お茶の前後
案の定いつもより多い量の昼食が終わり、自由時間になった。
練習中は聞かれたくないのを理解してくれているらしく、クヴァルト様は見にこないと約束してくれた。
ただ、その代わり、お茶の時間を少し長めにとらせてくださいと頼まれた。
ちなみに、このあたりの生活時間は、八時に朝食、十二時に昼食、十五時におやつ、十九時に夕食って感じだ。
まあ、そんなにもとの世界と変わらない。わたしは店で演奏して、閉店後に夕食ってことが多かったから、遅い時間が多かったけど。
昼が少し遅かったから、おやつまであんまり時間がない。練習時間が減ってしまうのは残念だけど、折角の公爵様のお誘いだから、断るのも気が引けた。
次にこうして過ごせるのは、また三日後くらいなんだろうし。
だからわかりましたと頷いて、急いでピアノ部屋へむかうことにした。
昨日からわたしのものになった、ぴかぴかのグランドピアノに、自然と口が緩んでしまう。
にやけた頬を軽く叩いて、まずは指を軽く動かしていく。
それから、昨日の難敵だった練習曲を復習していった。
まだまだもとの水準にはもどらないけれど……それでも、ちょっとずつマシにはなっているかな。
今度のお休みに外出できそうなら、楽譜を買わせてもらおう。
歩いてだと邸の外に出たところで力尽きそうだけど……なんであんなに遠いんだろう。
そんなことを考えながらでも、指運びはそこまでもたつくこともなくなってきた。
もらった楽譜はあまり多くないので、まだ本棚には多くの隙間がある。
昨日探した中に……あったあった。
入門的なものが多い中にも、小品集を集めた楽譜があった。
あとは多分参考用だろう、オーケストラの楽譜も入っていたけど、これは観賞用にしかならない。
この楽譜の作者は色々だから、とっかかりにはいいかもしれない。
もとの世界の小品集と同じく、楽章はない。けど、なかなか長さもあって手応えがありそうだ。
ざっと見て、難易度も低く、短めの一曲を選んで練習をはじめた。
しばらく練習を続けて、切れ目に入ったところでフリーデさんに声をかけられた。
いつのまにかお茶の時間になっていたらしい。
「声をかけて大丈夫でしたか?」
心配そうなフリーデさんに、大丈夫ですよと返事をする。
鍵盤から指を離している時なら、わたしは別に怒らない。
弾いているまっさいちゅうに止められたら、ちょっとむかっとするかもだけど……
そんなことを話しながら、応接室に行こうとしたら、こちらですと別の場所を指示された。
そっちは大きめの食堂じゃなかったっけ……? そこでお茶? と首をかしげていたけど、疑問はすぐに解けた。
結構な広さの食堂の一角は、即席の洋服屋と化していた。
何本かのハンガーにぶら下がっているのは、どれもこれも女性もののドレス。
見慣れないドレスの女性たちは、仕立屋のひとだろう。邸のメイドとは違う服装だ。
「ああ、セッカ嬢、お茶の前に呼んですみません」
椅子に腰かけていたクヴァルト様が、にこにこ笑顔で謝るけど、全然誠意は感じられない。
「これって、もしかしなくても」
「ええ、あなたの新しいドレスにと、店から持ってきてもらいました。好きなものを選んでください」
つまりは既製品らしい、よかった、オーダーじゃなくて。
オーダーメードだったら流石にこんなにないだろうし、直接部屋に持ってきただろうけど。
にしても、お金持ちってこういうのを本当にやるんだなぁ……店が邸にやってくるなんて。
労力に報いるためには買わなきゃいけないけど、……当然ながら値札はついていないわけで。
一枚いくらするんだろう……何枚選べばいいんだろう……うう、ぐるぐるしてきた。
「選ぶの、大変なんですけど……」
いっぱいあって目移りしてしまう。正直いちいち試着するのも面倒だし時間がかかりそうだ。
それくらいなら練習にもどりたい気持ちもある。
大体、サイズが微妙に合ってないけど、ドレスがないわけじゃないんだし。
そのへんは公爵様もわかっていたらしく、外出に着られそうなものを数着と、ちょっといいドレスを一枚くらいでどうでしょうかと提案された。
今度のお出かけ用に、ということらしい、たしかに人前に出るのに、あんまりだぶついたドレスじゃ微妙な印象になってしまう。
「でも、ドレスはどうして」
ハンガー二本分の、シンプルめだけれどパーティー用のドレスたちは、わたしには不要じゃないのかな。
社交はしなくていいって言ってたし……
「私たちに聞かせてくれるのでしょう? その時のために一枚選んでおいてください」
……なるほど。そういえば言ってたっけ。
だから袖口がすっきりしていて、演奏の邪魔にならないものばかりなのか。
事前にきちんと伝えておいたのだろう、あれを連想する鮮やかな赤と青のドレスは一枚もない。
サイズは大体合うものを選んできているし、選び終わったらいったん店に持ち帰り、ぴったりに直して再度おとどけしますということらしい。
フリーデさんと、いつのまにか合流したウェンデルさんと一緒に、外出用のドレスを三枚、演奏用を一枚選んだ。
それから公爵様には席を外してもらい、店のひとに採寸してもらい、やっと解放される。
でも、あれこれ薦められたりしなかったので、もとの世界の買い物よりは楽だった。
「練習時間を減らしてしまって、申しわけなかったです」
応接室に移動して、ようやくのティータイム。
ふっかふかのシフォンケーキをぱくついていると、眉を下げたクヴァルト様の声。
まあ、たしかに今日の練習時間は少なくなりそうだ。
あとは、夕食までの二時間弱しかないわけだし。
「べつに、いいですよ、今日は」
むしろクヴァルト様は折角の休日なのに、ほとんどわたしにつきあっているから、いいのかなってくらいだ。
わたしは明日の午後はまるまる練習できるけど、クヴァルト様は仕事なわけで。
こっちに謝る筋合いなんてどこにもないと思う。
「クヴァルト様は休日ってなにをして過ごしているんですか?」
趣味の時間をわたしに使わせてしまったわけだから、ちょっと申しわけない。
「天気のいい日は乗馬ですかね、あとは街の様子を見て回ったり」
……前半はいいとして後半は趣味と仕事が混じってるような。
これといった趣味はあんまりないのかな。
禁欲的だとは思わないけど、なんていうか、積極的な感じも見えない。
「あまり面白いことはしていないので、あなたと過ごすのが楽しみですよ」
喜ぶべきかもっと遊んだほうがいいですよと言うべきか。
でも、わたしに言われたくないだろうなぁ……わたしも趣味って特にないし。
「あなたは……やはり練習ですか?」
「はい、あとは、他の演奏を聞きに行ったりしました」
実際、それ以外のことはあんまりしていない。
一応恋人がいた時は、デートしたりもしたので、一通りのデートスポットには行った気がする。
勿論楽しかったけれど、それは趣味とは違うだろう。
「演奏会ですか……あまりここでは開かれないので、これを機に考えてみるのもいいかもしれませんね」
ふむ、と呟くクヴァルト様の顔は、多分領主の顔なんだろう。
なんというかお互い、仕事と趣味がごっちゃになっているような……
そういう意味では似ているんだろうか。
なんてことを考えながら、最後の一切れを口の中に放りこんだ。
明日も更新します。




