救出された日(4)
一息入れましょうとフリーデさんに忠告されて、水を飲んで、果物ももらってしまう。
話の途中に食べるのは、と辞退しようとしたけど、公爵様からもすすめられてしまった。
苺っぽいそれはほどほどに酸っぱく甘く、おいしく感じられた。
このところまともに食べていなかったから、食べられるか心配だったけど、大丈夫そうでほっとする。
紅茶かなにかを飲んでいた公爵様は、食器が片づけられたところで遠慮がちに声をかけてきた。
「……まだ話を続けて大丈夫ですか?」
「はい、平気です」
うなずくと、自分から切りだしたのに少し迷うそぶりを見せたが、嘆息して口を開く。
「……本当なら切り上げるべきなのですが、猶予がありませんからね。予想よりあなたがしっかりしているので、明日にでも城を発ち、私の領地へ向かいたいと思います」
それはまた、ずいぶん急な話だ。
わたしは瞬きをしただけだけど、フリーデさんは明らかに不服げな顔をして主を睨んでいる。
「連中は大きな力を持っています。あまり日を置くと、あなたを奪い返すために、なにをしでかすかわかりません」
「それはつまり、暴動の煽動とか、そういうものですか?」
「……ええ、そうです」
わたしが口を挟むと、公爵様はちょっと驚いたように目を見開いてからうなずいた。
この世界の宗教がどういうものかはわからないけど、国王も手が出せない上に、あんな立派なご神木まであるのだから、相当な信徒がいるのだろう。
となれば、民衆を唆すことも可能ははずだ。
その結果王宮に押し入られたりしたら……大変なことになる。
「私の領土にも神殿はありますが、暴挙を許すことはありません。ですからあなたの身の安全のためにも、一刻も早く領地へ戻りたい」
公爵様的には、帰れればまず安全ということらしい。
正直、それをすんなり信じられるほど、楽観的にはなれないけど……
でもこれだけ断言しているなら、なにかあっても全力で守ってくれるだろう。
ちょっと打算的で申しわけないけど。
「わたしなら大丈夫です。明日出発でも」
「セッカ様!」
咎めるようにフリーデさんが声をあげたけど、その先は出てこなかった。
多分彼女にも、それが最善策だとわかってはいるのだろう。
わたしのために反対してくれるのは嬉しいけど、事態は深刻なのだし、しかたがない。
公爵様はわたしがそう決めるとわかっていたのだろう、微笑んで謝意を告げた。
「あなたの決断に感謝します。出発は早朝になるでしょう。馬車で行きますから、乗ったあとは眠れますが……馬車に乗ったことは?」
質問に、首をふって答えにした。
観光ついでに馬に乗ったことはあるけれど、そんな程度だ。
あまり乗り物にも強くないから、馬車も酔いそうな気がする。
「それなら今夜はしっかり休んだほうがいいでしょう。準備は我々がしますから、あなたは少しでも体力を回復させることに努めてください」
「わかりました」
そうして公爵様は、わたしの部屋から去って行った。
きっとこれから、色々な作業があるのだろう。
わたしのことなのに、なにもしないのも気が引けるけど……
「セッカ様、召し上がりやすいスープをご用意しますので、少しでもいいので食べていただけませんか?」
フリーデさんにそう言われて、自分のおなかを思わずさわってみる。
……ものすごく空腹ってほどではないけれど、食べることはできそうだ。
さっきの果物のおかげで、胃が動きはじめているんだろう。
「うん、ありがとう、いただきます」
返事をすれば、フリーデさんは嬉しそうな顔をする。
いそいそとベッドにいるわたしの前に、よく病院で見かけるテーブルを設置していった。
それが終わるころ、またノックの音がして、もう一人女性が入ってきた。
すごくいいタイミング……計っていたんだろうか。
それとも上流階級の女中さんは、こういうのも必須スキルとか?
だったらわたしにはなれそうにない。
なんて考えられる余裕も出てきたことに、自分でも驚いてしまう。
「ウェンデルと申します、よろしくお願いします、セッカ様」
「あ、はい、こちらこそお世話をかけます」
そのひとはフリーデさんより少し若かった。
多分、彼女より立場は下なんだろう。
「今夜はどちらかが必ずおそばに控えていますから、なにかあったらいつでも呼んでください」
慎重にスープを飲んでいると、フリーデさんがそう言った。
今夜、って……つまり、
「寝ずの番ってことですか?」
いやどっちかがいるなら片方は寝ているからちょっと違うか。
でも意味合いとしてはそれで合っているはず。
「はい」
こともなくうなずかれるけど、流石にそれは申しわけない。
二人も早朝出発になるのに、仮眠しかとれないのでは、身体がきついに決まってる。
「ないほうがいいことではありますが、突然熱が上がったりする可能性もございます。見える場所にはおりませんから、どうか控えさせてください」
……そう言われると大丈夫ですからとは返せそうにない。
「出発後も片方は別の馬車で休みますから、大丈夫ですよ! 私たちは馬車に慣れてますから、ばっちり眠れます!」
ウェンデルさんがはきはきした調子で言い切ると、フリーデさんが窘めた。
彼女はずいぶん、陽気な性格らしい。
年も近そうだし、気が合うといいな、こっちにきてから女性の友人はいないし。
身分がどうとか怒られるかもしれないけど、一般人という意識が強いから、あんまり敬われるとむずむずしてしまう。
渋々同意して、予想よりたくさんスープを飲んでしまった。
細かく刻んだ具はそんなに多くなかったけど、流石王宮、スープがものすごくおいしかった。
あそこの料理もおいしかった気がするけど……最後のほうは、なにか混ぜられてる気がして食べたくなかったし、そもそも、なにを食べても苦い気がして……
「セッカ様? 気分が悪くなりましたか?」
フリーデさんの気遣わしげな声に、はっと我に返る。
思い出したくないのに、ちょっとしたことで記憶が出てきてしまう。
慌てて首をふり、平気だと伝えると、少し納得のいかない顔つきだったが、追求はされなかった。
「では、お休み前に身体をお拭きしますね」
「え」
いつのまにかウェンデルさんがお湯の入った木桶を持ってきていた。
「い、いえ、自分でやりますから!」
介護のように他人にされるのは、恥ずかしいし情けないしなんというか色々駄目だ。
多分偉いひとたちはそれが普通なんだろうけど。
……ってことは公爵様も? いや今はそういう話じゃない。
「ダメですよ、熱もあるんですから」
ウェンデルさんは今にもわたしの寝間着を剥がしそうな勢いだ。
「じゃ、じゃあでもわりとさっぱりしてるし今夜はいいです!」
自分で言って、そういえばこざっぱりしてるなと気づく。
最後の記憶では相当酷いことになっていたはずだけど、魔法なんだろうか。
人力だったら当分立ち直れないので、魔法だったことにしよう、異世界だし。
わたしの必死の抵抗に、最終的には二人が引いてくれた。
はやく体調をよくして、一人でできるようにしようと固く誓いながら、腕などやりやすいところだけ拭くだけにした。