楽器店と楽譜
到着した楽器店は、そももそも楽器がちょっと高級品ということで、馬車をつける余裕があった。
なのでそこに馬を寄せると、まずクヴァルト様が降りた。
そして、少し悩んだあと、わたしにむけて手を伸ばす。
……お嬢さん、お手をどうぞってやつだよね。
たっぷり十秒以上悩んでから、わたしはおそるおそる手を重ねた。
骨張った感触は、当たり前だけど女性のそれとはまったく違う。
その手を支えにして馬車を降りて、ありがとうございます、とお礼を口にした。
どういたしまして、と答えて、手はすぐに離れてしまう。
……恐くなかったな。いや、前にもあったから大丈夫とは思ったけど。
うん、いい傾向なんじゃないだろうか。
「いらっしゃいませ」
色々考える間もなく、スタンバイしていた店員がやってきて、入口で丁寧にお辞儀をする。
多分店長とかなんだろうなぁ……という服装をした中年の男性だ。
「楽譜をお求めとのことで、ご案内いたしますね」
「あ、でもその前に、どんな楽器があるのか見せてもらってもいいですか?」
一番の目的は楽譜だけど、この世界の楽器にも興味がある。
ピアノがこれだけもとの世界と同じ形なら、他のものも似ているはずだ。
わたしのお願いに、店長は快く応じてくれて、こちらですと先導する。
そこは、いくつかの楽器が置かれている広いフロアだった。
グランドピアノはないけれど、代わりにアップライトピアノ、コントラバスをはじめとする弦楽器、ティンパニなどの打楽器、フルートにトランペット、サックスなどの管楽器も十分にそろっている。
一応オーケストラ用にそろえているけれど、メインはやっぱり少人数で楽しむためなんだろう、手軽な大きさの楽器が一番多いようだ。
でも、オルガンはともかくチェンバロまで置いてあるなんて……多分、その時代のひとの影響なんだろうけど、ずいぶん音楽に造詣の深いひとがいたんだな。
「楽団も一応ありますが、よほどの場所以外は、本職ではないんです、この街もそうですね」
プロとして食べていけるのは、わたしの世界でも一握りだ。
この世界でも似たような状況らしく、王都であるとか、音楽に力を入れている都市くらいしか、プロの楽団員はいないらしい。
まあ、ここは王都に近いから、仕事にしたければそっちへ行くから、余計にいないんだろう。
そう考えると、王都から近いというのも、いいことばかりじゃないかもしれない。
産業とか、文化とか……王都に持って行かれてしまう。
ともあれ、この街に存在するのはアマチュアの楽団がいくつか。
お祭りの時とか、あとは折々にコンサートも行っているらしい。
それと、舞踊のバックミュージック。そのあたりももとの世界と同じだ。
だけどわたしがしていた仕事のような、レストランで弾くというのは、あまりないみたい。
個人で仕事をしているひとは、ほとんどが教えることで生計を立てているそうだ。
そもそもピアノ奏者自体が少ないらしい、オーケストラが先にできていたのなら、それも当然だろう。
ピアノが存在しているだけでも、奇跡的なくらいだ。
わたしたちの世界ではピアノを習う子は多いけれど、そもそもピアノは他の楽器より時代が新しい。
一人で演奏できるというのは強みだけど、逆を言えば、大人数での演奏にはむいていない。
発表する場が少ないこの世界では、楽団員のほうが演奏する機会に恵まれるのだろう。
オルガンは宗教と結びついている面があるから、もしかしたら神殿にあるのかもしれないけど、わざわざピアノを設置しているホールはそうそうないだろうし、いちいち運ぶのも大変だ。
「この、似たような楽器は、弾けるんですか?」
クヴァルト様が物珍しそうに眺めているのは、オルガンだ。
よく、学校の音楽室にもあった、いわゆるリードオルガンという小さめのサイズになる。
「鍵盤は似てますから一応は……でも、専門ではないです」
オルガンもチェンバロも、ピアノとはまったく異なる楽器だ。
見た目は似ているし弾きかたも一見すると似てるけど……
音の出しかたなどが変わるから、一応弾ける、としか言えない。
そもそもチェンバロは、もとの世界では滅多に弾くものじゃない。
っていうか、このチェンバロ、めちゃめちゃ装飾が凝ってるんだけど、これ、最盛期のやつじゃ……
しかも値段書いてないし、応相談ってあるし。
……うん、うっかりなにか言うとまずそうだから、黙っておこう。
「わざわざありがとうございました」
ざっと見せてもらって満足したわたしは、次に楽譜売り場への案内をお願いする。
なにも買わなかったけど、そもそもピアノを買っているからか、店長の態度はものすごく良好だ。
そしてやってきた、本命の楽譜売り場。
こちらは流石にさっきほど広くないけど、それでも結構な数の本棚がある。
ピアノの楽譜もそこそこあるけど、貴族の趣味という面が強いらしく、難しいものは少ないという。
よくわからないんだけど、貴族のたしなみというのは、上手すぎてはいけないんだそうな。
プロのように巧みである必要はなく、あくまで楽しみなので、そこそこでなくてはいけない。
……って、なんだかなぁと思うけど。それで芽生えなかった才能は、きっとたくさんあるだろうに。
それでも王妃様にもらった小品集のように、それなりに技巧を求められる楽譜もある。
特に気に行っていたひとの作品もいくつかあって、ざっと譜面を見てみる。……うん、もうちょっと難しくてもいいんだけど、やりがいはありそうだ。
上級者むけの楽譜は少なくて、あっというまに見終えてしまう。
待たせちゃったらどうしようと悩んでいたのに拍子抜けだ。
正直数が少ないので、あるだけ買いたいところだが、お金を出すのはわたしではない。
ということで出資者にお伺いを立ててみなくてはならない。
クヴァルト様は邪魔にならないようにと、ちょっと離れた場所にあるソファにすわっていた。
店長と雑談しているところへ、まず絶対に欲しい作品集三冊を抱えて近づいた。
「クヴァルト様、何冊まで買っていいですか?」
なんだか子供みたいだなぁと思いつつ、でも真剣な調子で問いかける。
複写する枚数も制限されているから、あんまりたくさんは駄目だろうと思ったのだけど、
「馬車に乗せて持ち帰れる数なら、何冊でもいいですよ」
意外なことにわりと優しい返答だった。
「買っておけばよかった、とあとで買いに行くよりはいいでしょう?」
「……脱走してまでは買わないと思いますけど」
流石にそこまでではない。そもそもここまでたどりつける気がしないし。
でも、お許しが出たので、中~上級者むけの楽譜は全部買わせてもらおう。
あと、一番気にいった作曲家……デライアってひとの楽譜は、ピアノ用以外もちょっと選んでおく。
ついでに店長に、他にも上級者用の楽譜があるなら取り寄せてほしいことをお願いした。
支払いがクヴァルト様で確実だからだろう、店長は二つ返事でうなずいてくれた。
とどけてくれるそうなので、ありがたく甘えさせてもらう。
楽器を見たりしたので、そこそこ時間が経っていたけど、専門書の本屋も行くことにした。
でも、そこには楽譜はほとんどなかった、予想はしていたけど、ちょっとがっかりしてしまう。
「折角ですから、どんな本があるか見ていきませんか?」
なだめるように誘われて、それもそうだなと思い直す。
フラウさんは習うのにいい本は持ってきてくれるし、書斎にも色々あるけど、本屋には適わない。
図書館もあるそうだから、そこに行ってもいいんだけど……気軽に行けないから、高額でなければ買ってしまうほうがよさそうだ。
この本屋は専門書がメインだから、小難しい本が並んでいる。
魔法に関しては意外に本が少ないけど、指先から炎を出すわけじゃないから、そんなもんかもしれない。
多分、そういうのは禁書扱いなんだろう。
火をつけたり氷を出したりするのは、機械に対して魔力を通すだけなので、本を読むまでもないそうだ。
……わたしには「だけ」ではないんだけど、生まれつき持ってるからなんだろうな。
識字率はそこそこ高いらしく、いわゆる大衆文学の本も多いというが、ここにはない。
「今度、普通の本屋にも行ってみたいです」
ここの本は目的を持ってこなければ、とても選べそうにない。
この世界の化学系の本が並ぶ棚でお願いすると、ぱらぱらめくっていたクヴァルト様が、そうですね、とうなずく。……それ、理解できるんですか?
「多少は。これでも領主ですからね」
領主と化学って関連あるのかと思ったけど、研究費とかの嘆願に答えるかどうか理解するために必要なんだとか。
……つくづく領主って大変だ。
次回更新は一日空けて多分土曜日です。
デライアの名前はハンマークラディーアをいじっただけです。安直!




