告げる日の前に(公爵視点)
時系列的にはライマーが屋敷にきたあとです。
セッカより早く目が覚めた、という事実に、クヴァルトは少しばかり感動した。
なにせ自分は寝起きが悪い。いまだに起こしてもらわねば、まともに起床できないことが多いくらいだ。
彼女に無理をさせただとかそういう理由もなく、先に起きられるのは──恥ずかしいが月に一度もない。
明るくなりつつある部屋で見る彼女の寝顔も愛らしく、覚えず頬が緩んでいく。
「──セッカ」
起こさないようにしようと思いつつも、気持ちがあふれて呼ばずにはおれなくて。
たまらず名を口に乗せると、
「……はい、出席番号104番、橘雪花です……」
やたらと明瞭な寝言が飛びだしてきた。
どうやら、学校の夢でも見ているらしい。
出席番号からしてずいぶんな人数がいるものだと感心しかけたのは一瞬で、次に続いた単語に──正確に言えばその発音が気にかかった。
自分たちが普段呼ぶ時とは、微妙に異なるイントネーション。
それは、セッカがクヴァルトたちの名を口に乗せる時も同じだ。
異世界人であるし、セッカいわく「発音形態が違う」そうで、そもそも母国語に存在しない音もあるという。
だから、名前を呼ぶ時はいまだにほんの少しの違和感が存在する。
気になるほどのものではないし、他と違うのはそれはそれで特別なようで、名前に嫌な思い出しかないクヴァルトにとっては嬉しいくらいなのだけれど。
今まではこちらの発音ばかり気にしていたが、つまり逆を言えば、こちらがいつもどおりに音にしているセッカの名前は、彼女の母国にあてはめれば、正確なものではないのだろう。
今彼女が声に出したそれが、おそらく正解で。
彼女はあまり自己紹介をする必要がないため、気にしていなかったが、そういえば微妙にイントネーションが異なっていた気がする。
──それは、さみしいことなのではないか、と、不意に思った。
もといた世界の知人が一人もいない中、よすがとなる自分の存在、それを確立するひとつである名前。
嫌ないわれのクヴァルトと違い、彼女の名前は両親が心をこめて考えた大切なものだ。
だのに、正しい発音で呼んでくれる人間は、誰も存在しない。
今さらながらの事実はクヴァルトにとっては重く、反省すべきものだった。
必死に記憶をたどり、頭の中で練習してみる。
「──雪カ」
微妙に違うことはわかるが、なかなか難しい。
クヴァルトはいくつかの言語を操ることができるし、それなりの習熟度だと自負しているが、母国語としている者にはかなわない。
生まれ育った場所だからこそ身につく強弱や音というのはあるものだ。
何度か繰り返して、ようやくそれらしい発音ができたが、気を抜くともどってしまう。
しかしこれなら、呼ぶだけなら練習すればできるようになるだろう。
──ちらと横目で見るのは、鍵のかかった小さな机。
主寝室で眠るようになってずいぶんだが、セッカは許可なく棚や引きだしを開けることはない。
それでも念のために鍵をかけたそこには、いくつかの思い出の品が入っているのだが、最近そこに金剛石の指輪が加わった。
彼女の世界では、求婚の際には給料三ヶ月分の金剛石の指輪が一般的らしいと聞いて、彼女に内緒であつらえたのだ。
普段は演奏に邪魔だとつけたがらないのはわかっているが、彼女の世界の常識なら、それにならうべきだと思ったのだ。
情報を仕入れてくれた女性陣には頭が上がらない、暗に「さっさと求婚しろ」と言われた気もしたので、なおのこと。
クヴァルトの給料は月給ではないし、仮に平均して出した金額でつくると、間違いなく引かれてしまう代物ができあがるので、少々不本意だが一般的な程度に抑えておいた。
──もうすぐ彼女の誕生日、もともとその日に求婚するつもりで準備を進めていた。
だからその時、正しい発音で名前を呼んで、跪いて結婚の許しを請おう。
彼女は驚くだろうか、喜ぶだろうか。うれし泣きでも泣かれるのは苦手なのだけれど、それもきっと、いつか思い出になるのだろう。
──未来の思い出を期待できる自分に驚きつつも、それは嫌なものではない。
そんなふうに考えられるようになったのは、間違いなく彼女の力だ。
「……雪花、愛しています」
静かに呟いて、今はなにもはめられていない、左の薬指にそっと約束を落とした。
内容的に長くならなかったので、短くてすみません。
今日がプロポーズの日だそうで、書きかけを頑張って完成させてみました。
これにてなろう版は完結にするつもりです(後日完結タグをつけると思います)
少しでも楽しんでいただければ幸いです。




