救出された日(5)
「では、私たちは控えの間にいますので、なにかありましたら鈴を鳴らしてください」
ベッドサイドの小さい机の上には、さっき使われたベルがある。
ファミレスの叩くやつじゃなくて、手に持ってふるタイプの、小さい銀の鈴だ。
控えの間というのは、いまいちどういうのかわからないけど、少なくとも同じ部屋ではないらしい?
同じ部屋で待機されたら眠れそうにないから、そこはほっとした。
昔の偉いひとはすぐ近くに使用人がいても寝ていたらしいけど、わたしはあくまで一般市民だし。
「他になにかありますでしょうか?」
ない、と答えようとして……そこに大きめの袋が置いてあることに気づく。
小さい机からはみだしそうなそれは、ゴブラン織りみたいな感じで、頑丈そうだけどお洒落なものだ。
使いやすそうでいいなと思うけど、わたしのものではない。
ついでに、ここに置いておく必要があるとも感じられない。
「これはなんですか?」
気になってしまって訊ねると、フリーデさんは大変! と小さく叫んだ。
「お伝えし忘れていて申し訳ありません、そちらはセッカ様のお荷物です」
……わたしの?
でも、わたしの私物にこんな袋はないけど……と考えて、中に入れてくれてるのかと思い至る。
大急ぎで袋を手にして口を開け、中身を確認すると、そこには予想通りのものが入っていた。
「これ!……これ、どうして持ってきてくれたんですか?」
袋の口を閉めてぎゅっと胸の中に抱きこんでから、息せき切って問いかけると、二人はわたしの勢いにとまどいながら教えてくれた。
救出にむかった時に、彼女を、つまりわたしを二度とあそこへもどさなくていいように、私物などがあればすべて持ってくること、と命令されていたらしい。
それで、これを一緒に持ってきてくれたそうだ。
誰か知らないけど、命じてくれたひとには感謝しかない。
他人から見たらたいしたものではないかもだけど、今となってはもとの世界の数少ない私物だ。
「他にもいくつか持ち帰ってきましたが、どう見ても異世界のものだけ、そこに入れてあります」
わたしがもとの世界から持ってきたものは、あまり多くはない。
召喚された時、わたしはたまたま外にいたから、鞄と一緒にこちらにやってきた。
あいつらはそれを奪うことはしなかったので、当時の服やらはすべて、そこに詰めておいた。
さわられたくなくてしたことだったけど、結果的によかったのだろう。
鞄の中にはそんなに色々入れていたわけじゃないけど、一番大事なものが入っている。
もとのわたしの部屋にも思い出の品はいっぱいあるけど……それは、しょうがない。
ウェンデルさんが教えてくれた他のものは、こちらにきてからもらったものなので、全部いらないと言った。
あいつらにもらったものなんて、目に入れたくもない。
予想はしていたのだろう、現物を持ってこないで口頭にしたことからも察せられた。
「では、しかるべき形で処分するように伝えておきますねー」
あとでごねられたら困るから、そのうち返却するのだろう。
売ってお金にとも考えたけど、後々問題になるのも困るし。
「ああ、少し遅くなってしまいましたね、もうお休みください」
フリーデさんたちがクッションを外し、わたしは広いベッドに横になる。
セミダブルより大きい真ん中に寝ると、サイドボードははるか先。
……鐘を鳴らすの難しそうなんだけど……呼ぶ気もないしいいか。
「朝には起こしてしまうと思いますが、申し訳ありません」
「いえ、気にせずたたき起こしてください」
「そんなことできません!」
冗談のつもりだったのに本気で返されてしまった。
フリーデさんが真面目なのか、わたしの冗談が通じにくいのか、両方かもしれない。
「それでは、お休みなさいませ」
「お休みなさいませ」
「お休みなさい」
丁寧な二人のお辞儀に、寝たまま答える。
ふっと部屋の灯りが消されて、残ったのはベッドサイドの小さな灯りだけになった。
暗い室内に、少し、いやかなり恐怖感が出てしまい、わたしはなんとか悲鳴を押し殺した。
さっきの今でそんなことをしたら、二人に心配をかけてしまう。
深呼吸を繰り返して、ゆっくり気持ちを落ちつけていく。
大丈夫、ここは安全な場所、誰もベッドには入ってこない。
そう心で呟いても、気がついたらのしかかられていたことを思い出してしまう。
目を閉じても、開いていても、どちらでも同じだった。
大きなベッドで小さくなって震えていたが、どれだけ時間が経っても、当たり前だけど誰もやってこない。
恐いことはなにも起きない。変な物音もしない。わたしは襲われない。
……ようやく、少しずつ冷静になってきた。
はぁっと重たい息を吐いて、荷物を抱え直す。
正直抱き心地は全然よくないが、手放す気にはなれなかった。
とりあえず。
とりあえず、わたしは救助された。
どんでん返しで連れ戻されるということも、ないだろう。
やっとその実感がわいてきた。
とはいえ、公爵様の領地に行ったからって、万事解決なわけはない。
わたしがいる以上、なんらかの厄介ごとは出てくるはずだ。
あまりあいつらとの関係が悪化するのも、気にしないとは仰っていたけれど、いいはずがない。
宗教による戦争は、泥沼化したり長引くものだ、回避できるならするべきだろう。
あいつらの言うことが本当なら、この世界は他に宗教がないみたいだし、その威力たるや、だ。
それに、いつまでも公爵様のところに寄生するわけにもいかない。
この世界での常識を身につけて、自立する方法も模索する必要がある。
もとの世界と同じ仕事ができるかどうかは……聞いてみないとなんともだし。
ただ、今のところ出会ったひとたちは、ヨーロッパ人のような見た目で肌も白く、私とははっきり違う。
それは、自立するには障害となりそうだ。
まあ、ここはどれくらい外見の違う人々がいるのかも知らないから、杞憂になる可能性もあるけど。
やらなきゃいけないことはたくさんある、あとでメモしたほうがいいかもしれない。
それでも、もとの世界に帰れそうにないなら、ここで生きていくすべを探すしかない。
あいつらと同じ世界にいなきゃいけないのは嫌だけど……
そんなふうにつらつらと考えていたら、いつのまにか眠ってしまった。
幸いにも、夢は見なかった。