練習の成果、と
それからの毎日は、大体いつもどおり……なのだけど、気合いを入れて練習する。
でも、倒れたら駄目なので、やりすぎないように注意して。
正直自己管理は苦手なほうなんだけど、ルト様が帰ってくる時間になれば、強制的に練習を終わらせることになるから、たすかった。
一人暮らししていたら、絶対ずっと弾いていただろうなぁ……
難しい曲とはいえ、練習を続けていれば慣れてくるもので、徐々に余裕も出てくるようになった。
とはいえ、ミスをせずに弾けたら完成というわけにはいかない。
譜面に載っている細かな指定をそのとおりにこなし、合間に自分の解釈を入れていく。
一度聞いただけの曲を思い出しながら、できるだけ神聖なものに仕上がるように。
信仰心がないわけじゃないけど、ちょっと雲をつかむような感じで、なかなかうまくいかないけど……
それでも弾きやすくなってきたから、上達は間違いなくしているはずだ。
合間のお休みには、約束どおりルト様と出かけている。
わたしが神殿で演奏するためには、当たり前だけど、色々手配をしなきゃなわけで、それをするのは当然ルト様だ。
そのストレスは……多分、かなりのものだろう。
だからなのか、外出もしたけれど、間にはおうちデートも挟まったりした。
わりとわたしを連れていきたがるルト様なので、それだけ疲れているってことなんだろう。
ルト様は嫌なことがあるとコアラみたいにわたしを抱きしめることが多いけど、その回数も結構あったし……
申しわけないと思いつつ、でも、これを乗り切れば少し楽になるはずだ。
となればなんとしても次の祭礼に出られるようにしなければいけない。
わたしは練習時間をめいっぱい使って、曲の仕上げにとりかかった。
そして二十日後、約束した日がやってきた。
ピアノ室の椅子には、ルト様、医者、観察術士、ディーさんがすわっている。
もうちょっと人数を増やして様子を見てみたいのだけど、まだ影響が大きいとまずいから、とこの人数になった。
ディーさんが加わっているのは、当日サポートしてもらう予定だからだ。
うまくいくようなら、祭礼の日は、おじいちゃんに領庁にいてもらって、ルト様が神殿に行くことになっている。
たまにしか行かない領主だし、方々への挨拶とかもあるから、自由に動くことはできないので、そこをディーさんがカバーするわけだ。
ジャンさんも勿論いてくれるけど、立場上、面倒があった時に押し通せるのはディーさんのほうなので、ということらしい。
わたしは、いつもよりちょっと綺麗なドレスを着ている。本番用ではないけど、気合いを入れるためだ。
「もし、途中で駄目そうだったら言ってください」
間近で聞くことになるから、制御が微妙だった場合、本気で大変なことになる。
特に、力を察知することに長けた観察術士は、今からかなり必死の顔をしていた。
今日駄目だったら延期になるのだから、曲を止めてもらってもかまわない、だってそれは、わたしの力不足ってことだから。
わかりましたとうなずいたのを確認してから、椅子に腰かけ、楽譜を準備する。
今日は枝は自室に置いてある、吸収されたら判断しづらいからだ。
その分駄目だった時の負担が大きいから、席についている何人かは緊張した顔つきだ。
どうか、うまくいきますように……
大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと手を降ろして──演奏を開始する。
はじめは緩やかに、目覚めたばかりの小さな芽をイメージして、そこから成長し、時に戦乱をくぐり抜けて、それでも神樹はそこにある。
そういうストーリーなのだと、勉強の時に教えてもらった。
だからだろう、一曲の中に雰囲気の違う部分がいくつもあって、切り替えるのが難しい。
それでもずっと練習してきた甲斐はあって、鍵盤を追うばかりではなく、きちんと細かな部分に注意できる。
難易度は高いけれど、色々な種類の部分があるから、一曲で何曲分ものおもしろさがある。
なによりやっぱり完成度が素晴らしくて、弾いていてとても楽しい。
夢中になって弾いて──一度も止められることなく、終わりまで弾き切った。
緊張で詰めていた息を吐くと、ぱちぱちと拍手の音。
見れば、医者とディーさんが手を叩いていた、遅れて、他のひとが続く。
一番心配な観察術士を見ると、とりあえず顔色は悪くなかった。
吟味するようにわたしと、その背後を見て、それからひとつ、うなずいた。
「──大丈夫です、私は職業柄、少し酔ってしまいましたが……」
魔力を察知できる能力に長けた術士は、強い魔力に当てられると、車酔いみたいになるらしい。
でも、前はものすごく負担になっていたらしい他のみんなは、なんともない顔で。
ここまで全員がとりつくろえるわけもないから、多分本当にコントロールできたんだろう。
「ありがとうございます……! みなさんの協力のおかげです」
深々とお辞儀をすると、とんでもない、と言われたけれど、本心だ。
危険を承知でつきあってくれなければ、完成にこぎつけることもできなかっただろう。
そのあとは敢えて話題を変えてお茶を楽しみ、みんなを見送った。
「図々しいですが、他の曲をお願いしても?」
そのあとルト様にねだられて、勿論ですとまたピアノ室へもどる。
いつもの月光ソナタを丁寧に弾くと、嬉しそうに拍手をくれた。
……さっきも一応手を叩いてくれたけど、ルト様に関しては、それよりこっちにくれる拍手のほうが嬉しい。
あっちは技術への賞賛はあっても、本心からいい曲だとは、多分思えないだろうから。
「……それで、みなさんの前で弾いても大丈夫ですか?」
「ええ、この状況なら、駄目とは言えません」
ピアノ椅子から離れてむきあって問いかけると、苦笑いをしながらもちゃんと許可をくれた。
さっき、観察術士からはお墨付きをもらって、もし人前で弾く時は、枝を持っていかないほうがいい、とアドバイスももらった。
そんなことしたら魔力が溢れるんじゃと心配になったけど、今日の演奏でもそこまでではなかったし、祭礼の場なら違和感もないから大丈夫、とのこと。
むしろ神子としてのアピールになると言われて、それはそうだなと納得した。
「ルト様としては、微妙……ですよね、やっぱり」
表情からしても、そのあたりは明らかだ。
ルト様はすみません、と呟いてわたしの頭をなでてくる。
「領主としては、問題ないと判断していますよ」
断言したってことは、本心からの言葉だ。
神子として演奏して、力を感じてもらえれば、今までよく思っていなかった人々もおとなしくなる。
ついでに領主への反抗も多少はおさまるかもしれない、……まあ、こっちは信仰心のなさ以外にも理由があるから、簡単にはいかないだろうけど。
でも少なくとも、神子の仕事を放ったあげく、ひきこもってる、なんていう噂は払拭できるわけで。
「ですが……個人的には、思い切れませんね」
ふぅ、と息をついて腕を引かれたから、おとなしく腕の中におさまる。
「ちゃんと成功させますよ?」
少なくとも演奏は、成功させる自信がある。
そりゃあ当日ミスをする確率はゼロじゃない、だけど、ミスがイコール失敗になるわけじゃない。
口上を述べたりとかは苦手だからまかせてくださいとは言えないけど、少なくとも演奏に関してなら、残りの時間もあれば、まず成功させられる。
仕事、としてそれで給金をもらってきた身なのだから。
わたしの言葉に、ルト様は言葉足らずでしたね、と眉を下げた。
「あなたの演奏者としての腕を信じていないわけではありません、むしろ……信じているから複雑というか」
……どういう意味だろう、と顔に出ていたらしい。
「正直、あなたの演奏が成功しても失敗しても、どうとでもできることはできるんです」
成功すれば筋書きどおりだし、多少失敗しても、神子はまだ本調子ではないとか、このために神殿にはいられないと嘆いて出てきたのだとか、とにかく理由はいくらもつけられる。
力をやたらとまき散らさないかぎりは、もっともらしいいいわけはなんとでもなるし、民衆もそれを疑うことはないだろう。
……たしかに、無理して演奏して失敗したってなったら、よくある感動モノみたいな感じになる。
「なにせ私自身、演奏するあなたの姿の虜ですからね、同じような者が出てくるのは間違いありません」
「いや、そんなには出てこないと思いますけど……」
「少なくともこの世界では、そうなりますよ」
わたしの感覚よりもっと信仰心に厚い人々にとっては、そういうもの、らしい。
ルト様の場合は信仰心じゃないけど……ともかく。
つまり、やきもちですと言ってのけるルト様は、居直りっぷりがすごい。
わたしはついつい笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、そうなっても、一番はルト様ですから」
ね、と見上げて言うと、すぐに甘い笑みを浮かべてキスをくれる。
「それは譲れません──もう一生」
嘘を嫌うルト様が言うと、重みが違う。
ウェンデルさんあたりが聞いたらすごく嫌がりそうだけど、今のところわたしも同じ気持ちだから問題ない。
今までも普通に一緒にいたけど、曲のことがあって、少し神経質になっていた面はあった。
だから反動みたいに、その日はわたしもいつもより素直に甘えたのだった。
爆発しそうって思いながら書いてました。




