演奏と自覚
帰宅したクヴァルト様に披露しようと決めたのは、昨日のリベンジ、子供の情景だ。
今日は第一曲から順番に弾いていくつもりでいる。
「ええと、魔力とかはどうしましょう、曲的にあんまりかもしれないですけど……」
なにせ一曲が短いので、魔力にしても精神的な作用にしても、効果が出るかは微妙な気がする。
「あ、でも、演奏時間と持続時間が比例するのかどうかを調べるには、短いものから試すのはありですかね……」
そういうことは特に考えず、昨日いまいちな演奏をしたからという理由で練習していたんだよなぁ。
「今日はすなおに弾いてください、特にあれこれ考えずに」
うーん、と悩むわたしに、クヴァルト様は穏やかな声でそう言った。
でも、それだとどうなるかわからない。
曲のイメージ的にマイナスの作用はないとは思うけど、途中のサブタイトルはちょっと不安なものもある。
「それじゃ、実験になりませんよ」
「別段急ぐものではありませんから、問題ありません」
いや、たしかに王宮にも伝えてないから、知られることもないけど。
はっきりさせたほうが今後のためにはいいはずじゃ……
手を宙にさまよわせたまま迷うわたしに、クヴァルト様が表情を改める。
怒っている、とはちょっと違うけど、少しきつい顔つきだ。
「あなたがピアノを弾く目的を違えてはいけませんよ」
「たがえる、……って」
「あなたが出迎えにこなかった最初の日、私が見たあなたの姿は、とても生き生きして楽しそうでした」
……その時のことはちょっと黒歴史なので忘れてほしいんだけど、いわくかなり鮮烈だったらしい。
たしかにわたしは、ピアノ以外にはわりと淡々としてる、とよく言われる。
ピアノのことになると途端にテンションが上がって別人みたいだ、とも。
「ですが今のあなたは、そうは見えません。私はあなたに、あの時のようにただ弾くことに夢中になっていて欲しい」
やんわり微笑んでそう言われて、ちょっと泣きそうになった。
たしかに、曲を選ぶ時も、好きなものにしようと決めつつも、これを弾いたらどんな効果が出てしまうだろうかと、どうしても考えてしまった。
それもあって、結局この曲になった面も、多分……結構ある。
「このままでは、大勢の前で弾くことは難しいかもしれません。ですが、私はなにがあってもあなたを嫌いになったり、演奏をなにかに利用するつもりもありませんから、遠慮せずに弾きたいように弾いてください」
制御できなければ、前の仕事のようにお客の前で披露はもうできない。
食事中のBGMだから、拍手をくれないひともいたけど、そんな中でも、わたしの曲を気にいってくれたお客様もいた。
そういう喜びが得られないのは、演奏者としては悲しいし寂しい、でも……
「観客が私だけでは、物足りないでしょうけど」
「そんなことないです!」
クヴァルト様が不満なんて、そんなことは絶対にない。
ただわたしのエゴが、残念だと思わせただけだ。
一人だって、何十人だって、変わることなんてない。
手を抜くなんてことは許せない、ピアノに失礼なことはできない。
ピアノを弾いて、わたしの楽しい気持ちを伝えたい──最初に思ったのは、そんなシンプルなことだったんだから。
「……ありがとうございます、ちょっと、がんじがらめになってたみたいです」
半分泣きそうな声で言うと、クヴァルト様は困ったように笑った。
魔力のこと、精神的な作用のこと、考えなきゃいけないことではある。
でも、それに囚われて演奏ができなくなったら、わたしはわたしを失ってしまう。
全然考えずにいるなんてことは無理だけど、でも、今は、クヴァルト様の言葉に甘えて、ややこしく思い煩わなくてもいいかな。
わたしはぱちんと頬を叩くと、改めて鍵盤に身体をむけて、大きく深呼吸した。
難しいことは考えない、今は、ただ目の前の譜面だけ見て、演奏することを楽しもう。
そう決めて、第一曲のタイトルを見て──そういえばぴったりだと微笑んだ。
「……ところで、聞こうと思っていたことがあるんですが」
食後のお茶タイム、部下が大量の書類をばらまいて大変だった、なんて話のあと、クヴァルト様が話題を変えた。
ちなみにさっきの演奏では、特になにも起きなかった。
わたしものびのび弾いていたので、途中から魔力だなんだは忘れていたけど、それがよかったのかもしれない。
思い悩むよりすなおになったほうがいいのかな、と前向きになることにする。
暗い気分でピアノを弾いていたら、折角のピアノにかわいそうだし。
「……ペンダントを渡そうと決めたのは、あなたですか?」
言いにくそうにしていたからなにかと身構えたけど、朝の話だった。
だから出かける時、ものいいたげにしていたのかな。
「はい。ああいうのを渡したほうが、信憑性っていうんでしょうか、が上がると思ったんですけど……駄目でした?」
「いえ、たしかにそうなんですが……誰かが指示したのかと」
「自分で考えました。指図されたとかじゃないですよ」
わたしの意思でなく、説得とかをされて渡したんじゃないかと心配していたらしい。
たしかに思いついてから相談をして、いい案ですと太鼓判を押されたけど、あくまでわたしの意思だ。
「多分返ってくるでしょうし、問題ないですよ」
わざと軽く口にする。なくしたら責任問題だろうし、遅くなるだろうけど、返却はされるだろう。
「ですが、大切なものでしょう?」
「そりゃあ、もとの世界のものですし」
「──そうではなくて」
ひたと見つめてくる群青色の瞳は、誤魔化しはなしですよと告げているようだった。
「あなたはこれまで、演奏する時以外は、襟のあるドレスでした。──本当にずっと、身につけていたのでしょう?」
……バレてたか。
フリーデさんたちにも見つからないよう、着替えが終わってからつけたり外したりしてたんだけど。
「……はい、そうです。でも、大事かっていうと……微妙で、お守りみたいな気分でつけてました」
これは本当だ、大切かというと、ちょっと悩んでしまう経緯があるペンダントだから。
でも、この世界に飛ばされてからは、なるべく肌身離さず持っていた。
もとの世界のことを、忘れてしまわないように。
──わたしは、この世界の人間じゃないんだと、どこかで線引きをするように。
だからある意味、手放してよかった気もしている。
もとの世界にもどれないとわかっていても、そういうものを身近に置くことで、防御めいたことをしていたのだから。
「だから、うまく言えませんけど、すごく気にしなくていいんです」
たどたどしい説明だったが、それが逆に信憑性があったのかもしれない。
クヴァルト様はわかりました、と一応納得してくれたみたいだ。
……うん、よかった、追求されなくて。
わたしはほっと息をついて、紛らわせるようにお茶を飲む。
さっきまでおいしかったはずなんだけど、味はよくわからなかった。
──あのペンダントは、……元彼からのプレゼントだ。
もう会えないし、そもそももとの世界でも別れたようなものだったから、元彼という表記でいいはずだ。
自分でもそんなあやふやな説明になってしまう相手からの贈り物なので、そこまで言いたくなかった。
気にされても困るし、気にされなくても……つらいし。
ちょっとため息をつきたくなって、わたしはジャムの載ったクラッカーを口に入れる。
クヴァルト様はなにか考えているみたいで、わたしの行動には気づいていない。
塩気とジャムの甘みがおいしいはずだけど、これもやっぱりあんまり味がわからない。
紅茶の砂糖を入れすぎたとか、そういう話ではなくて。
──わたしは、クヴァルト様のことが、好きになってしまったらしい。
そろそろ事実を認めなきゃならないようだ。
シューマン「子供の情景」
第1曲「見知らぬ国と人々について」




