運動に複写
目を覚ましたら、クマがいなかった。
あれ? と思って探したら、ベッドの端にいた。……投げちゃったかな。
それでも落ちないあたり、横幅があるんだなぁ。
クマをベッドサイドの机に置いて、とりあえずぐっと伸びをする。
時間は……八時。やっぱりあんまり早起きじゃない。
反省しつつ顔を洗い、衣装部屋に入って手前のほうのドレスから適当に選ぶ。
手前の数枚のドレスは、昨日フリーデさんたちが直してくれたものだ。
シンプルなものばかりだから、わたし一人でも着られるはず。
ドレスというより、ちょっと豪華なワンピースって感じだし。
コルセットとかするのかなと思ったけど、そういうのはよほどの時だけらしい。
普段からつけなくていいのはありがたい。できればパーティーでもしたくないけど……
そんなに締めないでほしいところだ。
深い緑色のドレスを着て、そうだ、とついでにスカーフを探す。
……わりと派手なのが多くて、これぞというのはなかった。
リボンでもないかなと探したけど、お母様の年齢的にか、そういうのもない。
あとでフリーデさんに聞いてみよう、直した時に出たハギレとかかでもいいし。
そうこうしているとフリーデさんがやってきて、ドレスのできばえに満足げにうなずいた。
髪型をいじりたそうにしていたけれど、それより公爵様に挨拶したい。
まだいるはずだし、と廊下へ出てみれば、階段のほうに人影が見えた。
「クヴァルト様、おはようございます」
階段を上がってきたところで声をかけると、いつもどおりの笑顔でおはようございますと返される。
それから、ちょっと申しわけなさそうな顔になった。
「すみません、ちょうど今朝食を食べたところでした。待っていればよかったですね」
「あ、いいえ、気にしないでください」
寝坊には違いないし、寝かせておこうという気遣いだったんだろうから、文句はない。
明日からはたたき起こしてもらおうかな……
それでも昨日よりは時間があるから、公爵様を遅刻させずに話ができる。
ということで同じように、わたしの部屋でお茶をもらいつつちょっとだけ話をすることにした。
「顔色も悪くないですし、今日は医師は呼ばなくても大丈夫そうですね」
眠れたか聞いてからそう言われて、はい、と応じる。
往診にきてもらうのは、どうも気が咎めるし、病気じゃないのだし。
領主の館自体は毎日誰かが詰めているそうだけど、交代でみんなが休むらしい。
役所が年中無休なのは、利用するがわにはいいことだ。現代社会も見習ってほしい。
で、その休みは大体三日に一度くらいで、公爵様も同じなんだけど、王都へ行っていた分もあるから、一週間くらい毎日登庁するらしい。
「ですから、あなたに色々案内するのは、もう少し先になってしまいますが……」
すまなそうに言うけれど、領主は他にいないのだし、仕事を優先するのは当然のことだ。
ちょうどそのころにはわたしももっと元気になっているだろうし、タイミング的にはむしろいいんじゃないだろうか。
それまでは邸の中を探検させてもらえればいいし。
「ああ、探検といえば、書斎にある本はどれでも持っていって構いませんから」
小難しい本だけではなく、娯楽っぽいものやら色々そろっているらしい。
重要な書類などは別に保管してあるから、手にとれるものは全部読んでいいとのこと。
流石に楽譜はないと聞いてちょっとがっかりしたけど、この世界のこととか勉強するにはよさそうだ。
それに、どれくらい文字が読めるのかも確認しておきたい。
あそこにいた時は本も読めなくなっていたから、古文書みたいなのとか、外国語でも大丈夫なのかが気になるのだ。
もし問題なく読めるのなら、これを仕事にするのもいいだろうし。勿論そのためには、この国の文字が書けるようにならなきゃだけど。
「ああ、それと……これを渡しておきますね」
茶色の袋に入っていたのは、白紙の五線譜だった。
フリーデさんに伝えておいた件は、ちゃんと通じていたらしい。
「ありがとうございます!」
これで複写ができる、暇つぶしにももってこいだ。
でも、全然枚数が足りないような……簡単に持てるくらいしかない。
思わず公爵様のほうを見ると、
「あまり一度に多く渡すと、寝る間も惜しんで書き写しそうなので、一日それくらいずつにします」
「えぇ……」
きっぱりした調子に、つい不満の声が漏れてしまう。
だってこれじゃ、長い曲だと一曲分にも足りない。
何百枚もよこせとは言わないけど、せめてもう何十枚かは……
「そんな、睡眠時間を削ってまで書いたりは……しません、よ?」
我ながらあんまり信憑性がなかった。
公爵様も珍しくジト目をしてコメントもない。
救いを求めてフリーデさんを見たけど、黙秘権を行使されてしまった。
どうやら、異議申し立ては却下されたらしい。
これ以上ごねてもっと減らされても困るので、やむなく受けいれることにした。
まあ、他にもやれることはあるし……
「それでは、行ってきますね、くれぐれも無理はしないように」
今日も半端な三階からの見送りになった。
そろそろ下を行き来しても平気だと思うのに、公爵様は今日も基本は三階で、と言われてしまった。
……過保護なんじゃないかな、公爵様。
「フリーデさんたちもいるし、大丈夫ですよ、いってらっしゃい」
階段の下に行くまで見とどけて、さて、今日はなにからしようか考える。
とりあえず、もう少し動き回っておいたほうがいいかな。
落ちた体力を回復させるには、運動が一番なわけで、すぐできるのは歩くことだ。
なので、三階をぐるっと歩いて、疲れたら部屋にもどり、楽譜を写すことにした。
これなら無駄な時間もできないし、我ながらいい感じだ。
ただ、フリーデさんをつきあわせてしまうのが申しわけなくて、どこかで見ていてくれればと言ったのだけど、つきそいますと返ってきた。
そこだけ悪いなと思ったけど、はやく動き回ってもいいと許可をもらいたいので、頑張ることにする。
急ぎすぎないペースで、廊下を歩く。
結構な数の部屋があるので、一周するだけでもわりと歩いた感じがする。
同じ景色なのは少し退屈だけれど、その間に頭の中で、どれから写すか考えることにする。
大分指が動かなくなっているだろうから、難しいものはまだ弾けないだろう。
好きな曲でもいいのだけど、うーん……
あんまり考えこみすぎると足がおろそかになって、フリーデさんの声がかかる。
そんなこんなで何周かして、ちょっと疲れたかな、というところでやめにした。
いったん部屋にもどり、お茶を煎れてもらい、一服する。
何度かのうちに好みを覚えてくれたらしく、甘さの加減がばっちりでとてもおいしい。
一流のメイドさんは、こういうところがプロなんだなぁ……
そんなことを何度か繰り返して、お昼を挟んでもう少し続けたけど、流石に疲れたし、飽きてきた。
なので、書斎にお邪魔して、本を借りることにした。
なのだけど、三階の書斎は仕事用で、難しい本が多いらしい。
邸で働いている者も借りられる、ちょっとした図書室は一階なのだとか。
そっちまで行こうかと思ったら、ひとまず適当なものを探してきますと言われて、じゃあ折角ならと、様子を見にきた執事頭さん、メイド長さん、フリーデさんそれぞれのお薦めを一冊ずつ選んでもらった。
執事頭さんは、読みやすいと思いますと、この世界の伝承などが書かれたものを。
メイド長さんは、庭の草花がなにかわかるようにと小さな辞典を。
フリーデさんは楽しんで読めるものをと、実際のできごとをもとにした小説を。
……あとでウェンデルさんに冒険ものを見繕ってもらおう。
午後はそれを読みながら時間を過ごした。みんな初心者むけに難しくないものを選んでくれたので、気楽に読めてちょうどよかった。……途中、ちょっとうとうとしちゃったけど。
さて、そろそろ公爵様が帰ってくる時間かな。
わたしは本を横に置いて、寝転んでいたせいで乱れた髪の毛を直してから廊下へ出る。
隣で控えていたウェンデルさんたちに声をかけると、ゆっくり下へ降りていった。
題名に困ってきました。




