祭礼のあと
は、と目を開けると、おや、と穏やかな声が降ってきた。
「起きましたか?」
いつのまにか布団にちゃんと入っていて、横にすわったルト様が頭をなでていた。
慌てて起きあがってみれば、窓にはカーテンがかかっている。つまり、日が落ちたってことだ。
や、やってしまった……
「すみません、出迎えもしなくて」
寝起きだから絶対ひどいことになっているだろう顔を隠そうとあがきつつ、とにかく謝る。
「気にしていませんよ、疲れているでしょうし」
ルト様は優しい声音でそう言って、さらに医者を呼ぼうとしたので全力で止める。
ちょっと寝ただけで、疲労感はあるけど診てもらうほどじゃない。
どうせ明日には呼ぶって言ってたから、その時で十分だ。
本当はそれもいらないと思ったのだけど、大人数の前で演奏したらどうなるかは未知数なので、念のためらしい。
急いで顔を洗って、夕食はちょっと待ってもらい、先にピアノ室へ移動する。
ルト様はあとでもいいって言ったけど……連中関連の曲しか聞いていないままなのは、絶対、気分のいいものじゃないはずだ。
「お昼のあとからずっと寝ちゃったので、すぐ夕食は嫌なんです」
だからだと言い張れば、多分お見通しなんだろうけど、わかりましたと笑ってくれる。
ルト様の性格的に、今日は遠慮するつもりだったのかもしれない。
でもわたしも、曲としては好きだけど……なんだろう、仕事じゃない曲も弾きたいわけで。
今までも練習の合間に息抜きはしていたけど、心ゆくまで趣味に走りたいというか、そんな感じ。
とはいえ時間が押しているから、結局いつもの月光ソナタだけになってしまった。
でも、ルト様は嬉しそうに拍手してくれたし、わたしが見たかぎりでは、皮肉っぽい笑顔でもないから、多分大丈夫だろう。
ややこしい話はあと、という暗黙の了解のもと、二人でなごやかに食事をとる。
デザートまできっちり食べたので、運動量的にちょっと心配だ……
で、食休みを兼ねて入浴の前に書斎へ移動して、真面目な話の開始だ。
「結果から言うと、大成功でした」
微苦笑しながらの言葉なので、本当なんだろう。
わたしが帰ったあと、神官長の話は静かに聞いていたそうだけど、終わった途端、ルト様はみんなに囲まれたらしい。
それは予想していたし、うろたえることもなく、質問に答えていったそうだ。
「素晴らしかった、もっと聞きたい……大体そんなところでしたね」
ただ、それに関しては神官長と二人でやんわり止めたという。
強い祈りは力になるけれど、それだけ負担も大きい。
祭礼が月に一度なのも、人々の身体が疲れてしまうから、というのもあるんだそうだ。
神子であっても同じことだし、ましてわたしは体調を崩して王都を去ったことになっている。
よくなってきたとはいえ、無理をさせてはいけない、と諭したそうだ。
「それで、納得してくれたんですか?」
「ええ、その場にいた民衆は。そこから噂が広まるでしょう」
……ちょっと引っかかる言いかただ。
わざわざ民衆は、って区切っているってことは……。
「貴族たちは?」
駆け引きは苦手なので、すなおに問いかけると、また苦笑いが落ちる。
「感激はしていましたよ。……効果が出すぎたかもしれないくらいに」
……よくわからないので首をかしげてしまう。
成功したことは間違いないのだけど、信仰心の強い貴族たちには、予想以上の衝撃を与えたらしい。
かれらはわたしに対して、同情は一応していたけど、あの場所から逃げた者という認識で、つまり、ちょっと下に見ていたらしい。
それは事実だからべつにいいんだけど……と言うと不機嫌になりそうなので黙っておく。
さらにわたしの居候先は、気にくわない領主のもとだから、なおさらわたしに対しては、いい感情がなかったようだ。
ルト様は言葉を濁していたけど、陰口というか、そういうのもしてたのかな。
ところが今日の演奏で、そういうのがいっぺんにひっくり返ったわけだ。
「でも、それだけなら問題にならないんじゃ?」
直接わたしになにか言ったわけじゃないから、咎めだてようもないし。
見直して悪口が出なくなるのなら、いいことだと思うのだけど。
「……私の取り越し苦労なら、いいんですがね」
ルト様はわたしの頭をなでて、小さく呟く。
「それで、あちらからも、また弾いてもらえないかと打診がきました」
みんなからも要望があったしということらしい。
わたしに異論はないし、それでルト様の評判も上がるなら、是非ともってところだけど……
「あの、でも、前の時に演奏していたひとたちの仕事をとっちゃうんじゃ」
普段の礼拝には音楽はないから、あの場がなくなるのはまずいはずだ。
貴重な収入源になっているのなら、毎回わたしが出張っては、彼らの生活が困ってしまう。
わたしの言葉にきょとんとしたルト様は、次いでやんわり笑ってみせた。
「問題ありませんよ、彼らは給金を受けとっているわけではないので」
あれはボランティアの一環らしい。
演奏しているひとたちもプロではなく、趣味よりは上手だけど、というレベルなんだとか。
それにしては巧みな演奏だったけど、と思えば、その中の何人かは、他の曲はいまいちだけど、あれだけ巧いとか、そういう感じらしい。
それに、祭礼はあそこ以外で、微妙に日をずらしたり規模も違うものの、各地でされている。
だから演奏する場所がなくなるわけじゃないと聞いてほっとした。
「楽団員の心配をするあたりが、あなたらしいですね」
小さく微笑みながら言われるけど、そりゃあ気にするだろう。
収入に関係ないなら安心だけど、音楽で食べていこうとすると、わたしの世界ではかなり大変なんだから。
今日のことが広まれば、あちこちの神殿から(領地にいくつあるかは知らないけど、結構あるらしい)うちでも演奏を、と頼まれるだろうけど、それはひとまず断るらしい。
そうなると今日の神殿にひとが集まることになるから、警護とかちょっと厚くしないといけないようだ。
……あれ、それって結局迷惑をかけているような……?
でもルト様は涼しい顔なので、そのへんも予測済みだったんだろう。
「はじめのうちは少し賑やかになるでしょうけれど、あなたが定期的に演奏してくれるなら、落ちつくでしょうしね」
そのあたりは折り込みずみだから問題ありませんと断言された。頼りになる領主様だ。
たしかに、最初のうちはミーハーで大人気になるけど、ブームというのは一過性だ。
この場合信仰に根ざしているから、流行とはちょっと違うけど、目新しいという意味では似ている。
でも場所が場所だから荒っぽいことにはならないだろう。
「少ししたところで新しいなにかを出せば、熱も移動します」
なるほど……とうなずくばかりだ。
とりあえず、来月も演奏をお願いしますと言われて快諾する。
その間に他の神殿にも顔を出して、できれば少しずつ慣らしていこうと言われた。
どこの神殿で演奏するかわからなければ、人々も分散するしということらしい。
たしかに、三カ所くらいをランダムに回っていれば、予想つけづらくていい気がする。
よさそうな神殿はルト様たちに見繕ってもらうことにして、これで話は大体おしまいだ。
大成功と言っていいはずなのに、ルト様の顔はいまいち晴れない。
そりゃあ、険悪な貴族連中と、曲のひとつで相容れるようになるなんて無理だろうけど、それはルト様もわかっているはずだ。
心配になりつつも呼ばれたのでお風呂に入り、もやもやしたまま部屋にもどる。
しばらくしてもどってきたルト様は、ぎゅうぎゅうわたしを抱きしめてきた。
「……あの、やっぱり、弾いちゃまずかったですか?」
肩に顔を埋められているので、表情が見えない。
起きている時にコアラ状態なのは珍しい、それくらいのことをしでかしたんだろうか。
おずおず問いかけると、いいえ、と否定される。
「あなたがミコなのだという事実を突きつけられて、少し面白くないだけです」
やがて呟かれた科白は、いまいちよくわからない。
ルト様もそれだけでは通じないと知っているんだろう、とつとつ語られたことをまとめると、わたしが演奏したことで、やっぱり神子なんだと改めて何度も実感させられたらしい。
奇跡を目の当たりにしたら、信じるしかないってことかな。
「……考えてしまうんですよ、色々とね」
ふぅ、とひとつ息を吐いて、ようやく目が合う。
「私はあなたがミコだから愛しているわけではないですが、それでもそうなのだと示されると……」
「……これでいいのか、とか、そういうことですか?」
質問すれば、そうですね、とうなずかれる。
……さりげにすごいことを言われて恥ずかしいので、そっちは置いておくことにした。
この世界のひとにとっては、臣籍降下みたいな感じなんだろうか。
わからなくはないけど、わたしは自分がそんなに高尚な人間だとは思っていない。
どっちかというと、わたしのほうがルト様とつりあわないくらいだけどなぁ。
でもそれを言いだすと不毛な気がするのでやめておくけど。
わたしはぺし、とルト様の両頬に手を当てる。
「でも、わたしが今、神子らしいことをするのは、ルト様のためですよ」
神樹へ力を送っているのは、連中から給金をもらっているから、その分って感じだし。
弾きたいのが先であって、影響を与えたらまずいからちょうどいいや、というのもある。
わたしには信仰心とかそういうのはそんなにないから、神子だからと遠慮されても困ってしまう。
ただ、ルト様と一緒にいるための役に立つなら、いくらでも使うというだけだ。
ルト様だってそれはわかっているはずだけど……それでも不安にはなるだろう。
それなら、わたしがすることは、不安をとり除くことだ。
今すぐは無理でも、価値観の時と同じで、そばで時間をかけていけばいい。
「だから……距離、とったりしないでくださいね、……さみしい、ので」
もうちょっとうまく言えばいいんだろうけど、駄目だった。
それでもルト様は嬉しそうに笑って、勿論です、と抱きしめてくれる。
羽衣伝説だと、両思いじゃないんだっけ、たとえとしてはよくないかな。
同意もなく召還されたのは、ずっとわだかまり続けるだろうけど、それはルト様のせいじゃない。
そして、今ここにいるのは間違いなくわたしの意思だ。
「好きなのは、ルト様ですから」
小さな声で告げると、突然身体が浮いた。
ぎゃっと慌てて目の前の服にしがみつくけど、浮いていたのは数秒で。
ぽすんと降ろされたのはベッドの上、見上げれば、ちょっと困った顔のルト様。
「今日は疲れているでしょうし、休ませようと思っていたんですが」
呟きながら伸びてきた手が、するりと首筋を意味深になでていく。
「……あなたを、確認させてもらってもいいですか?」
かたちをたしかめるように、指があちこちをさまよっていく。
その手をとって絡めて、ぎこちなくうなずいた。
「ひ、昼寝しましたし、大丈夫です!」
我ながら色気のない返答だったけど、まあ、わたしだからしかたがない。
ルト様は楽しげに笑ったかと思うと目をすがめて、ゆっくりわたしに顔を近づけた。
──まだまだ色々あるだろうけど、でも、こうして一緒にいられれば、あとはどうにかなる。
あやふやになる思考の端で、そう考えた。
神子編、終了! にします。




