手を伸ばす(公爵視点)
こちらは「恐怖」(https://ncode.syosetu.com/n8575ez/14/)の公爵視点です。
同題のヒロイン視点よりは描写がソフト(だと自分では思います)
急患があったからと遅くなった医師と観察術士がセッカを診察している間、クヴァルトは執事頭たちと話をしていた。
短時間の邂逅ではあったが、メイド長ともどもそれなりに好印象だったらしい。
まあ、彼女を嫌う者はあまりいないだろうと思う。
勿論性格的に合う合わないはあるが、自立した考えを持ち、控えめで、驕った部分は見当たらない。
むしろもっと我が儘を言ってくれてもいいくらいだ。
とりあえずしばらくは休養させて、医者の判断を待ってマナーなどの講師をつけることにした。
講師の見当をつけるよう言い渡し、王宮からもらった異世界人たちの記述が載った資料を渡す。
神殿の連中が秘匿しているので数は少ないが、それでも腐っても王城、ある程度の記録は存在する。
ただ、馬車の中で見たものの中には、明らかにセッカに当てはまらないものもあった。
おそらく、異世界でもいくつかの人種があるのだろう。
だからこの資料を鵜呑みにせず、本人に確認するように言い含めた。
そうこうしていると、医師が入室の許可を求めてきたので答える。
医師は体調は落ちついているので、特に心配はないと告げてきた。
馬車に酔った様子もなかったし安堵の息を吐いたのだが、隣の観察術士とともに、二人は渋い顔をしている。
どうしたのかと問いかけると、術士の彼女いわく、たしかに術によって見えた部分に心配な面はないが、気になるのでできれば今夜はここにとどまりたいのだという。
観察術は便利なものだが、はっきりわかるのは肉体の損傷、つまり怪我などで、心のほうははっきりしない。
けれど、術士として長く働いている彼女は、うっすらとそういった精神面も見えるようになっている。
それによると、いつ混乱してもおかしくない状況に感じられるのだという。
だが、救助してから彼女がひどくとり乱したことはない。
それを伝えると、だから逆に心配なのですと反論された。
泣きじゃくったり叫んだり、そういうことをしているほうが、内にたまった澱を吐きだせていい場合も多いのだと。
覚えのあることだったので、たしかに、とうなずき、客室に二人を案内することにした。
セッカに言えば気にするだろうから、なにごともなければ、朝往診にきたとでも口裏を合わせればいい。
時間も時間ということで、クヴァルトも休もうかと支度をして、けれどなんとなく落ちつかずに起きていると、控えめながらも激しいノックが響いた。
なにごとかと廊下へ出れば、青ざめた執事頭がそこにいた。
「セッカ様の様子が……!」
即座にクヴァルトは隣の部屋へ移動する。
ベッドのそばにはフリーデとウェンデルがいて、必死に彼女に声をかけていた。
主人とその妻の部屋の隣には、メイドが控えるための部屋が設けてある。
どちらも長らく使っていないが、きちんと掃除はしてあった。
セッカには教えなかったが、退出してのち、念のためしばらくフリーデたちをそこに待機させたのだ。
控えていた二人は、気配がおかしいことに気づき、非礼を承知で寝室に入ったのだという。
ベッドの上では苦しげにしているセッカがいて、慌てて医者とメイド長を呼んだのだという。
近づくと、彼女はうつろな眼差しでどこともつかぬ場所を見ながら、妙な体勢で固まっていた。
どれだけフリーデが声をかけても反応はなく、覚醒することもない。
おそらく過去の記憶が再生されている状態で、周囲のことはわからないのだろうということだった。
どんな思い出かなんて、様子を見れば嫌でもわかる。
あまり長く続けば、彼女の心が壊れかねない。
観察術士の言ったことが正しいと証明されたわけだが、少しも喜べない状況だ。
医師はこれ以上この状態が続くようなら、強制的に眠らせたほうがいいだろうと告げ、様子を窺っている。
セッカの唇は震えながらなにかを呟いているようだが、それはいっこうに音にならない。
「なぜ、声が出ていないんですか?」
誰にともなく問いかけると、ウェンデルが彼女のそばを離れて、躊躇いがちに教えてくれた。
「おそらく……過去に同じような状況になった時、口を塞がれていたのではないかと。近くにいけば聞こえるのですが……」
だから、誰になにをされたわけでもないのに、悲鳴のひとつもあがらない。
あげられないのだと、彼女自身が信じ切っているために、そうなっているのだろうと。
彼女の受けた異常すぎる過去に、気づけば爪が食い込むほど拳をにぎっていた。
「……もうやめて。苦しい。たすけて。許して。こないで。……」
耳のいいウェンデルが、ぽつぽつとこぼす単語はどれも悲しい。
フリーデは泣きながらセッカに声をかけ続けている。どうか正気に返ってくれと。
これ以上彼女を見ていたら、クヴァルトのほうが先に耐えられなくなりそうだった。
情けない話だが、見ていられない。──医師に眠り薬を頼もうとしたその時。
「……公爵様、助けて」
ウェンデルが拾った言葉を聞いた瞬間、ベッドへと足が動いた。
フリーデがいる反対側に陣取ると、無意識にかたまった手をにぎりしめていた。
「──お待たせしました」
できるだけ優しく感じられるように願いながら声をかけると、ぴたりと唇が閉じた。
しばらくの間があってから、
「公爵、様?」
今度はきちんと声が聞こえた。
すっかり覚えてしまった声に、ほっと詰めていた息を吐く。
いまだに起きてはいないようだが、さっきよりは混乱が減ってきているようだ。
「ええ、私ですよ」
内心の激情を悟られないように、驚かせないように、細心の注意を払って呼びかける。
ほう、とため息が落ちて、力んでいた全身の力が抜けていく。
おかしなかたちで固まっていた四肢が、今度は身を守るように丸まった。
相変わらず目線は定まらず、漆黒を写したような瞳は自分を見てくれないが、それでも涙が止まったことが嬉しかった。
「よかった、公爵様、ちゃんときてくれたんですね……」
ふにゃりと笑った表情は、はじめて見るものだった。
ひどく幼げなそれに、一瞬虚を突かれる。
そこで今さら、ずっと彼女は気を張っていたのだと気づいた。
「──クヴァルト、と呼んでくださいと言ったでしょう?」
しっかりしている女性だと感心していたけれど、そんなはずはない。
いきなり異世界に飛ばされて、酷い目にあって、だのに冷静だと判じた最初の己を殴り飛ばしたかった。
けれど反省はあとでもできる。今はとにかく、セッカを落ちつかせなければならない。
だから精一杯の茶目っ気を出して拗ねてみせると、小さく笑ってから、ごめんなさいと言葉だけは殊勝に謝ってくる。
「もう大丈夫ですよ」
呼び名を許しながら、空いた手で頭をなでたのは無意識だった。
嫌がられるかと危惧したが、それどころかすり寄るように頭を寄せられる。
「甘えっぱなしで、申しわけない、です……」
「いいんですよ。だから私に任せて、あなたはゆっくり眠ってください」
「……はい、なんだか、すごく、ねむい……」
一定の速度で頭をなでてやれば、彼女はすぐに寝入ってしまった。
しばらく様子を見るが、うなされていないので、そっとにぎっていた手をほどく。
医者と場所を交換すると、後ろには執事頭、メイド長、戸口では警備の者が心配そうに見つめていた。
「とりあえず落ちついてなによりです」
万一にも起こさないよう廊下へ移動してから、執事頭が呟いた。
「旦那様がいてくれて、本当にようございました……」
手布で目もとを拭いながら、メイド長が絞りだすように喘ぐ。
そうですね、とうなずくが、公爵の表情に安堵はない。
「現状、彼女には私しか頼る相手がいませんからね」
クヴァルトだから、ではない。いや、それもあると願いたいが、しかし今の彼女に他にすがれる相手はいない。
勿論ウェンデルやフリーデのことも信頼しているだろう。だが、有事の際にそれこそ軍を動かすだの、実質的な行動をとれるのは己だけだ。
自分の名を出すことで、たしかにセッカは心の安定をとりもどしたが、それに舞いあがれるほど、残念ながら公爵は馬鹿ではない。
「それでも、旦那様が誠実であったから、セッカ様にもお気持ちがとどいているのでしょう」
「……そうだといいのですがね」
彼女の内心はわからない。問うたところで答えはわかりきっているが、それが本心なのか、この世界で生きていくためのものなのかは、彼女にしか判断できない。
今、クヴァルトができることなど、ほんのわずかしかないのだ。
「ひとまず眠り薬は不要そうですな。また混乱する可能性はありますが……」
彼女の様子を見た医師の判断に、一同の緊張が緩む。
寝室を伺うと、フリーデがかいがいしく世話をしていた。
「ウェンデル、フリーデを手伝って、終わったら二人ともこちらへ」
「はい」
命じると、彼女は足音ひとつ立てずに歩いて行く。
「メサルズ」
「はい」
二人がもどってくるまでの間にと、次は執事頭に顔をむけた。
「移動中で手紙は出しておきましたが、なるべく早急に、ピアノを設置するように。いくらかかっても構いません」
王城にいる間に聞いておけば、もっと素早く動けたのが悔やまれる。
馬車の中で彼女から情報を得てすぐ、馬交換の際に王妃宛に手紙を出した。
中には最上級のピアノを、邸まで運ぶようにと記した。
そこそこのものなら領地にも楽器店はあるだろうが、どうせなら一級品を贈りたい。
しかし、ものがものだ。大きさも重量もかなりあるので、簡単に運搬できない。
どんなに急いでも、今日頼んで明日とどくとはいかないだろう。
だが、おそらく明日にはいつ到着するかの知らせだけはくるはずだ。
ぬかりない王妃のことだから、準備しておくことも併記してくれるだろう。
「部屋は……日光が当たりすぎず風通しのいい場所と言っていました。条件に合う部屋なら、どこを潰してもいいです」
「かしこまりました」
恭しく礼をする執事頭の次は、メイド長だ。
「アディ、きっとセッカ嬢は自分から欲しいものを言わないでしょうから、必要なものに心当たりがあれば、片端から用意してください」
「はい、……そうですね、ハーブティーなどもご用意しておきます」
「ああ、いいですね、お願いします」
子を持つ母でもある彼女ならば、任せて大丈夫だろう。
自慢ではないが己には女性の細かな用意はわからない。直接本人を見た今なら、ちょうどいいものが選べるだろう。
指示をしているところで二人がもどってきたが、フリーデはさかんに後ろを振り返り、セッカの様子を気にしている。
「フリーデ、あなたは今夜はもう休みなさい」
きっぱり命じるが、彼女は決然と首をふる。予想どおりの反応だが、こちらも引くわけにはいかない。
「ウェンデルを側につけておきます。巡回の者は異変があったら起こすように言ってありますから、セッカ嬢は大丈夫です」
彼女であれば、眠るセッカを起こすようなヘマはしないし、目覚める前に退出することもできる。
「あなたまで不寝番をしたら、目を覚ました彼女の世話を誰がするんですか?」
母親の心境もあるのだろう、フリーデは献身的にセッカの面倒をみている。
そのせいか、彼女のほうも大分心を砕いてきていることが見てとれた。
朝になってまた混乱する可能性もある。その時クヴァルトがいればいいが、どうしても仕事で出かけなくてはならない。
そうなった時に頼りになるのは、セッカにはフリーデだけなのだ。
「ウェンデルはもう一晩くらいなら大丈夫ですね?」
問いかけの形をとりつつ、実質命令だが、ウェンデルは平然としたままだ。
ちょっと苦笑いはしていたけれど、綺麗な形で敬礼をしてみせる。
「二徹はちょっとキツイですが、なにも起きなければ休めますし、昼まで休ませていただければ大丈夫です」
「……というわけですから、あなたは休むように。いいですね?」
「………………はい」
たっぷり沈黙した後、不承不承といった様子だが首肯される。
「では、ひとまず皆眠って朝に備えてください」
クヴァルトが締めくくると、ある者は持ち場に、ある者は与えられた部屋へともどっていった。
公爵自身も隣の部屋へ入り、それから、隣へ続くドアを眺めた。
こちらから鍵がかけられないというのは、半分本当で半分嘘だ。
実際鍵穴はどちらにもついているが、セッカの話を聞いて、それを潰したのだ。
鍵はメイド長であるアディに預けてあるので、開けることもできない。
もっとも大きな棚を置いてあるから、鍵が開いてもどうにもならないけれど。
耳をすませても、おかしな物音はしない。
今のところは穏やかに眠れているのだろう。
本当はついていてやりたいが、万一彼女が目を覚ましたら、怯えさせるか恐縮させるかどちらかだ。
ウェンデルではなく、家族がいるべきなのだが、この世界に彼女の身内は存在しない。
「…………」
苛立ちのままに悪態をつきかけたが、深呼吸をしてやりすごす。
一番つらいのはセッカなのに、自分がこんな有様では先が思いやられてしまう。
「せめて、よい眠りが訪れていますように」
神なんて信じていないから、なにに祈ればいいのかわからない。
それでも願わずにはおれなくて、小さく呟いて目を閉じた。