家族の話
「お帰りなさい、クヴァルト様」
昨日と同じ場所でしばらく待っていると、やがてクヴァルト様が帰ってきた。
この挨拶にも、大分慣れてきた気がする。
先に食堂へむかわせてもらって、二人で食事をとる。
「今日は運動しました、まあ、歩いただけですけど」
そのせいか、今日はごはんの量が多い気がする……お米だから嬉しいけど。
でもピラフなので、和風ではない。というか、和食には出汁とかいるけど、あるんだろうか。
鰹節のつくりかたはよく知らないけど……たしかすごく大変なはずだし。
まあ、わたしはそんなに食事にうるさいほうじゃないと思うから、あんまり気にならないけど、前の神子たちはつらかっただろうな。
現代人ならともかく、たとえば江戸時代くらいだったら、こういう料理は食べつけないだろうし。
「あ、あと、いただいた楽譜は使い切ってしまったので、新しいのください」
易しめの曲とお気にいりのものを写したら、すぐ尽きてしまった。
明日も書き写したいので、となると全然足りない。
だからと要求すると、面白そうに笑われた。
「あなたはピアノに関することだと、おねだりも素直ですね」
「……すみません」
「いえ、構いませんよ、でも、枚数は制限しますからね?」
たしかに、ものすごく気軽に頼んでしまった。
どうもピアノのことになると、色々飛んじゃうんだよなぁ……よく注意されたっけ。
印刷技術はある程度あるらしく、借りた本もちゃんとした装丁だったから、五線譜もそんなに高額じゃないと判断したけど……ちりも積もればだものね。
でも、ピアノが到着したらすぐ弾きたいから、準備万端にしておきたいし。
クヴァルト様いわく、ピアノと一緒にこの世界の譜面もくるそうだから、それから弾いてみるのもいいけれど。
仕事のほうは順調で、雑談の時にわたしがどんなふうに過ごしているかをよく聞かれたくらいらしい。
……しっかり噂は広まっているようだ。
今のところ同情するものばかりで、批判的なものはないらしい。
このまま騒ぎを起こさなければ、大丈夫……なのかな。
信仰心に疎いわたしには、そのへんの機微がなんともだ。
それはクヴァルト様も同じらしいけど、長年生活しているから、判断はつくみたい。
基本的にみんな大なり小なりの信仰心は持ってるそうだけど、軍関係は実力主義な面があるから、信仰心が薄いひとが多いらしい。
「あとは……神など信じられない暮らしをしていた者には、信仰心は少ないでしょうね」
はっきりしない濁した説明だけど、察しはついた。
つまり、生活環境の悪い人々ということだろう。
この世界のそういう、つらい部分で生きているひとは、どれくらいいるんだろう。
あんまり多くないといいんだけどな……
「聞きづらいんですけど、このあたりって……」
環境がいいんですか、と直で問いかけるのは、流石に微妙だよなぁ。
でもクヴァルト様は正しく把握してくれたらしい。
「そういった面には力を入れていますから、自信はありますよ。そのせいで領主がこうなわりに、信心深いかたが多いというおかしな話ですが」
つまり、治安のよさはかなりのものってことか。
住みやすいという点ではとてもいい話だ、信仰心は……ちょっと複雑だけど。
仕事から逃げた神子とか怒られたりしないだろうか。
いや、逃げたのは事実だからそこはなんともだけど……
「信仰心が高いということは、それだけミコへの思いも強いということです。あなたを糾弾する人間はほとんど出てこないと思いますよ」
嘘が嫌いだというクヴァルト様は、こういう時でも断言しない。
不安を煽る面もあるかもしれないけど、安易に大丈夫と断言されるよりは、わたしはいいと思う。
もうじきやってくるはずのマナーとかの先生に、しちゃいけないこととかちゃんと聞いて覚えておこう。
品行方正に慎ましくして、目立たずいれば、神子のことも忘れてくれると思いたい。
公爵様は今のままでも問題ないですよと笑うけど……
「身内の判断は、あてにならないですよ」
大体点数が甘くなるものだ。そうこぼすと、クヴァルト様は一瞬目を見開いて、それからくすぐったそうな笑みを浮かべた。
「身内、と、思ってもらえているのは面はゆいですね」
「あ……つい、すみません」
「いいえ、嬉しいので遠慮なく。私にはきょうだいもいませんから」
ということは、家族はお母様だけ、なのかな? 親戚はいるんだろうけど。
しかもそのお母様は、修道院で会ってないみたいだし。
十分な大人だから、寂しいとかはそんなにないだろうけど、独身だし、ひとりの時間が長かったんだろう。
わたしが身内なのは、ちょっとおこがましいかもしれないけど、でも、喜んでもらえるなら嬉しい、かな。
「姉がいましたけど、年が離れていたからお説教が多くて、ちょっと大変でしたよ」
いやまあ、怒られたのはわたしがピアノばっかりだったからで、よく考えなくてもこっちが悪いんだけど。
両親は遅めにできたわたしにわりと甘くて、だから好きにさせてくれたんだけど、その分姉が厳しかった。
その姉もはやくに結婚したし、わたしは大学から一人暮らしになったから、数えてみると一緒の時間は少なかったかもしれない。
今にして思えばもっと遊んだり、しておくべきだったんだろう。
「男の兄弟はいなかったから、ちょっと残念かもですね」
「アディのところは男三人だったので、毎日戦争でしたよ、ここにまで大声が聞こえてきましたから」
使用人の家がある離れっぽいところからここまでって、結構距離があったけど……
そんなに叫ばなきゃいけないほどの生活って、かなり凄そうだ。
男の子がいると大変だって話は聞くけど、今度メイド長さんに話してもらおうかな。
「……まあ、たまに私も混じって怒られていましたけどね」
クヴァルト様にもちゃんと子供時代があったらしい、いや、当たり前だけど。
でも、そうなると男の子四人……他の使用人の子供もいたら……それはかなり大騒ぎになりそう。
王都にある、貴族が入る学校に行くまでは、ここでみんなと遊んでいたらしい。
「そのころは身分やらなにやら……面倒なしがらみはあまり感じずにいましたからね」
少しだけ寂しそうな表情に、貴族は貴族で大変なんだなと思う。
お母様はクヴァルト様を産んですぐ、修道院に入ったらしい。それもどうなのかと思うけど……
で、領主であるお父様はその前に亡くなっているので、成人するまでの領主代理にやってきたのが、お父様のお父様、つまりお祖父様だったらしい。
「……あれ? 代理? もともと領主だったのではなくて?」
なんだか変な話だと首をかしげてしまう。
そもそもやってきたっていうのも不思議な感じだ。だって、領地に住んでいたんじゃないのかな。
それとも隠居生活は王都で送っていたとか?
「?」マークで一杯のわたしに、
「少し長い話になるので、場所を変えましょうか」
そう提案してきた。
たしかに、いつまでも食堂にいては、片づけや掃除の邪魔になってしまう。
わかりましたと返事をして、案内されたのは応接室……っていうのかな。
そこそこの広さの部屋にはくつろげるスペースが用意されている。
食前食後にお酒などを飲んだり、ゲームをするところらしい。
隅のほうには撞球台が置いてあるし、壁には射的の丸い板もとりつけられている。
わたしはふかふかのクッションに、公爵様は椅子にすわる。
「では、あまり面白くない話で恐縮ですが、私の身の上話といきましょう」




