必要な事柄(2)
「食後に一曲、お願いしても?」
これ以上長引いては料理長も痺れを切らすし、アディさんも怒るしということで、とりあえず夕食にした。
その最後、デザートの段階で、クヴァルト様にもう一度リクエストされた。
「勿論です!」
栗のお菓子をおいしくいただきながら、喜んで返答する。
デザートはクヴァルト様だけの時は出なかったらしいけど、わたしが喜ぶからと、今では毎日出てくる。
甘いもののとりすぎはと不安になるけど、カロリーを考えたくない生クリームなどは控えめで、素朴なものが多い。
ただ、やっぱり洋菓子が多いので、和菓子系がちょっと恋しいんだけど……どう伝えれば角が立たないだろうか。
和菓子に使う砂糖も植物からのはずだから、あるような気もするけど……うーん。
食べ物の材料とか、あんまり気にしたことがなかったので、リクエストしたくても難しい。
ともあれ、食べた分の消費にもなるから、演奏するのは大歓迎だ。
「周囲に家がないから、夜間でも演奏できるのはいいですよね」
外は道に沿って灯りがともっているけれど、それも最小限だ。
いくら魔法でつけられるといっても、のべつまくなしに設置したりはしていない。
ちょっと入り組んだ住宅街なんかの照明はかなりまばらだけど、あんな感じに近い。
街の灯りも見えないから、ちょっと不気味なくらいの暗さだ。
「もといた場所は、住宅が密集していたので、夜間に演奏したら近所迷惑になりますから」
「音の苦情はこちらでもありますよ、喧嘩の声や、子供の泣き声がうるさい、と」
「全国共通なんですね……」
こっちには鉄筋コンクリートはなさそうだしなぁ。
高層アパートはないけど、話によると、集合住宅とか、ちょっとしたアパート? はあるらしいから、ご近所トラブルも出てくるだろう。
わたしが住んでいた部屋は、そこそこ防音がされていたけど、それでも夜間の演奏はとても無理で。
だから悩んだ末に部屋のピアノは電子ピアノにした。
それだと、夜中はヘッドフォンをつければ、音が漏れなくてすむからだ。
だけどやっぱり物足りなくて、はやく引っ越そうと決意したんだよなぁ。
「でも、帰宅したみなさんの迷惑になると困るので、ちょっとだけにしますね」
まだ就寝時間ではないけれど、今日が休みのひとや、庭師などは、反対側にある使用人の家に帰っている。
どこまでこの音がとどくかわからないけど、あまり長い時間演奏しては迷惑だろう。
わたしたちが遅くなると、入浴やら片づけやらも押してしまうわけだし……
……そうだ、今日の曲はこれにしよう。
練習回数は少ないけど、楽譜を見ながらでも多分……いけるはず。
と、弾く前に、魔力を流さないようにと考えて……
ゆっくりと、サブタイトルの子供の情景に相応しく、愛らしく無邪気さを滲ませて。
名前のとおり、夢に誘うような調子を崩さずに。
「……眠りそうになりました」
曲が終わると、目を必死にまたたくレアなクヴァルト様が見られた。
相当眠たいらしい、珍しく椅子にもたれかかってさえいる。
「べつに眠ってもいいんですよ」
なにせこの曲名はトロイメライ──夢、だ。
眠くなるCDなどにも入っているくらいだし、寝たって問題はない。
「それは流石に……折角のあなたの演奏ですし」
「今度眠れるソファを持ちこんでもらいましょうか」
「寝かせる気満々ですね……」
まだ眠気があるのだろう、いつもよりぼんやりした口調がちょっとかわいい。
べつにいいんだけどな、というか、眠くなれって念じながら弾いたら、みんな寝ちゃったりするだろうか。
椅子にすわった状態だと危ないから、本当にソファを入れてもらって試してみたい。
「ところで、魔力はどうです?」
問いかけてみると、まだぼーっとしながら、そうですね、と呟く。
「……大丈夫そうですね、ただ、ひたすら眠いですが」
……魔力じゃなくて眠気を流してしまったんだろうか。
これって子守歌代わりになるかななんて考えるんじゃなかった。
一曲だけのつもりだったけど、このままだとまずい気がする。
まだ今日の報告やらのちょっとした仕事も、お風呂だってすんでいないのだし。
じゃあ、起こすために……わたしは前置きなくピアノを弾きはじめる。
曲は同じくシューマン、子供の情景の中から「鬼ごっこ」だ。
軽快な音と題名どおり追いかけっこをするような弾ける調子の短い曲。
とても短い曲なのだけど、流石に速すぎると弾ききれず、少しもたついてしまった。
子供の情景はそんなに練習してないからなぁ……
でも、効果はあったみたいで、クヴァルト様の眠気は飛んだらしい。
「失敗があると効果が減るのかもしれませんね」
音楽によるものか能力によるものかは微妙な判定のようだ。
でも、魔力は感じなかったそうだから、とりあえずはよしとしよう。
「──この能力、もしかしなくても結構まずいんでしょうか」
はからずしもクヴァルト様で実験してしまったわけだけど、段々危険性が実感できてきた。
まあ、曲を聞いて眠くなるとかはよくあることだから、確実ではないけど。
単純に魔力を流すだけじゃなくて、ひとの精神にも作用するというのなら、
「……戦意向上とかも、できてしまうんでしょうか……」
戦場のメリークリスマス……は大分違うっけ? よく知らない映画だからなんとも言えない。
でも、それ以外にも戦争に関わる曲は勿論存在する。
ベートーヴェンがナポレオンをモデルに作曲した「皇帝」などが有名かな。
あれはピアノ協奏曲なので、わたしはあまり経験がないけれど……
「可能性はありますが、持続時間がどうなるか、ですね」
ピアノの演奏によってなんらかの効果があっても、それが継続しなければ、特に戦意向上などは意味がない。
演奏を聞いて出陣して、敵陣についたころに効果がなくなっている、ということもありうるわけだ。
「ですから、実用性は低いと思います。……現状そこまで差し迫った情勢ではありませんし」
でも、いざ戦争となったら、使えるものは使おうとなるかもしれない。
能力の解明と制御は、絶対に必要なんだと、ますます実感してきた。
そのへんを調べていくには、色々な曲を弾いてみなければ。
とりあえずしゃっきりしたクヴァルト様に安心して、その日の演奏は終了になった。
入浴を終えて部屋にもどり、フリーデさんにも挨拶をして。
ベッドにもぐったわたしは、けれどすぐに寝る気にならず、さっきのことを考えていた。
──もし、わたしの演奏で士気を高めることができたとしたら。
わたしは平和ボケと名高い日本の生まれだ、戦争は嫌いだし、するべきではないと思っている。
でも、誰かが言っていた、戦争はどうしようもなくなってはじまるものだと。
勿論その前に手は尽くすだろうし、話し合いの席の前に、平和を祈る演奏をすれば、穏便に話が進むかもしれない。
それでも駄目で、クヴァルト様や、この領地に危険が迫ったとしたら。
かつてはそういう場所だったのだから、なにか起きればまっ先に危なくなるのはこの地だろう。
──その時、わたしは、この力を使えるだろうか。
わたしが演奏したことで、恐怖心を一時的に打ち消した人々が、戦争に行って──帰ってこなかったら。
自分の責任だと、きちんと背負うことができるだろうか。
……多分、無理だ。想像だけでも恐くなってくるくらいだもの。
でも、でも、もしも……クヴァルト様に危険が迫っているのなら。
それを、わたしの演奏で緩和できると知ったら。
──きっとわたしは、ピアノを弾く。
シューマン「子供の情景」
第7曲「トロイメライ(夢)」
第3曲「鬼ごっこ」
もうちょっと暗めのシリアスが続きます。




