散策の午前(3)
迷路は邸から見えない場所にあった、上から見てわかったら困るからだろう。
かなりの高さがある生け垣なので、まったく先が見えない。
綺麗に整えられたそれは、まさしく緑色の壁だ。
出口には外側からは鍵がかかっていて、普通のひとは中からしか開けられない。
反対側にある入口は、鍵もなにもなく、入口と書かれた木戸がある。
そこを開けて、いよいよ迷路に突入した。
「……って、クヴァルト様は道を知っているんですか?」
中には時々蔓薔薇なども絡まっているが、壁の大部分は緑の生け垣。
途中途中に分かれ道があって、そこを選んで進んで行く、よくある迷路だ。
もし正解を知っているなら、黙っていてもらわなければ。
「いえ、最後に入ったのは……いつでしょうね」
──つまり、覚えていないくらい昔ということか。
それは庭師もやりがいがないだろうな……と思ったけど、使用人のみんなも自由に入っていいと言ったので、そこそこ賑やかにしているらしい。
これも福利厚生的なものになるのかな……って、ここ行き止まりだ。
突き当たりには小さな水瓶が置いてあり、本物の蛙がのんきに鳴いていた。
しょうがないのでもときた道をもどり、また道沿いに進んで行く。
「こういう時はどちらかの手を壁に沿わせて行くんですっけ?」
「時間はかかりますが、必ず到着できる方法ですね」
しかし生け垣を直にさわるのは、いくらきちんと刈られていてもいまいちやりづらい。
それに、確実にゴールできるけれど、面白くないという欠点もある。
あまりにも迷ったら考えることにして、とりあえずは適当に歩くことにする。
「この迷路って、ずっと同じ順路なんですか?」
わたしの後ろをついてくるクヴァルト様を振り返り、訊ねてみる。
道は二人並んで歩けないことはないけれど、わたしの好きに進ませてくれるらしい。
「いいえ、ほら……そこに鉄の柵があるでしょう」
そこ、と示された場所には、生け垣の壁の代わりに、鉄のこじゃれた柵があった。
押しのけてその先へ行くことはできそうにない。
頑張れば退けられるだろうが、流石にそれはルール違反だろう。
そういえば通った道にも、こういうのがあった気がする。
「この柵の位置を変更することで、道を変えているんですよ」
なるほど、生け垣を作り直すのは大変だけど、これなら簡単だ。
しかもこの設計図は庭師頭が代々受け継ぐもので、他の人間は見ることもできないらしい。
クヴァルト様もですか、と聞いたら、そうですよとのこと。
……某お菓子缶みたいだ、あれも社長も中身を知らないんだよね。
ということは、さっきわたしに好きな花を聞いてきたあのおじいさんしか、正確な姿を知らないわけで。
なかなか凄いことだなぁ、なんて、ちょっと考えながら歩いていたのがまずかった。
きちんと整備はされていても、下は石畳ではなく軟らかい土。
そのため、わたしは柔らかい土に足をとられてよろけてしまった。
けれど、咄嗟に公爵様が手をにぎってくれたおかげで、数歩たたらを踏むだけで転ばずにすんだ。
「あ、ありがとうございます」
突然がくんとなった驚きで、心臓がバクバクしている。
無意識にぎゅっと手をにぎりしめて、……なにか変だなと思った。
「あの、クヴァルト様と、前にも手をにぎったこと、ありましたっけ?」
──なんだか、はじめての気がしない。
問いかけてみると、クヴァルト様はちょっと困った顔をしていた。
「……って、あるわけないですよね。いつも気を遣ってもらってるのに」
ここへ到着して、馬車を降りた時とか、公爵様は先に降りて、わたしを見て、でも、フリーデさんたちにまかせていた。
ドアを開けたりとレディファーストは完璧なのに、わたしとは一定の距離をとっている。
今も迷路の道は細いのに、必要以上に近づこうとはしていない。
「──あなたを、恐がらせるかと思って」
やつらと同じ男性だから、ということなのだろう。
最近やっと男性の給仕係やらを見かけることが増えたけど、それは裏を返せば、今まではわたしの目につかないよう配慮されていたということだ。
働き手として、守衛とかとしてだって、若い男性は必要不可欠で、少なくない数いるはずなのに。
そんな気遣いをする公爵様が、自分からふれるようなこと、するはずがない。
でも……なんだか、とてもしっくりくる。まるで何度もにぎってもらっているみたいに。
「嫌では、ないですか?」
静かな質問に、嫌ではないです、と首をふった。
全然嫌じゃないし、久しぶりの感覚が、ちょっとくすぐったいくらいだ。
不思議なくらいに、マイナスの感情はわいてこない。
フリーデさんたちは雇われているという立場を崩さないので、着替えとか世話をする時以外に接触はない。
握手もしていないから、こんなふうに手を普通ににぎったのは、この世界にきてはじめてじゃないかな。
……やつらに、拘束された時は、腕をつかまれていたけど、あれは手首だったし。
「あいつらの見た目って、特殊じゃないですか。だから……男のひとっていうよりは、神官、って感じが強いのかもしれません」
規則らしく頭髪も剃っていたし、いつも神官服だったし。
同じ人間という感じも薄いところがあった、そのへんは腐っても神職なんだろう。
だから、男性恐怖症というよりは、神官恐怖症、かもしれない。
「……って、ごめんなさい、いつまでも」
ずっと手をにぎりっぱなしだった。もう早くなっていた鼓動も落ちついているのに。
慌てて離そうとしたけど、なぜか逆ににぎり返されてしまった。
数歩クヴァルト様が足を進めて、わたしと横一列に並ぶ。
「少し道が危ないですから、嫌でないなら、このまま行きましょう」
そんな提案をされて、痛くない程度に手を引かれる。
ほどこうと思えば簡単にできるくらいにしか、力はこめられていない。
……だけど、手を離すことはしなかった。
久しぶりの感触が、思った以上に暖かくて、居心地がよくて。
足元が悪いせいだから。
迷路を出るまでだから。
だから……繋いだままでいた。
「出口……!」
それからも結構迷って、やっと出口に到着する。
「ようやく出口ですね、クヴァルト様」
「ええ、こんなに手こずるとは思いませんでした」
お互い顔は疲れていたけど、どこか声が弾んでしまう。
途中の行き止まりも、ただ単に外れなわけではなく、石像があったり、椅子があったり、小さな鉢植えが置いてあったり。
庭師の心意気が至るところに感じられる迷路は、子供になったみたいにわくわくした。
次の角を曲がったら、なにが待っているのか、とても楽しみだった。
無事にゴールにつけて嬉しいような、終わってしまってさみしいような、複雑な感じだ。
「楽しかったですね」
有名な遊園地にあった大迷路は、脱出者がいないことで有名だった。
他の迷路も、タイムを競ったり、お化け屋敷が一緒だったり。
こんなふうに、純粋に楽しむ迷路は、はじめての気がする。
「また、道が変わったころに挑戦しましょうか」
「はい」
石畳の道にもどってきたところで、するりと手が離される。
遠くからはこちらに歩いてくるフリーデさんの姿が見えた。
クヴァルト様が懐中時計をとりだして、おや、と苦笑いをこぼす。
どうやら、迷路で結構時間を使ってしまったらしく、昼食の時間をとっくにすぎているらしい。
だから心配して迎えにきてくれたのだろう。
「量が多くなりそうですね」
……たしかに。ことにわたしに対してはそうなりがちだ。
我慢しているわけでも痩せたいわけでもなく、そんなに入らないだけなんだけど、なかなか信じてもらえない。
でもまあ、これだけ歩いたから、いつもよりは食べられるだろう。
今日の異世界メニューはなんだろうか、と喋りながら、わたしはフリーデさんに手をふった。
そこで質問し続けていれば、公爵は答えていたかもしれません。
明日も更新します。




