眠りを守る(公爵視点)
馬車から降りて、両開きの仰々しい扉が開く。
そこには、セッカが待っていた。
「お帰りなさい、クヴァルト様」
落ちついた平淡な声は、大分聞き慣れてきた。
はじめは感情が欠けたような調子と表情は、連中の暴行によるものかと思ったが、どうやらこれが地らしい。
だからといって興味関心がないわけではなく、そこにはちゃんと感情の温度がある。
それがわかるから、微笑んでただいまと返した。
外套を置いてくるからと告げて、先に食堂へ行かせる。
「……様子はどうです?」
声がとどかない距離になってから、残っていたフリーデに問いかける。
「体調は落ちついています。日中は部屋の中を探索されて、午後はバルコニーにいらっしゃいました」
庭が気になるようですと報告を受け、いずれ一緒に散策するかと考える。
やはり昨夜のことは覚えていないらしいが、それならそれでいいだろう。
あまり長く待たせてもと、最低限の話だけを聞いて食堂へむかう。
来客用の大きい食堂は、使わなくなって久しい。
給仕される食事をするのは自分だけなので、小食堂すら使う必要性を感じないのだが、できたての料理を供したいという料理長の要望により、自室ではなくここで食事をしていた。
そこに、今日からはもう一人加わる。
部屋の大きさに反してこぢんまりしたテーブルには、二脚しか椅子を置いていない。
本来は四脚あるのだが、どうせ誰も招かないしとしまってある。
一脚だけにするのは流石にと思って置いていたその一脚が日の目を見たのは、なかなか感慨深い。
「お待たせしました」
すでに席に着いていたセッカに声をかけると、慌てて立ちあがろうとしたので押しとどめる。
主より先にすわっていたのが気になるらしい。
礼儀作法にうるさい者がいれば、たしかに咎められるかもしれないが、今は存在しない。
それを示すように、みずから椅子を引いてすわってしまう。
すると即座に、料理が運ばれてきた。
研究熱心な料理長は、これからしばらく、王宮からもらってきたレシピを試すつもりらしい。
すでにこの世界のメニューとして浸透しているものも多いようだが、基本に立ち返る意味でも、ひととおりさらうつもりだと言う。
セッカには特に好き嫌いがないらしく、また民族的に魚を好んでいたそうで、肉も魚も好きですとのこと。
まだ少し消化のいいものを主軸とした献立だが、この調子ならもう普通の食事でも大丈夫だろう。
フリーデから聞いてはいたが、本人にもなにをして過ごしていたか聞いてみる。
「部屋の中を探検していました、アクセサリーとかもたくさんありましたけど……」
「ああ、母が置いていったものですから、遠慮せず使ってください」
時代ものの装飾品は金庫室にしまってあるので、あの部屋に置いていたのは値は張れど普段使いしていいものばかりのはずだ。
公爵には興味がないので中身を把握していないのだが、セッカは困ったように首をふる。
「ちょっと派手だったので、わたしはあんまり……」
黒髪黒目の彼女なら、派手なアクセサリーもものによっては映えると思うのだが、好みではなかったらしい。
だが考えてみれば、ネックレスやブローチはさておき、他のものはサイズという問題がある。
ドレスが余っているのだから、指輪などはそもそも指に合わないのだろう。
「あ、でも、指輪やブレスレットはそんなにいりません、ピアノを弾く時邪魔ですから」
クヴァルトが口を開く前に、察したらしく釘を刺されてしまった。
たしかにその二つは邪魔だろうし、ピアノを傷つけるのも嫌なのだろう。
しかし、そのうち王都へ行くことにはなるし、厳選してもいくつかの夜会には出る必要がある。
「でも、王都へ行く時のために、少しだけ用意させてください」
「……それ、フリーデさんにも言われましたけど……はぁ、わかりました」
渋々といった様子だがうなずかれた。しばらくメイドたちに情報収集させて、彼女が引かない程度のアクセサリーを見繕わねばならない。
貴族でもなんでもない彼女に、いきなり豪華なものを身につけろと言っても、拒絶されるのは当たり前だ。
この邸ではきちんと着飾る必要もない。夜会用ではなく、あくまで楽しみのための装飾品から慣れさせるべきだろう。
「こ……クヴァルト様は今日、どんなふうに過ごしていたんですか?」
セッカの問いかけに、あまり面白い話は返せないが、異世界での暮らしを知りたいのだろうから、丁寧に答えていく。
とはいえ、黙々と書類を片づけていただけなので、あっというまに喋り終わるのだけれど。
それでもセッカは興味深そうに聞いていたから、よしとした。
穏やかな食事の時間が終わり、デザートまで完食した姿にほっとする。
太りそうだと文句をこぼしているが、どちらかというと痩せすぎているように見えるので、減らしてくださいとのお願いは却下する。
このあとはお風呂が楽しみです、と珍しく喜色をあらわにしている姿に、風呂好きなのかと発見をした。
しばらくは寝室に備えつけの小さな風呂を使うことにしたらしく、昼の間にメイドたちが使えるように掃除もしたらしい。
それなら、今のうちに渡しておくべきだろう。離席を告げて廊下へ出れば、察したらしい執事頭が包装された例のものを持っていた。
気の利く彼に礼を言い、食堂へもどると、きょとんとしている彼女にそれを渡す。
お土産ですと添えれば、不思議そうな顔をしたまま、がさがさと袋を開けて、驚いた声が漏れる。
「わざわざ買ってきてくださったんですか?」
膝の上にそれを置いて恐縮するセッカに、玩具屋を呼んだ時の顛末を話して聞かせる。
想像以上にたくさん持ってこられたこと、選ぶのに時間がかかったこと、できれば店内で選んでほしいと怒られたことなどなど。
いちいち彼女はうなずいて、そうでしょうね、と呟く。
「こういうぬいぐるみって、目が合った子を選ぶっていいますものね」
ほんのり笑みを浮かべながら、ね、と同意を求めるようにクマの首をかしげてみせる。
よくわからずに選んだが、なかなかしっくりくる様子に、間違ってはいなかったようだと安心した。
そういえば、王が選んだ時も、ずいぶん時間がかかっていた。
それほど高価なものではなかったのだが、彼女いわく、値段より相性らしいので、気にいってもらえたようだしよしとする。
「高級素材だからっていいってものじゃないですし。安価だけどいい肌触りとか、ありますから」
もといた世界でそういうことがあったと教えてくれる。
たしかに、いくら高級でも、直接身につけづらい素材のものは存在する。
この場合もそれが当てはまるのだろう。抱えやすそうなものにして正解だったようだ。
だが、ぬいぐるみにはもっと大きいものや小さいものもある。
次回は彼女を店に連れて行き、足を止めたものを端から購入すればいい。
興味があるから今度一緒に、と誘えば、少し迷う様子を見せたが、最終的にはうなずいてくれた。
セッカはぬいぐるみをしげしげと見つめ、手足を動かしたりしている。
「そういえば……そのクマのシリーズはテディベアというそうですよ、どういう理由でしょうね?」
「うわ」
なんの気なく呟いたのだが、セッカ眉をしかめて呟いた。
なにかまずいことだったかと慌てたが、そうではなく、その名称は異世界人がつけたに違いないとのことだった。
なんでも、当時の施政者が気にいっていたぬいぐるみがこういったクマで、彼の愛称をとってテディベアという名称が広まったという。
なるほど面白いですねと声をかけたが、セッカはぬいぐるみを抱えたまま、どこともつかぬ場所を眺めていた。
まさかまた混乱したのかと危惧したが、そういう様子は見えない。
ただ、暗く沈んだ表情から、おそらくもといた世界のことを思い出しているのだろうと想像がついた。
こうなるなら、テディベアを選ばないほうがよかっただろうか。
もとの世界と似たものがあれば、落ちつくかと考えたが、寂しさも引き連れてきてしまったらしい。
「セッカ嬢?」
そっと呼びかけると、はっとした様子でこちらを見る。
慌てて話題をそらそうとする様子に、心配する気持ちは尽きなかったが乗ることにする。
無理に問いつめても、頑なにさせてしまうだけだろう。
「あの、……クヴァルト様」
一瞬詰まってから名前を呼ぶ。音にしづらいのか、よくこうして名前の前に妙な間が空くことが多い。
なんでしょうと自分では愛想よく相づちを返したつもりだが、セッカはまたぼんやりとしてしまう。
今度は寂しげではないが、熱でも出てきたのだろうか。
無理に食事につきあわせてしまったかと危惧していると、再び息を呑む音がして、我に返ったらしい。
それから告げられたのは、彼女のもといた世界での生活習慣。
土足厳禁の習慣は、こちらの世界ではあまり聞かないけれど、読んだ資料にはそんな記述もあった。
おそるおそるといった様子のセッカに、知っていますよと笑いかける。
妙にほっとした顔が気になったが、部屋の一カ所にラグかなにかを敷いてくれるだけでいいと言われ、ではそれで、と答えた。
一室潰して丸ごと土足禁止にしようかと考えたのだが、恐縮されるのが目に見えている。
たしか王都に、厚手の絨毯を他国から輸入している店があったはずだ。
こちらでは普通に廊下などに敷いているけれど、本来は素足になって上に乗るのだという。
女性たちが手仕事をするために用意したものがはじまりらしく、それに柄をつけて売りだしたのが、今王都に流れてきている品だ。
ついでにクッションを何個か用意すればいいだろう。
話がまとまったところで、そろそろ上へ参りましょうとフリーデが呼びにきた。
「クヴァルト様は?」
一緒に上に行くんですか? という問いかけに、残念ながらと苦笑を返す。
先に食事にしてしまったので、今日の報告を執事頭から聞いていない。
それに、クヴァルトは大浴場を使うから、まだもうしばらく上にはもどれそうにない。
「じゃあ……ええと、まだ早いですけど、お休みなさい」
逡巡したのち挨拶を告げられて、覚えず笑みが深くなる。
勿論今までも邸の者と挨拶は交わしていたが、そこにはどうしても身分の差が存在する。
執事頭など何人かは家族のようなものだし、親密でもあるのだが、それでも、しっかりと線引きしている。
それを寂しいとは感じないけれど、彼女の行動に心が温まるのもまた事実で。
「ええ、お休みなさい、よい夢を」
本心からそう返して、先に部屋へもどる後ろ姿を見送った。
書斎で今日の話を聞いたが、セッカに関してはフリーデの話以上のものはなかった。
特に階下へとなにか呼びつけることもなく、静かに過ごしていたのだという。
医者からはもう少ししたら、体力ももどり、邸の中と近くくらいなら歩き回れるだろうとのことだった。
買っておいた楽譜を明日渡すように言いつけて、他はあまり干渉しすぎないよう言っておく。
おそらくまだ、大人数の相手は難しいだろう。
楽譜は今日あげてもよかったのだが、夜中になっても書き写していそうな気がしてやめておいた。
正直に告げるのも憚られるので、朝一番に買ってきたとかうまく繕っておいてもらうことにする。
それから入浴をすませ、呼ばれた時のためになにか書類でも持ちこむか、と考えていると、ばたばたと走る音が近づいてきた。
やってきたのは三階につけていた女性の警備で、言わんとしていることはすぐ察知した。
「今夜もですね?」
「はい……」
すぐさま彼女とともに三階へ行くと、セッカの部屋には昨夜のように、ウェンデルとフリーデがいた。
公爵が近づくと、二人は無言で後ろへ下がる。
セッカは必死にクマのぬいぐるみを抱きしめて、身体を丸めて震えていた。
昨日よりは幾分ましな気がしたが、苦しんでいるならそんなものは誤差の範囲だ。
こわい、いやだと譫言が耳にとどき、やっぱり神殿を燃やしたくなる。
ぎゅうぎゅうとクマをつかむようにして力の入っている指先に、そっとふれた。
「……大丈夫ですよ」
囁きかけると、血の気を失っていた指から力が抜けていく。
なにかを探すように右手が動いたので、その手をとってにぎってやる。
「こうしゃく、さま?」
「クヴァルトとは、まだ言いづらいですか?」
立ったままでは会話がしづらいので、膝をつくと、目の前にぼんやりした顔が映る。
相変わらず視線は定まっていないけれど、それでも視線を合わせてやりたかった。
名前を口に乗せれば、ちょっと発音しづらいです、と舌っ足らずに呟く。
「その独特な呼びかたが気にいっているので、気にしなくていいですよ」
他の誰とも違った響きは、正直悪くないのだ。
自分だけが特別なような錯覚を覚えてしまう。……錯覚だと認識しているけれど。
「……クヴァルト様、変」
理性が働いていないからだろう、大分遠慮のない物言いをする。
これが地ならば、はやく日中に出してほしいところだ。
変とはひどいですねと笑う声が、ちっとも怒った調子にならない。
後ろからは生ぬるい視線を感じる、我ながら甘いものだ。
「眠いのでしょう? いいからお休みなさい」
空いている手でそっと目を覆うと、自然に瞼が閉じられた。
さして時間も経たずに、落ちついた寝息が聞こえてくる。
「……もうこれ、セッカ様が寝たらすぐ、旦那様が入ってくればいいんじゃないですかね?」
「私もそう思います」
苦いものでも飲みこんだようなウェンデルに、しみじみと同意する。
今後もうなされるかどうかはわからないが、声をかければ気持ちよさそうに寝つくのなら、そうしたほうがいいだろう。
セッカに自覚があれば、もう少し他の方法もあるのだが、教えれば逆に意固地になりそうでもある。
「……夜這いのような状態なのは、いただけませんけれどね」
側にフリーデたちがいるからいいものの、家族でもなんでもない人間が、意識のない未婚女性の部屋に入っているのだ。
どう考えてもよろしくない。噂が立てば傷つくのはセッカのほうだ。
勿論この邸の人間は事情を知っているから、口さがなく言いふらしはしないだろうけれど。
しかし、他の誰かにこの役目を譲れるとは思えないし、譲る気もない。
困った感情が育ちはじめているけれど、なおまずいことに、それを消す気も起きてこない。
「またなにかあったら呼んでください」
けれどそれは、今彼女にぶつけても、苦しめてしまうだけだ。
だから名残惜しさを見せることもせず、するりと手をほどいて立ちあがる。
振り返ることは、しなかった。
ちょうどいい切れ目がない上に公爵が長引かせてくれたので、
なぜか今回五千文字あります……
書いても書いても終わらなくてどうしようかと思いました。
次はセッカ視点にもどります。
そして矢印がばっちり見えます。
当初はこんなに公爵から矢印出てなかったんですけど。
どこで間違えたのか、読者のかたにはどううつるのでしょう、気になります。




