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翌日の朝

 目覚めたものの、どうもちょっと身体が重たい。

 よく覚えていないけれど、嫌な夢を見た……ような。

 どんなものかは全然思い出せないけど、嫌なことだけははっきりしている。

 怠いのはきっとそのせいで、喉が痛いのは起き抜けだからだろう。

 ここがどこだかしばらく考えてから、そうだ公爵様のお屋敷だ、と思い出す。

 これから当分は、ここがわたしの部屋になるから、少しずつ慣れないと。

 身体はだるいけれど起きあがれないほどじゃない。そろそろと立ちあがって、とりあえずカーテンを開けてみた。

 外はいいお天気だ。なんとなく気分も明るくなる。

 見渡すかぎり他の建物が見えないあたりが、貴族だなと実感する。

 身分の高いひとの部屋は、ワンルームマンションみたいに、洗面所が一緒についている。

 実家にいた時はトイレ争奪戦とか大変だったなぁと思いながら、顔を洗えば大分すっきりした。

 もしかしたら若干微熱があるかもしれないけど、たいしたことじゃなさそうだ。


 で、着替えなんだけど……と、昨夜はほとんど見なかった衣装部屋を開ける。

「……うわぁ」

 予想はしていたけど、やっぱりだ。

 お母様が着ていたという服は、どう見ても高級そうなドレスばかり。

 こういうのってパーティーの規模とか時間とかで、色々しきたりがあるから、数が多いのはわかるんだけど……

 どう見ても一人で着つけできないのもある、こんなのにしたら迂闊に歩き回れなくなりそうだ。

 演奏する場所が場所なので、それなりの服装はしていたし、マナーも教わっているけど、弾く時の邪魔にならないようなシンプルなものだ。

 こんな、ひらひらきらきらじゃらじゃらしたものじゃない。

 探せば他にもあるんだろうけど、引っかき回すのもおそろしい。

 これはフリーデさんがきてくれるまで待ったほうがいいだろう。

 ……でも、着るのは勇気がいるけど、見るのは楽しい。

 一応わたしだって女だ、素敵なドレスにあこがれはある。

 美術館とかで見たことはあるけど、間近で、しかもさわれるのは珍しいことだ。

 手前のほうのドレスを何枚かしげしげ眺めていたら、軽いノックの音がした。

 どうぞ、と声をかけたけど、聞こえているのか心配になって、自分でドアを開けた。

 そこには案の定、フリーデさんがいた。

「おはようございます、セッカ様」

「おはようございます」

 彼女さんは挨拶をしてから、わたしをじっと見つめてきた。その表情がとても真剣で、わたしも真顔になってしまう。

「体調のほうはどうですか? ちゃんと眠れましたか?」

 心配してくれているらしい。そりゃそうか。

「嫌な夢をちょっと見た気がしますけど、大丈夫です」

 嘘を言うのも心苦しくて、すなおに告げると、嫌な夢、とフリーデさんが繰り返す。

 内容は覚えていないのだけれどと続けると、それなら無理に思い出さないほうがいいですね、と言われた。

 たしかに、無理に思い出そうとしてくさくさするより、忘れたままのほうがよほど建設的だ。

「あの、なるべく無難な服を探すの、手伝ってくれませんか?」

 わたしが頼むと、もともとそのつもりだったのだろう、勿論ですと快諾された。

 フリーデさんは慣れた手つきで衣装部屋を進んでいく。何度か掃除で入ったこともあるから勝手がつかめているらしい。

 やがて、奥のほうから比較的地味なドレスが出てきた。流石にどれもこれも派手ではないらしい。

 お母様は色の好みは特になかったのか、たくさんの色のドレスがある。

 一体どんなひとなんだろう、修道院にいると言っていたから、会えるのだろうか。

 並べられたドレスはシンプルだけど、色とりどりで目がくらみそうだ、でも……

「赤と、青は……しばらく、抜いてほしい、です」

 色に罪はない。ないけれど、特に鮮やかな二色は見ていると呼吸が苦しくなる。

 あいつらの身につけていたあの布にそっくりな、赤と青は……

 長く見ているのも嫌で、視線を窓へとそらしてしまう。綺麗な青空はすなおに見られるのに。

 深呼吸して落ちつこうとしていると、ばさっという重たい音がした。

 フリーデさんは二色のドレスをまとめて衣装部屋の奥に放り投げていた。いや、そこまでしなくても。安いものじゃないだろうし。いつか着るかもしれないし。

 それから、数ある中から群青色のドレスを手にしてみせた。

「では、こちらはどうでしょう?」

 深い深いその色は──そうだ、公爵様の瞳の色だ。

 地味な感じだし、露出も少ないし、うん、これなら落ちつけそう。

 わたしの表情で察したらしく、着るのを手伝いますねと早速広げてくれた。

 着てみた結果、やっぱりちょっと大きかったけど、半袖だから不自然さはない。

 緩いウエストは腰で縛ってしまいましょうと、引き出しから出してきた布を使い、腰にリボンが結ばれた。裾が半端な長さになってしまったけど、許容範囲と思いたい。

「残りの着られそうなドレスは、少し手直ししておきますね」

 既製品のサイズを自分用にして着るというのは、日本でもあることだ。

 いくら貴族でも、いつもいつもオーダーメイドというわけにはいかないだろう。

 新しいのをたくさん仕立ててもらうのは気が引けるから、直してもらえるならそのほうがいい。

「……て、手伝えそうなら頑張りますね」

 弱々しい調子になってしまったのは勘弁してほしい。

 わたしは家事が得意ではない。というか、はっきり言って苦手だ。

 掃除だけは、ピアノの音が変わってしまうからちゃんとしていた。

 ホコリは大敵だから、そのついでに部屋も掃除していた。

 でも、それ以外はわりと適当だった。

 ミシンだって家庭科の授業でさわったくらいの記憶しかない。

 食事も、自炊はほとんどしなかった。シフト時間的に夜が多くて、まかないをもらうことも多かったから。

 ……でも、この世界で通用するとはかぎらないだろう。

 電化製品が少ないのだから、機械より人力が主だろうし。

 自分のことなんだし、たしか貴族の女性の嗜みって刺繍だったし。

 刺繍は当分やりたくないけど、……ええとそうじゃなくて。

 どうも今日は思考が散らかってしまう、なんでだろう。

 もっと落ちつかなきゃいけないのに、嫌なことばかり思い出す。

 ぺちぺちと自分の頬を叩くと、フリーデさんが気遣わしげに見つめてきた。ちょっと妙な行動だったかもしれない。


「着替えも終わりましたし、朝食にしましょうか?」

 そういえば、結構お腹が空いている。

 何時だろうと時計を見れば……この世界の時計はもとのとほぼ同じなのでたすかる……って、九時!?

 普段の感覚からすると、寝坊というほどの時間じゃないけど、この世界のひとたちは大体八時には朝食をすませている。いくら魔法の灯りがあるといっても、やっぱり夜は早寝だからだ。

「公爵様に、食事を一緒にって言われてたのに……」

 間違いなく公爵様の食事はすんでいる。初回から反故にしてしまったわけだ。

 情けないことこの上なくて、がっくりうなだれてしまう。

 そのちょうどのタイミングでドアがノックされ、公爵様がきたと教えられた。

 しょんぼりしながら出迎えた公爵様は、当たり前だけどばっちり着替えもすんでいる。

「おはようございます、セッカ嬢」

「おはようございます……あの……」

「謝るのはなしですよ」

 寝坊したことを謝罪しようとしたのに、先に封じられてしまった。

 公爵様は穏やかな笑みを浮かべたままで、気を悪くした様子は見えないけれど。

「色々あって疲れが出てもおかしくありません、ましてあなたはまだ本調子ではないのですから」

 食事はこれから何度でもできますからねと言われてしまう。

 それはたしかにそうなんだけど……

 公爵様はこれから仕事だそうで、出かける前に少し話を、とやってきたのだという。

 椅子について、フリーデさんにお茶を出してもらう。

 仕事場は街の中心部にある市役所みたいなところだそうで、帰宅はなにもなければ夕方くらい。

 あまり詳しくないけど、市長とか、そういう感じの働きかたなんだろうか。

 医者がまた往診にきてくれるから、診てもらうようにとか、無理はしないようにとか、再三念を押された。

 ちょっと過保護なんじゃないかってくらいだけど、心配されるのはちょっとくすぐったい嬉しさもある。

「部屋の中で、困ったことなどはありませんか?」

 あらかた伝達事項が終わったのだろう、問いかけられるけれど、足りないものなんてあるわけない。

「困ったことは、豪華すぎて使いにくいことですね……」

 家具のグレードを落としてほしいという切実な願いは笑顔で却下された。

 神子をないがしろにしているという噂が立っては困るからと言われ、それはそうだなと思う。思うけど……

「どれもきちんと実用品ですから、投げないかぎり簡単には壊れません、安心して使ってください」

 ……投げたことがあるんですかとは、流石に聞けなかった。

 いわゆる骨董品と呼ばれるようなものは置いてないそうなので、そこはちょっとほっとした。

 テレビなどで何百万もする芸術品は、いくらなんでも普段使いできそうにない。

「元の世界のあなたの部屋には、なにを置いていたんですか? 少しでも近づけて過ごしやすくしてほしいんです」

「と言われても……」

 わたしの部屋に置いてあったものは、まずピアノ、そして最低限の家具、それくらいだ。

 ちゃんとした部屋でグランドピアノを置くという夢のために、無駄遣いはせず貯金をしていた。

 楽譜代はそこそこかかったけど、古本で探したり、なるべく工夫していた。

 他にこれといった趣味はなかったし、時間があればピアノをさわっていたから……うーん。

 実家でも似たようなものだったし……強いてあげるのなら、ちょっと恥ずかしいけど。

「……ぬいぐるみ、ですかね」

 大きなものは子供のころにもらったものが多いけど、小さいものは時々買っていた。

 特にこれというキャラが好きなわけではなくて、なにかとコラボした限定マスコットとか、そういうのを目についた時に買う程度。

 よく思い出すと世界的に有名な猫と、あとはクマを多く選んでいた気がする。

 わたしの話を興味深そうに聞いていた公爵様は、

「日時ははっきりお伝えできませんが、近日中にピアノがとどきますから、楽しみにしていてください」

 嬉しい知らせを伝えてくれた。

 どうやら本当にピアノをプレゼントしてくれるらしい。

 ものすごく嬉しいけれど、やっぱりちょっと申しわけなくなる。

 いくら神子時代の給料代わりといっても、わたしの感覚では給金よりピアノのほうが高い。

 これがやつらからもらったお金なら、遠慮なく……いや、あとでうるさくされても嫌だからやっぱり使えないかな。

 とにかく、はやく演奏会かなにかを開けるようにしよう、うん。

 わたしが何度目かわからない決意をしていると、失礼しますと執事頭さんが入ってきた。

 流石に出かけないとまずい時間になったらしい。

「……それでは、行ってきますね」

 結構長い間一緒にいたひとがいなくなるのは、少し不安があるけれど、お仕事を放っておくわけにもいかない。

 フリーデさんもいるから、多分大丈夫だろう。

 わたしを迎えに行ったせいで、滞っていることもあるだろうから、我が儘はできない。

 入口まで見送ろうとしたけれど、三階分の移動はつらいだろうからと断られた。

 だから、ちょっと場所は変だけど、階段までの見送りになった。

「行ってらっしゃい、クヴァルト様。お気をつけて」

 気をつけて、と送りだすと、事故に遭う確率が減るのだとか。

 どこかで聞いた話を思い出しながら声をかけると、嬉しそうに笑ってくれた。

「はい。……ああ、そのドレス、似合っていますよ。サイズが合えばもっと綺麗でしょうから、近日中に何枚か仕立てましょうね」

 ……わぁ。

 さらりと告げた公爵様は、お供のひととなにごともなかったかのように出ていった。

 ああいうのを恥ずかしげもなく口にできるのは、この世界では当たり前なんだろうか。

 まさか公爵様がそんなことを言うなんて、結構びっくりした。

 社交が嫌いだからって逃げてもいられない身分だろうから、そういう美辞麗句は慣れているのかな。

 さくっと新しいドレスをもらう流れにされたし。話術は苦手ってわけでもないらしい。

 凄いなぁと思いながら部屋にもどり、フリーデさんが持ってきてくれた朝食をいただく。

 食休みをしている間に、昨日と同じ医者がやってきて、診察をしてくれた。

 と言っても熱もほとんどなかったし、問題はなかったけれど。

 ただ、やっぱり体力も魔力も減っているので、無理をしないように、と厳命された。

 一階まで行っても構わないけれど、階段の上り下りの回数はなるべく減らして、必ずつきそいをつけることと言われる。

 昨日も結構きつかったし、貧血を起こして倒れたら迷惑だから、おとなしくうなずいておいた。

 なので、今日のところはおとなしくしておくことにする。

 だからってべつに病気じゃないので、ベッドでごろごろする気にはなれなかった。

 フリーデさんはそれでも構わないと優しいけど……流石に額面通りに受けとるのはどうかと思う。

 それに、まだこの部屋の探検もちゃんとしていない。一日くらいなら簡単に過ごせそうだ。

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