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傷を抱えたわたしと  作者: 宇梶あきら
番外編-2-
123/124

デライアさんがやってきた

 時系列的にはかなりあとのほうです。

 今日はなにも予定のない休日。

 朝ご飯を終え、ルト様とどうしようか、とのんびり話していたら、ノックの音がした。

 やってきたのはジャンさんで、なんだか渋い顔をしている。

「おくつろぎのところ申し訳ありません、来客です」

 来客? と顔を見合わせてしまう。そんな約束はなかったはずだ。

 そもそも、ルト様はあまり屋敷にひとを招きたがらない。

 本人が好きじゃないのもあるし、一人許せば、わたし目当てに押し寄せてくる可能性があるからだという。

 ディーさんは例外だけど、それ以外は、本当に急用だとか、断り切れない相手しかやってこない。

 一応領主のルト様が断れない相手はそんなにいないわけで、副領主のおじいちゃんとか、それくらいだ。

 それも、事前に連絡はしてくるから、突然の訪問はないわけで。

「来訪者はデライアと名乗っています。旦那様の署名が入った手紙を持っていましたので、本人だと判断しました」

 次の言葉に、わたしは思わず声をあげてしまった。

 今、デライアさんって言った……!?

「ただ……直接いらしたようなので、とりあえず風呂にぶちこ……入って頂いています」

 ものすごい不愉快そうな顔だったので、結構泥だらけとかだったんだろうか。

 最近のジャンさんは、わたしたちの前だと、仕事モードのはずなのに乱暴な言葉が出たりする。

 どっちが素なのかわからなくなってきてるんだけど……どっちもなのかな。

「食事もまだのようなので、もう少し時間がかかります。その間にお支度をお願いします」

 私も準備をしておきますので、と、ジャンさんはさっさと出て行った。

「ルト様、デライアさんに連絡してたんですか?」

 初耳なのでとにかく聞いてみる。

 入浴して食事までするなら、説明を聞く時間くらいはあるだろう。

「連絡……というほどではありませんけれどね」

 わたしがデライアさんの曲を気にいったので、今どこにいるか調べさせたのは、かなり前のことらしい。

 ただ、その時の居場所は隣の国だったため、あまりおおっぴらに声をかけてもまずいということで、やめておいたそうだ。

 その後移動して国内の別の領地に入ったので、軽い挨拶の手紙を送ったらしい。

 神子があなたの曲をたいそう気に言っています、とか、その程度にして、世話になっている貴族が不快にならない程度にとどめて。

「その後も所在だけは気にしていましたが、特になにもしてはいませんでした。……あなたが、あの曲を弾くまでは」

 ──あの曲、とは説明するまでもない、神殿へおさめる曲だ。

 デライアさん編曲のそれは、今ではすっかり弾きこなしていて、神殿で演奏するのも恒例行事になりつつある。

 私は演奏には明るくないですが、と前置いて。

「それでも、あれだけあなたが苦労していたのを知っていますから、高い技術を要求されるものなのでしょう。だから、知らせを出したんです」

 神子があなたの曲を弾きこなしました、と。

 そして社交辞令的に、もし領地にいらっしゃるなら歓迎します、と結んだらしい。

 手紙はルト様の手書きで、身分を示す印章も押してあった。

 さっきやってきたデライアを名乗る人物は、それを持っていたというわけで。

「じゃあ、多分本物ってことですよね」

「……ええ、おそらく」

 となると、出迎えの準備をしなければならない。

 なにせあこがれの作曲家だ、失礼のないようにしなくては。

 二人とも楽な格好をしていたので(といってもわたしからすれば十分ちゃんとしてるけど)着替えることにする。

 美容部員コンビを呼んで、お気に入りの演奏用ドレスを着て、薄くだけど化粧もしてもらった。

 下へ降りればルト様はすでに支度を整えていて、いつもの領主らしい格好になっている。

 日光がよく入る応接室みたいなところに行ってしばらくすると、ジャンさんが後ろにひとを連れて入ってきた。

「ようこそ我が領地へ、歓迎しますよ」

「いらっしゃい……です」

 にっこりと笑顔を浮かべるルト様の隣で、ぎこちなく挨拶をし、席につく。

「こちらこそ! ご存じだろうがデライア・ストーネだ!」

 年齢はルト様くらいだろうか、そのひとは快活に笑ってみせる。

 思った以上に……なんというか、豪快そうなひとだ。

「いやぁ、世話になっていた伯爵が曲に難癖をつけてきてな、大喧嘩している時に手紙がきたので、ちょうどいいと邪魔をすることにした!」

 ……けろっと言うけど、なんというか……いやでも昔の作曲家も結構そういうのあったしなぁ……

「それで? きみが私の曲を弾きこなしたというのは本当かね?」

 普通の貴族やらはもったいぶった口上を述べて辟易することもあるんだけど、デライアさんに興味があるのはそれだけらしい。

 神子のこともなにも聞かないってことは、曲のことしか気にならないのだろう。

「はい、デライアさんさえよければ、ぜひ聞いてください」

「勿論そのつもりだとも! でなければ来ないからな!」

 きっぱりと断言されて、苦笑いしてしまう。

 ……でもこれ、わたしもこんな感じだよなぁ……ちょっと我が身を省みるべきかもしれない。

 ピアノ室に案内しながら、ちらりとルト様を見ると、優しい笑顔でうなずいてくれた。

 ──弾いていいのかとおそるおそる聞いた私に、ルト様はあっさり「いいですよ」と言ってくれた。

「今のあなたなら、ここで弾いても問題はないでしょう」

 たしかに、最初のころに比べれば、変に力むこともなくなったし、コントロールできている自信はある。

 だけど、ものが神殿の曲で、そして自覚があまりなくても、やっぱりわたしは巫女で。

 弾きこなせるようになった分、神殿で披露した時のみんなの盛りあがりはものすごく、ちょっと弾くのを躊躇ってしまうくらいだ。

 だからデライアさんの前で演奏するのも、どうなのかと思ったのだけど……

 ……でもこれは、デライアさんの手で編曲されたものだ。

 もともとは神殿のものだし、曲自体に大きく手を加えられたわけじゃないけど。

 だけど……うまく言えないけど、やっぱりこれはデライアさんの曲でもあって。

 ルト様が許可してくれたなら、難しいことは考えずに、演奏に集中するのが一番だろう。

 新しい八十八鍵のピアノにすわり、わたしは楽譜をセットする。

 楽譜を読み、わたしなりの解釈を加えた演奏が、デライアさんの考えたとおりの演奏かはわからない。

 でも、これがわたしの答えなのだから、そこは気にする必要なんてない。

 わたしはわたしが思ったとおりに、ただ演奏するだけで──

 曲が終わって、そろりと様子を窺う。

 教会が苦手なのに、毎回つきあってくれているから、ルト様の表情は変わらない。

 そしてデライアさんは──

「……うむ、素晴らしい!」

 ぱちぱちと、拍手をくれた。

「技術も勿論だが、うむ、よく表現してくれた! 私は嬉しいぞ!」

「あ……ありがとうございます!」

 本心からの賛辞に、わたしは感極まってお礼を告げる。

 好きな作曲家に演奏を褒められるなんて、そうそう経験できることじゃない。

 わたしの好きな曲をつくったひとたちは、もうとっくに亡くなっているのだから。

 まさかこんな日がくるなんて思ってもいなくて、感動でちょっと泣きそうになってしまう。

「しかもこのピアノ、最新式だな?」

 流石に気づいたらしく、特に鍵盤をしげしげと眺めている。

「うむ、気に入った! しばらく厄介になりたいんだが、いいだろうか?」

 一応は訊ねているが、その姿はとても……ええと、堂々としていて、断られるとは思ってなさそうだ。

 わたしとしては喜んでなんだけど、ルト様に許可を得ないわけにもいかない。

 ちら、と見ると、あなたの好きなように、と微笑んでくれた。

「じゃあ……是非、滞在していってください」

「そうか! 恩に着るぞ!」

 嬉しそうに笑ったデライアさんは、他の曲も聞いてみたいと言ってくれた。

 断る理由もないので、わたしはデライアさんの曲だけじゃなく、もとの世界の曲も披露する。

 もっともっとと要求されるまま楽しく弾いていたら、いつのまにか昼食の時間になっていた。

 きりのいいところでルト様に声をかけられて、三人での昼食にする。

 デライアさんはわたしの演奏技術を褒めてくれて、しかも的確なものだから、話していてすごくためになる。

 仕事として弾くようになってからは、誰かに教わることもなかった。

 こっちにきてからは、そもそもピアノ人口が少なかったし。

 ルト様は観客としては申し分ないのだけれど、この部分が弾きづらいとか、ここが大事だとか、そういう話はちょっとしづらい。

 なので、ついつい話が盛りあがってしまったのはしょうがないだろう。

「さて、滞在するのは構いませんが、二人ともピアノを弾くとなると、場所が必要ですね」

 放っておいたら喋り倒しそうだからか、食後のお茶でルト様が口を開く。

「そうだな、異世界の楽譜を見て意欲も湧いたから、作曲もしたいしな」

 ごっくごっくとお茶を飲むデライアさん、……熱くないのかな。

「さっきピアノを弾いた離れには部屋もありますから、あなたにはそこで、と思っていますが、いかがですか?」

「最新式のピアノがあるなら文句はないが、きみはどうするんだ?」

「あ、それは大丈夫です」

 八十八鍵ができたことで、館のピアノ事情は最初と結構変わっている。

 ずっと練習に使っている離れのが最初に八十八鍵になって、それまで使っていたのは、一番よく行く教会に。

 そして、ルト様はお菓子作り、わたしは一市民の暮らしとピアノができるようにと、こぢんまりした家を建てており、そこにはグランドピアノとアップライト、両方が置いてあるのだ。

 ……一市民の家に二台はないだろう、というツッコミはこの際しないでおく。

 普段使っているのは離れのピアノなんだけど、品質的にはどちらも変わりない。

 ただ、小さい家のほうは、……その、夫婦感を満喫するためにつくってもらったので、他のひとはあまり入れたくない。

 なので、離れをデライアさんに使ってもらうのがいいわけだ。

 ……ということを(夫婦感の部分は綺麗に抜いて)ルト様が説明すれば、デライアさんも納得してくれた。

 もし音が気になるとか、一人で創作したい時は、街のほうにも泊まれるよう手配できる。

 わたしとしては音楽の話とかしたいから、そばにいてほしいけど。

 もとの世界の曲にも興味津々みたいだから、楽譜棚のある部屋ならちょうどいいだろう。

 いつまでも閉じこもっていても大丈夫だし。

 そんなこんなでとんとん拍子に話は決まり、早速楽譜を読みたいというデライアさんを尊重して、使いたい楽譜だけ離れから引きとって家のほうに行く。

 今度は、ルト様のための演奏だ。

「楽しそうでいいとは思ったのも本当なんですが……」

 少しだけ妬きました、とすなおに甘えられたら、そりゃあ頑張ってしまうというものだ。

 作曲家ってどういうものかよく知らないけど、曲作りをはじめたら、そうそう喋ることもないだろうし、わたしも自分の練習をおろそかにはしたくないし。

 ……まあでも、今は、嬉しそうにわたしのピアノを聞いてるルト様と、のんびりした休日を過ごせればいいか、と思うのだった。



///



「数日経ちましたが、どうですか?」

 書斎に呼んで客人に問いかければ、おおらかな笑みと共に、すこぶる快適だ! と返答。

 裏表のない性格のようなので、真実ととらえていいだろう。

 創作に没頭するとなにもかも放りだすらしく、寝食を忘れてピアノの近くで雑魚寝すら厭わない。

 しかし、そういう手合いはセッカで慣れているので、使用人たちはうまく時期を見計らって声をかけ、最低限人間としての体裁は整えさせている。

 どうやら屋敷にきた時が相当ひどかったらしく、それを見た一同が、ああはさせるまい、と密かに闘志を燃やしているらしい。……見ておけばよかった、と思う。

「ところで公爵、曲の依頼はないのか?」

 デライアの質問はもっともなものだ。

 普通、芸術家を抱える貴族は、かれらになにかしらの対価を要求する。

 画家ならば肖像画だし、彫刻家なら作品だし、……作曲家ならば好みの曲を。

 以前いた貴族とは、そこで意見が割れたというが、ある程度は相手に合わせるものだ。

 けれど、クヴァルトは今のところ、デライアになにかを求めてはいない。

 作曲にかかる諸々すべての手はずは整えているが、中味に口出しはしていない。

 デライアはすでに、自分の曲を八十八鍵に手直ししたものや、セッカの世界の楽譜を編曲したものなどを書いている。

 それらを見せてもらい、セッカに弾いてもらいはしたが、それだけだ。

「特に依頼したくてあなたに連絡したわけではないので」

 だから、ああしろこうしろと命じるつもりは最初からなかった。

 ただ、呼べばセッカが喜ぶだろうと、そう考えただけで。

「──ああ、でも、できるなら、セッカのために一曲つくってもらいたいです」

 好きな作曲家はずっと前の存在だから、デライアのように生きている時に会えるなんて、とても感動したのだと。

 音楽のことになると感情をあらわにする彼女が、心底嬉しそうに語ってくれた。

「彼女の名前は、元の世界で雪と花をあらわすそうで、それと月を合わせて、美しいものの極みというような扱いなのだそうです」

「ほう、つまり、雪、花、月のみっつを主題にした曲だな?」

「ええ、──とはいえ、無理強いする趣味はないので、あなたが書けそうなら、ですが」

 嫌々書かれた曲などセッカは喜ばない。

 それくらいなら、デライアが楽しく書いたものを弾きたいと願うだろう。

 だが、デライアは不遜な笑みを浮かべてみせる。

「命じられてばかりも嫌気がさすが、条件を与えられて創造するのもまた一興、引き受けようじゃないか」

 どうやら、条件があったほうが燃える気質の人間らしい。

 お願いしますね、と言葉を結ぶと、デライアは離れへもどっていく。

「──我ながら、おとなげない」

 誰もいなくなってから、苦笑いをこぼす。

 彼女に曲を捧げたいと思ったのは本当だ。

 宝石よりドレスより、なにより喜ぶものだから。

 けれど、流石に自分で作曲できるわけではない、だからデライアに依頼した。

 そも思いに偽りはない、ないけれど。

 ──雪を降らせるあの曲は、恋人からもらったものらしい、と。

 セッカは濁していたし確認もとっていないが、おそらく当たっているだろう。

 題名に入っているとはいえ、雪を降らせるなどという強い力の発動を成したのだから、曲への思い入れが強いことは想像に難くない。

 魔力を実感できないセッカにとって、本人の思い、というものがなにより重要になるのだから。

 そして、ピアノ譜だけではない、クヴァルトには読めない文字の入ったもう一枚の楽譜。

 別れた恋人は歌唱に優れていたという言葉。

 これらをつなげれば、答えは簡単に出てしまう。

 雪が降らないこの地域、使用人たちはたまに演奏されるそれを楽しみにしている。

 セッカも頼まれれば快く弾いているし、その表情に曇った部分はないけれど、単純に己が面白くないのだ。

 ──だから、上書きしてしまいたい。

 弾くな、とは言いたくない。セッカの演奏を阻むものは、自身であっても許せない。

 けれど、だからといって我慢するだけも嫌なのだ。

 あからさまだからセッカにもバレてしまうかもしれないけれど──その時はきちんと話をしよう。

 よし、と一人うなずいて、愛しい恋人の待つ部屋へともどることにした。


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