救出された日(3)
「神殿内での治療にこだわった神官たちを、女性のことは女性にさせるべきだと説き伏せて、ようやく王宮に連れて行くことができました」
国王づきの最も高位な医療従事者が、女性だったことが幸いしたらしい。
神樹の神殿は女人禁制なのだという。唯一の例外は神樹の子だけ。その場合だけ、男でも女でも、神殿内で生活できる。
とにかく、そうしてやっと私を神殿から連れだして、観察術……魔法で患者の状態を調べることらしい……をして、下級神官の言葉が事実だと判明したらしい。
……すごいな、観察術って。レントゲンとかCTスキャンとかがいっぺんにできる感じなんだろうか。
「その時は私も王の側で報告を聞きましたが……私が軍隊を所持していたら、すぐさま神殿を襲って火でもかけていましたよ」
低い、唸るような声に、わたしはいつのまにか下げていた顔を上げて公爵様を見た。
さっきまでは押し殺した無表情だったそのひとは、今、はっきりとした怒りを滲ませていた。
けれど、わたしと視線が合うと、すぐに表情を落ちつかせる。わたしがこわがらないように、だろう。
「国王は立場上、あなたとあまり接触することができません」
政教分離の観点からすれば、当然だろう。べつにそれに苛立ちは感じなかった。
忙しいだろうから、見舞いにこられないのも不思議ではない。
ほとんど会ったこともないひとだから、どうこう思えないだけかもしれないけど。
……まあ、正直、評価は低いけど、それは我慢してもらおう。
「ですが、回復したあなたを神殿に返すわけにはいきません」
──それは、絶対に嫌だ。
思わずぎゅっと拳をにぎると、フリーデさんがそっと手をさすってくれた。
横目で見て、視線だけで感謝を告げる。
「そこで、あなたを我が領で保護する方向で話が進んでいます」
だから見舞いに最初にやってきて、侍女もお城の中なのに、公爵様に仕えているひとなのかと納得する。
普通なら、城づきの誰かが世話をするものだろう。
「でも、それって、とても大変なんじゃ……」
公爵だからといって、神子を勝手にどうこうできる権利はないはずだ。
召還したのは神殿(というか樹だけど)なわけで、神子が必要なのも神殿、元気になったらもどってこいと言うに決まっている。
神樹のためという表向きの、いや、本来の目的を盾にされたら、断るのは難しいはずだ。
だって、……神官たちから聞いた話だけだから、鵜呑みにしていいかはわからないけど……
「……神樹が枯れてしまったら、世界が崩壊するんですよね?」
わたしがいなくなったせいでそうなってしまったら、大問題、なんてどころじゃない。
そもそも今ここにいるわたしだって無事ではいられない。
けれど公爵様は、穏やかな微笑みを浮かべたまま。
「そう言われていますね。ですが、神樹は一本ではありません。数多くはありませんが、そのうち一本が枯れても、すぐに世界が滅びることはありません」
この世界がどれくらい広いのかはよく知らないけど、他にも国があることは聞いていた。
つまり、他の国か地方かは知らないけど、どこかに同じような神樹があって、全部がなくならなければ大丈夫らしい。
「神樹の子は各地で召喚されています。どうしようもなくなれば、この地の神樹も新しい者を召喚するでしょう」
わたしの存在は神樹にとっての栄養剤、つまり、召喚は生存本能に従った行動、というのが近いらしい。
神官たちはもっと大仰に言っていたけど、日本人の私からすると、そういうふうに受けとれた。
「ですから、あなた一人が背負う必要はありません。そもそもあなたは異世界の人間です。我々の世界の問題に巻きこんでいるのですから、堂々と拒否する権利があります」
それは、言われてみればそうだけど、右も左もわからない異世界で、そうするだけの気力はわたしには存在しそうにない。
その結果着の身着のまま放り出されたら、現状では生きていくすべも見つけられないだろう。
「……我が領があなたを迎えるに適している点はいくつかありますが」
そこで言葉を切って、公爵様は指を一本、立てた。
「まずひとつめ。私の領地は馬車で一日はかかります。遠いというほどではありませんが、連中が押しかけてくることはありません」
神樹の神官は、基本的に神殿から離れないという。
短時間出かけても、旅行などはもってのほからしい。
つまり、王城までは押しかけてこられるけど、領地までは無理ということだ。
……この国は結構信心深いらしいから、多分領地にも神殿関係の建物はあるんだろうけど、そこは大丈夫なんだろうか。
でも、公爵様の様子を見ていると、それくらい考慮ずみなんだろうと思えた。
公爵様は次の指を立てる。
「ふたつめ。私は信仰心が薄いので、神殿にあれこれ言われても揺らぐことはありません」
それがこの世界で珍しいことなのかはわからないけれど、わたしにとってはありがたいことだ。
だからだろう、彼のわたしへの態度は、丁寧だけれど、神子だからおもねる、という雰囲気がない。
そして公爵様の指は三本に増える。
「みっつめ。曲がりなりにも公爵です、それなりの力もありますし、あなた一人を招いても、身代を持ち崩すようなことはありません。あなたが今後──元の世界に帰ることは難しいですが、それ以外のなにかしらの未来を望む時は、相応の手助けができます」
「でも、公爵様には、なんの得もないことですよね?」
神子ではあるけれど、自覚もないし、召喚されて特殊能力に目覚めたわけでもない。
ただ神樹のそばにいただけだ。それで十分栄養剤として役に立っていると、神官たちは言っていた。
だから魔力はあるらしいけれど、なんの魔法も使えない。
これから公爵様は神殿に睨まれる。本人はびくともしなくとも、国王すら手が出せない存在だ、影響は少なからずあるだろう。
わたしは、どう考えてもただのお荷物だ。
「……国王と私は友人でもあります。その彼が、私に頭を下げて頼んできました。ですから、彼のためにも……どうか、お願いします」
公爵様は重い声でそう言うと、あろうことかわたしに頭を下げてきた。
年上の、しかも身分も上のひとにそんなことをされて、わたしは慌ててやめさせようと身体を動かして、……ぐらりと倒れかけた。
「セッカ様!」
側にいたフリーデさんのおかげで崩れることはなかったけれど、改めて本調子ではない自分の身体に気づかされる。
この状態では、一人で生きていくなんてできるわけがない。せめて、もう少し体調がよくなって、この世界のことを知るまでは……
だけど、神殿の近い王宮には、いつまでもいられない。
たとえ安全が保障されても無理だ、できるだけ急いで遠ざかりたい。
他に頼れるひとは思い浮かばないし、公爵様は、少なくとも誠実でいいひとに見える。
──なら、わたしのとる道はひとつしかない。
「……お世話を、かけますけど、よろしくお願いします」
心配そうな公爵様に、切れ切れになりつつそう声をかけると、彼はぱっと表情を明るくした。
「どうか世話などと思わずに、遠慮なく頼ってください」
そうして力強く請け負ってくれて、わたしはようやく、肩の力が抜けた気がした。