新しい部屋
それからは、ウェンデルさんが持ってきていたという、この世界でのいわゆるライトノベルを読ませてもらった。
公爵様は横に置いてあるたくさんの書類を次々めくり、なにか書き加えたりしている。
大事な仕事だったら覗くわけにはいかないので、わたしは小説に集中することにした。
貸してもらった本は、不思議な力を持つ主人公が、仲間を集めて魔王を倒すという、わりとよくあるものだった。
やたらと戦闘描写が細かくて、彼女いわくそこがツボなのだという。彼女の好みはそっちなのか……
でもオススメするだけあってなかなか面白く、読んでいるうちに気づけば外は暗くなっていた。
よく考えたら、夢中になってなかったら酔ってた気がする……
馬車にも馬にも灯りがともされているので、暗さは感じないが、覗いた先に街灯はない。
流石に道路にまで灯りを設置してはいないらしい。となれば、こんな場所を夜に走るのは難しいだろう。
道路と一応銘打ってはあるみたいだけど、場所によっては舗装もなく、ただ踏み荒らした土の道という場所も多かった。
そういう場所は流石の高級馬車でも揺れて、これが続くと酔うな、と思ったくらい。
このあたりはもうちょっと整地されているらしく、振動は少ない。
と、御者さんのいる窓が開き、もうすぐです、と声がした。
気になってカーテンを開けて見てみると、先のほうに灯りがたくさん見えた。
明らかな人口の灯り、あれが、公爵様の館がある街、マリネーなのだろう。
はじめて名前を聞いた時は、おいしそうな街だなと思ってしまったのは秘密だ。
領地にある街や村はこの街を含めて全部で三つだそうで、そこまで多くはないらしい。
けれどこの先は国境なのだそうで、重要な位置にあることは間違いない。
と言っても、国境にあるのはかなり険しい山なので、そこを越えてくることは滅多にないそうだけど。
近づいていくと、徐々に街の姿が見えてくる。
といっても、この街も周囲に壁がつくられているから、中の様子はわからない。
道はいつのまにか石畳になっているようで、音が変化していた。
やがて速度がゆっくりになり、城門にたどりつく。
遅い時間じゃ駄目なのではと思ったけれど、そこは領主だからなのだろう、すぐさま重たい音と共に門が開く。
入ってすぐは大通り。いくつか灯りがついているから、食堂とか宿屋とかなのだろう。
それからやっぱり曲がっていく。このあたりのつくりは、あまり変化がないらしい。
でも、王都よりは短い時間で、曲がり角の多い時間は終わってしまう。
やがて見えてきた……といっても、暗いのでよくわからないけれど、灯りからして三階建ての大きな邸。
多分あれが、公爵様の館なのだろう。
周囲には他の邸は建っていないらしく、極端に灯りが少ない。
これはこれで、警備というか、大丈夫なんだろうか。
そして、そこからがまた長かった。
無駄に広いというのは本当らしく、姿が見えてから馬車が停まるまで五分くらいはかかったんじゃないだろうか。
速度を落としているとはいえ、馬車は徒歩より勿論速い。
となれば歩けばもっとかかるはずだ。この距離を毎日通勤するのは、正直嫌だなと思うくらい。
通いのひとたちはどうしているんだろう……これじゃ、街から行き来するのも大変だ。
そんなことを考えているうちに、ようやく馬車が停まり、手を貸してもらって降車する。
出迎えにきていたのは、二人だけだった。
多分、公爵様があらかじめ言いつけていたんだろう。
いつから待ってたのか心配になるけど、あれだけ門から距離があれば、気がついてから出てきても十分間に合いそうだ。
てっきり大人数が大歓迎、とかされると思っていたので、少ないほうが緊張しなくてありがたい。
「お帰りなさいませ」
公爵様へ丁寧に頭を下げた二人が、執事頭とメイド長なんだろう。
執事頭はいかにもという感じの六十代くらいの年配で、メイド長はそれより少し若いかな、くらい。
洋画で見かけるまんまの見た目で、なんだか現実感がない。
あそこにいた時も現実感はなかったけど、あれは神官だったので、違和感があってもそれが普通というか、そんな感じで受けとめられていた。
今のほうが、異世界にきたんだ、という感じが強くて、落ちつかなくなる。
「ようこそいらっしゃいました」
それから、後ろにいたわたしに、二人はこれまた丁寧にお辞儀をする。
公爵様にした時と同じくらいの丁寧さに、正直言って困惑した。
「ええと……セッカと呼んでください。これからしばらくの間、ご厄介になります」
神樹の子と呼ばれるのは嫌なので、名前でお願いしつつ頭を下げる。
やつらからは尊き存在だからどうのこうのと言われたけど、知ったことじゃない。
丁寧な礼には同じように礼を返すものだ。
「どうぞ気にせず、好きなだけこちらにいてくださいね」
女性のほうも優しそうな顔で言ってくれたので、とりあえずの第一印象は悪くなかったようだ。
「お疲れでしょうし、まずはお部屋へご案内します、簡単な食事もお持ちしますね」
馬の交換時におやつというか軽食はつまんでいたので、そんなにお腹は空いていないから、そのへんはわかっているのだろう。
空腹だと酔いやすいというのは知っていたので、せっせと食べていたから、食べすぎたかもしれない。
「なにかあったら遠慮なく呼んでくださいね。それと……明日からはよければ一緒に食事をしましょう」
クヴァルト様はそう言って、執事頭さんたちとどこかへむかった。多分書斎とかで話があるんだろう。
わたしはフリーデさんに案内されて、邸の中を歩いて行く。
部屋は三階だそうで、今の体力ではちょっときつかった。
上がりきったころにはぜいぜいと荒い呼吸になっていて、これは体力づくりが急務だ。
まんなかへんにあるのが、わたしとクヴァルト様の部屋だという。
どうぞと言われて、ちょっと緊張しながら扉を開けた。
広い!
というのが最初の感想だった。
グランドピアノを一台入れてもまだ余裕があるだろう、広々したスペースが目の前にあった。
入ってすぐには机と椅子が置いてあり、壁には暖炉らしきものもある。
他には綺麗な飾り棚が置いてあったりして、立ち入り禁止の洋館内部という具合だ。
そして衝立のむこうに案内されると、そこにはベッドが鎮座していた。
セミダブルくらいのサイズは、そこまで大きくはないけれど、でも二人くらいは余裕で眠れそうだ。
そばには小さいころ憧れたお姫様みたいな化粧台。
横の壁には扉があって、中は衣装部屋らしい。現代で言うとウォークインクローゼットか。
姿見ひとつとっても細工が施されていて、軽々しくさわれそうにない。
これが全部わたし用って……ちょっと勘弁してほしい……
若干どんよりしたわたしに、フリーデさんはなんと声をかけていいか悩んだあげく「慣れてください」ときた。
現実逃避もあったけど、どっと疲労を感じたので、一休みと椅子にすわる。
装飾はされていても、実用を無視したものではないのだろう、すわり心地も悪くない。
すると、暖炉から少し離れた場所に、扉が一つあることに気づいた。
「そちらは洗面所などがあります」
なるほど、水回り。ちょうどいいので手を洗おう。
ドアを開ければ、洗面所にトイレと、奥にはお風呂まであった。
大きさは小さいけど、それでも一人暮らしの部屋のものより大きい。
……のだけど、そこにとても違和感のあるものが置いてあった。
入れるのもギリギリだっただろう、大きな棚だ。
それも、脱衣所にありがちな籐のものではなく、普通の部屋にありそうな木材でできている。
とても唐突に棚があって、圧迫感もすごいし、変な感じだ。
わたしがじっと見つめていると、フリーデさんが視線を動かして、ああ、と呟いた。
「その後ろには扉があるので、塞いでもらいました」
「……じゃあ、あのむこうがクヴァルト様の部屋?」
「そうです」
ドアに釘は打っていなかったけれど、バリケードが用意されていた。
この棚は、ちょっとやそっとでは動きそうにない。
中身は空っぽだけど、わたしの背丈より大きいから、相当な重さだろう。
わたしが安心できるようにという配慮なんだろうけど……運ぶの大変だっただろうな。
どうやらお風呂場は一つで、その手前にそれぞれ洗面所が設けてあるらしい。
……まあ、うん、夫婦の寝室なら、あったほうがなにかと便利かもね……
そうなると公爵様の入浴はどうなるのかと心配になったけど、基本的にここは使わず、一階の大浴場を使用人と一緒に使っているらしい。勿論、公爵様が入る時間はみんなは使えない。
納得して、手も洗ったので居間……と呼んでいいのかな、にもどる。
「失礼します、軽食持ってきました、召し上がります?」
そこへウェンデルさんがやってきて、机の上に料理を置いていく。
わざわざつくってもらったのに、食べないのも申しわけないし、少しお腹もすいていたので、ちょっとだけもらうことにした。
……そう、ちょっとのつもりだったのだけど。
「……太りそう」
薄めの味つけのおかげで食べやすく、しかもおいしそうなタルトまでデザートにあったので、ついつい食べすぎてしまった。
満腹で幸せなのだけれど、罪悪感もかなりのもので、がっくりうなだれる。
だって今日はほとんど馬車の中にいたのだ。慣れない移動手段だったとはいえ、そんなに食べる必要はなかったはずだ。
だのにおやつ休憩だのなんだので、結果的にずいぶん食べてしまった。
ぼやいたわたしに、二人は痩せすぎですからいいんです! と力説していた。
でも増えるところってお腹とか余計な場所が多い気がするんだよなぁ……明日から動かなくちゃ。
本当はこのあとお風呂と思っていたそうだけど、今のわたしにはキツイだろうということで、温めたタオルで拭くだけにとどめた。
すぐ隣のお風呂はずっと使っていなかったので、準備も整いきっていないらしい。明日にはなんとかしておきます、と言われた。
その際、手伝うと申し出た二人には遠慮してもらった。わたしの感覚が一般人だというのは大分伝わったみたいで、そこまで苦労せず説得できてよかった。
この世界は、魔法のおかげでお風呂は簡単に入れるらしい。
あそこだけが特別なのかと思ったけど、ここでも大丈夫だと聞いて嬉しくなった。
日本人的には、ここは譲れない部分だ。贅沢だと怒られない程度に入らせてもらおう。
街中でお風呂のある家はお金持ちらしいけど、代わりにほぼ無料の浴場がたくさんあるという。
もとの世界での温泉地みたいな感じらしく、それもいつか行ってみたい。
公爵様のお母様は、わたしより背が高かったらしく、特にゆったりした寝間着は問題なく着られた。
この世界の女性の寝間着はいわゆるネグリジェなので、足がすーすーするのが困るけど……
今度パジャマを提案してみよう、乗馬する時などは女性でもズボンを穿くというから、駄目なわけではなさそうだし。
寝る前に公爵様に挨拶しなくていいのかと聞いたら、もう遅いし休むほうを優先に、と伝言をもらったので、顔を合わせることなく支度を整えた。
9/29
今後の展開上、矛盾が出てしまう箇所を修正しました。
と書きつつ、この訂正が行かせる日がくるのか、我ながら読めませんが。