ウェンデルの話
時系列的には結構あとです。
一日の業務を終えたところで、主が自分を呼んだ。
「申し訳ないんですが、明日の朝、少し時間をもらえませんか?」
明日は休日になっているのだが、なにか火急の用件でもあっただろうか。
「新しい使用人がくるので、顔合わせをしてほしいんです」
続けての言葉に、なるほどと納得した。
セッカづきとして働く自分は、給仕係としてだけでなく、護衛としても望まれている。
だから、屋敷の使用人の顔と名前を覚えるのは、必須条件なのだ。
それは住みこみだけにかぎらないし、野菜などをとどけにくる配達人にもいえる。
「わかりましたー、朝伺います」
だからなんの疑問も抱かず返事をして、使用人の棟へともどった。
伸ばしたままの髪の毛を梳かしながら、今日のことを反芻する。
最近のセッカは対外的な仕事も少しずつ増えてきている。
護衛として自分は十分に動けている自信はあるが、補佐としてどうかと考えると……正直微妙なところだ。
どうにも、そういった交渉だのは得意ではない。
それに、どうしても女で、外見的に迫力のない自分は、舐められることもある。
こればかりはどうしようもないことだが、悔しいのも事実だ。
だが、今後彼女が領主夫人となれば、外に出る仕事も増えてくる。
ウェンデルはウェンデルなりに、彼女を主と慕っている。
能力が足りないばかりに、側近の座を奪われたくないと思う程度には。
性別の差はどうしようもないが、せめて知識は身につけるべきだろう。
そういった相談をする相手は、何人かいるけれど──一番話したい相手は少々遠い。
「……とりあえず明日、ディディスに相談かなー」
対価は必要だがなんとかなるだろう、呟いてベッドに潜りこんだ。
そして翌日、私服で構わないという主の言葉に甘えて、そのままの服装で母屋へ行く。
失礼しますと声をかけて書斎へ入れば、主とセッカがすでにいたが、新人の姿はない。
「すみません、休日に」
改めて謝られて、いいえーと返す。
顔の確認は早いほうがいいし、どのみち休日だからと予定があるわけでもない。
精々ディディスのところへ行くくらいだが、主が休みということは、彼は仕事だ。
となると訪ねるのは終業後なので、今から行く必要はない。
「もうすぐくるはずなんですが……」
どうやら、主にとっても予想外らしい。
……それにしても、セッカの様子がおかしい。
そわそわしているというか、そのわりにこちらと目を合わせないし。
昨夜はごく普通だったので、また主に無茶をされたのだろうか。
そのあたりは気づいても指摘しないのがマナーだし、ウェンデルにとって重要なのは、それによってセッカが体調を崩していないだけだけれど。
まあ、主は彼女に対して過保護なきらいがあるので、体調が悪いことはないだろう。
そんなことを考えていると、ノックの音が響き、主が入室を許可する。
入ってきた相手を見て──ウェンデルにしては失態だが、思い切り狼狽してしまった。
「申し訳ございません、持たされた荷物が多くて、時間がかかってしまいました」
「たいした遅刻ではないので大丈夫ですよ。……それにしても、荷物ですか?」
「ええ、大旦那様が、ついでだと色々。セッカ様にはドレスの生地と、王城で使われている楽譜を」
「嬉しいですけど、その楽譜って……一般流通してないんじゃ……」
「クヴァルト様……いいえ、今日からは旦那様ですね、にはこれを」
「……型ならこちらにもありますが」
「なんでもこの形のケーキを食べたいそうで」
「……まあ日持ちしますから、作って届けるのは構いませんが……」
ごくごく穏やかに会話を続ける、主に男二人。
そこに違和感はなく、前々から決まっていたことは想像に難くない。
セッカはというとおろおろ視線をさまよわせているから、なるほど、昨夜突然聞かされたのだろう。
ウェンデルの視線に気づいた主人は、にっこりと綺麗な──うさんくさい笑みを浮かべた。
「ああ、すみません、ということで、明日からセッカづきとして働いてもらうライマーです」
「よろしくお願いします」
──お前らグルか、という言葉は流石に自重した。
「大旦那様の側近はどうするの」
大変に活動的な彼の側仕えは、誰でもつとまるわけではない。
据わった目をしている自覚を持ちつつ訊ねると、ライマーは穏やかに笑った。
「勿論、問題ないところまで育てた後任を置いてきました。……だから時間がかかってしまったんですが」
そのあたりに抜かりはないらしい。
そもそも放りだしてきたなら、主が認めるわけもないのだが。
セッカの仕事が増えてきて、男手の必要性を感じていたのは、勿論主もなのだろう。
たしかにライマーなら、セッカの側近として必要な条件はすべてそろっている。
交渉ごとにも慣れているし、武術の腕もたしかだ。
なによりセッカとすでに顔見知りだから、彼女が萎縮することもない。
問題はない、ないのだが──
「仕事は明日からですから、今日は自由にしてもらってかまいませんよ」
手紙を渡したり伝言を伝え終わると、主はライマーにそう告げた。
彼はありがとうございますと一礼すると、いまだ睨み続けるこちらに歩み寄る。
そしてやおら、膝をついて手を伸ばした。
後ろでセッカがわぁ、と声を上げているので、こちらから手は出さない。
「……というわけで、明日から同僚兼恋人として、よろしくね」
セッカの様子に気づいたらしく、すぐに立ち上がり溶けるような笑みを見せる。
朴訥とした青年の笑顔は、主のようなうさんくささはなく、まさに好青年といった具合だ。
「──聞いてないんだけど」
先だって受けとった手紙にも、そんなことは書いていなかった。
しかし、こんなことを一ヶ月でできるわけがない。つまり、長いこと秘密にしてきたわけだ。
抑えようとしても、どうしても殺気が出てしまう。
セッカに気づかれる前に場所を移動したいところだが、あいにくライマーが出入口にいるため、難しい。
「言ってないからね。行動したほうが早いと思って」
反対はしないだろうけど、と続けられて、たしかに、と思う。
決めるのは本人だから、止める権利はない。ないけれど──
王都で、引退したとはいえ業績ある人物の側近を辞めて、領主夫人の側近になるというのは、昇進とは言いがたい。
「ぼくはきみの側にいられるなら、なんだっていいからね。でも、流石に職ナシじゃあ、きみに罵倒されちゃうからね。──罵倒されること自体はご褒「それ以上言うと口を縫う」
セッカに聞かせたくない言葉が飛びだしたので、途中で言葉をかぶせる。
「……旦那様、ひとまず御前失礼しますね」
これ以上二人の前で問答を続けたくはない。
くるりとふりかえって言葉を紡げば、相変わらず主は感情の読めない微笑みを浮かべたまま。
セッカはというと、どう反応していいのかわからないらしく、表情を歪めていた。
「多少なら器物破損は目をつむりますから、明日からの仕事を心置きなくできるようにしてきてください」
とんでもないお墨付きまでもらってしまったが、いくらなんでも室内で暴れるつもりはない。
そんなことをしたら敬愛する先輩にも迷惑がかかってしまう。
幸い、自分たちが鍛錬するのに使っている開けた場所がある。
あそこなら余計なものは置いていないから、多少地形が変わっても問題ないはずだ。
「──訓練場に行くよ」
「いいよ。きみとの手合わせもひさしぶりだね」
なにを言うまでもなくドアを開け、完璧なエスコートをしてみせる。
先に出れば、ライマーは綺麗な所作で主たちに退去の礼をしていた。
すたすたと歩けば、見慣れぬ人物の姿に他の使用人からの視線が集まる。
ライマーはいちいち立ち止まっては彼らに自己紹介をしていった。
──その際、きっちりと「ウェンデルの恋人です」とつけ加えるのも忘れない。
こんな場所では叩き潰すわけにもいかず、わざとだろう言動に苛立ちが募る。
「……普通、ろくに手紙を出さず、会いにも行かなかったら、ダメだと思うものじゃないの」
ひとが途切れたところで呟けば、ぱちりと瞬きをしたあと、思わないね、と断言された。
「まあ、会うまではすこし不安だったけどね……きみを見たら、大丈夫だと思ったね」
男にしては繊細な指先が不意に動き、己のポニーテールの先端を捕らえる。
そして、流れるような動作で口づけを落とした。
「──髪、ぼくが頼んだとおり、ずっとのばしてくれてるんだね」
「────」
世の女性なら赤面しそうな情景と発言だが、あいにく己の心臓はそういうことではときめかない。
ライマーもそれは知っているので、反応しなくても気にしたりはしないが。
即座に切りに行く時間がなかったからとか、適当な返しをできなかったことが、なにより認めているのだと、今さら気づいて舌打ちしたくなる。
「……とりあえず、私の気がすむまでつきあってもらうから。話はそのあと聞く」
一番の得物をとりだして宣言すると、いいよ、と頷かれる。
明日の仕事に支障をきたさない程度にするべきだろうが、主も心ゆくまでと言っていた。
だから、相手が明日、這いつくばるように動こうが知ったことではない。
すぅ、と息を吸って──開始の合図もせずに飛びかかった。
「……大丈夫なんでしょうか、あの二人」
険悪なムードでウェンデルさんとライマーさんが出て行ったあと、おろおろと呟くが、ルト様は平然としている。
「まあ、ライマーの骨が折れるかもしれませんが、問題ないと思いますよ」
「物理的に骨が折れるのは、問題ないとは言えないと思うんですが……」
戦闘の強さという意味では、ライマーさんはウェンデルさんに適わないらしい。
それでも一般的な護衛としては十分だから、お祖父様の側近を務められたらしいけど。
──ライマーさんをわたしの側仕えにする、という話を聞いたのは、昨夜寝る前だった。
わたしに先に知らせると、ウェンデルさんが勘づいてしまうから、秘密にしていたそうで……たしかに、隠せる自信がない。
なんでも、あの二人はシュテッド公爵家に勤める前からの仲らしい。
同じパーティーにいて(この場合のそれは戦うほうのやつ)ウェンデルさんが公爵家に転職したら、ライマーさんがそれを追いかけてきた。
二人ともお祖父様に気にいられて、ライマーさんは側近になり、ウェンデルさんはこっちにきた、ということらしい。
でも、恋人がいるそぶりなんて全然見せなかったけど……と思ったら、それは前からそうだったらしい。
……たしかに、お祖父様もウェンデルさんからの手紙は全然こないって言ってたものな。
わたしに近況を書いてくれって頼んだのも、ライマーさんに伝えてあげたかったからだそうで、ライマーさんから渡された手紙で謝られた。
「それでもあなたがくる前は、たまに長期休暇を取っては、どこかへ出かけていたんですよ」
行き先は誰にも告げなかったから、みんな知らなかったけど、その時王都へ行っていたらしい。
ということは、わたしの面倒を見るほうで手一杯で、王都へ行けなくなったんだろうか。
悪いことをしたなと思ったら、お見通しのルト様に、違いますよと否定される。
「なおさら仕事が楽しくなったから、当分そっちは行かない。じゃあね。……という手紙がきたそうです」
……ばっさりすぎて凄い。
わたしのことを気にいってくれたからというのは、嬉しいけど。
もともとライマーさんは、ウェンデルさんがこっちへきてから、自分も行こうとはしていたらしい。
お祖父様もそれなら構わないと言ってくれたらしいけど、後任をちゃんと育てるまではと、ライマーさん自身が言ったらしい。
「中途半端で行ったら、彼女は二度と会ってくれないから……だそうで」
……たしかにウェンデルさんは、雰囲気こそユルいけど、仕事に妥協はしない。
でも、お祖父様の側近は、ただ優秀なだけではつとまらない。
結局これぞという人材が見つかったのはずいぶん経ってからで、そのころちょうどわたしがやってきた。
ライマーさんの能力なら、ベルフ領でも引く手あまただし、お祖父様も紹介状を書く気だったそうだけど、わたしがいるなら、その側近にすればいい、となったそうだ。
たまにライマーさんが手紙やらを持ってこっちへきたのは、わたしに慣れさせるためもあったらしい。
それもここ最近なかったのは、こっちへ移る準備に追われていたからで。
わたしとしてはなじんだひとだから、側にいてくれるのはありがたい。
でもウェンデルさんのあの様子を見ると、すなおに喜んでいいのかなぁ。
うーんと唸っていると、ルト様が頭をなでてくれた。
「まあ、本人たちに任せましょう」
「……そう、ですね」
あれこれ考えてもできることはない。
せめて明日、ウェンデルさんの好きな曲を演奏しようと、そう思った。
「──というわけで、改めて本日よりよろしくお願いします」
「ええ、お願いします。体調は大丈夫ですか?」
「ずいぶん手加減してくれましたので、日常生活に支障はありませんね。……口では手加減してない、なんて言っていて、それがまたとても可愛かったんですが」
「……それならよかった。とりあえずセッカに心配させないようにお願いします」
「勿論です、ウェンデルもそれを考えていたみたいなので」
「……で、うまくいったはずなのに、私への視線が厳しい気がするんですが」
「それが……プロポーズしたんですが、断られたんです」
「え?」
「自分が先に結婚したら、絶対セッカ様が気にするからしない。でもそれをセッカ様に悟らせたら、その時点で別れる。……と言われまして」
「………………」
「そういうわけなので旦那様、可及的速やかにとっとと結婚してください」
「味方がいない……」
もうちょっとヤンデレ感を出したかったんですが失敗しました。




