノ部屋に連行してもらって、子守歌で寝かせるのもアリだろう。
わたしみたいにごろごろする姿はあんまり想像できないけど、それでも、部屋にいれば休めるはずだ。
クヴァルト様は少し言い返そうとしたけれど、結局肩をすくめて、苦笑いをこぼした。
でもそれは、嫌そうなものではなくて、むしろ反対に見えた。
「……わかりました、仰せのままに」
結局、最終的には了解してくれたので、ほっとした。
「ですが、それはあなたもですよ。私につきあって遅くなったんですから、午前中の練習は……」
するなと注意したかったみたいだけど、わたしの顔を眺めて、言葉を飲みこみ、
「…………ほどほどにしてくださいね」
いささか長い間ののちの言葉は、多分、考え直してのことだろう。
「そんなに残念そうな顔をされたら、苦言も呈しにくいですよ」
「……そんなでしたか」
「ええ、本当にあなたは、ピアノのことになるとわかりやすい」
ぺたり、と頬に手を当てるが、勿論よくわからない。
それでも姉なんかは叱りつけてきたから、クヴァルト様は甘やかしているほうだろう。
なんて喋って厳しくなったら困るので、これも黙っておくけど。
時間も遅いので今日の演奏はなしになった、まあ、しかたがない。
その代わり、昼食前に少し弾いて、昼食後に出かけようという話になった。
クヴァルト様的には外食をしたかったみたいだけど、それじゃ出かける時間が早くなってしまう。
邸の料理も十分おいしいので、明日はとにかくのんびりしてからに決めた。
出かけられるとは想像していなかったので、わたしはわくわくしながら寝る支度を整え、いそいそとベッドへ入った。
どこへ行くのかは教えてくれなかったけど、楽しみだ。




