領主に嘆願
「お帰りなさい!」
「ただいま帰りました」
大体いつもの時間に帰宅したルト様を、ちゃんと出迎える。
最近時間を忘れることが多かったし、反省しないと……
いつものようにピアノ室にむかって、でも、演奏の前に話さなきゃいけないことがある。
「あの、ルト様、お願いがあるんですが」
真剣な調子だからだろう、ルト様も表情を改めて、椅子にすわるよう促してくる。
むきあうかたちで着席すると、膝の上で手をにぎりしめた。
「例の曲を、神殿で弾けるように、手配してもらえませんか?」
簡潔に用件だけを伝えれば、予測ずみだったのか、驚いた様子はなかった。
「いずれ言い出すのではないかと思っていましたが……」
代わりに、困ったような表情になる。
そんなルト様に、午前中に神殿へ行ったことを話した。
案の定苦い顔をしたけど、みんなを叱らないでくださいと念を押しておく。
乗り気でないだろうとは思ったけど、やっぱりすぐにいいです、とは言ってくれない。
勿論そのためには曲のコントロールとか、問題もあるわけだけど、わたしのためにも、ルト様のためにも、メリットは大きいはずなのだ。
「神殿寄りのひとたちにも、わたしの顔を見せなきゃ、よくないんですよね?」
問いかければ、はっきりと苦々しい顔つきになった。
ここ数ヶ月、わたしは少しずつ、公的な場所に出て行くようになっていた。
本当は新年の時からはじめるつもりだったんだけど……
新年の挨拶といっても、仰々しいのをやるのは国王くらいのもので、領主はこれといったことはしないらしい。
たしかにわたしの世界でも、そういうのをしているのは国王とか、名誉職ばかりだった。
ただ、仕事はじめの日はほぼ全員が集まって、今年もよろしく的なことはするというので、そこでちょっと挨拶をしよう、という話になっていた。
……なっていたんだけど、結果から言うとできなくなってしまった。
その噂を聞きつけた神官たちが、たくさんやってきてしまったからだ。
よく行っている孤児院が併設されている場所以外にも、街にはいくつかの神殿が存在する。
その中には神樹をメインに信仰しているところもあり、あいつらのいたところの分社みたいなものらしい。
なので……服装とかが、あいつらと同じで。
本殿から通達もあったらしく、領庁に行ったら大量のあの赤と青が並んでいた。
当然わたしはパニックを起こしてぶっ倒れ、挨拶どころではなくなった。
ルト様も知らなかったようでしきりに謝られてしまい、もやもやするばかりになってしまった。
そんなこんなで大きなお披露目の機会は逸したのだけど、そのままもよくない、ということで、まずはフラウさん主催のお茶会で、女性たちと交流することになった。
人数も少なめで、フラウさんが選んだだけあり、みんないいひとたちばかりで楽しい時間を過ごすことができた。
徐々にお茶会の回数が増えて、そのころから、領庁にルト様を迎えに行くことも増えた。
ついでに寄ったということにして、短時間、貴族や議員と顔合わせをするためだ。
場所が場所なのでそんなに長くはかからないし、パーティーのような大変さもない。
同席してくれたのは基本的に副領主で、おかげでスムーズにことは運んだ。
はじめはひれ伏すばかりだったのだけど、世間話をするうちに、大分打ち解けることができて。
新年の事件があったのもあり、詳細はぼかしつつやつらにされたことを話すと、信仰心は持ちつつも、わたしの味方になってくれた。
今では第二のおじいちゃんとなっていて、おじいちゃんと呼ばないと拗ねてしまう。
自宅にも遊びに行って、奥様のこともおばあちゃんと呼ばせてもらっている。
本当の祖父母をはやくに亡くしたから、嬉しいことは嬉しいんだけど、ルト様はちょっとふてくされていた。
あとはルト様の公務にくっついていって、そこで役人さんたちと会ったり、そこにきていた街のひとと会話をしたり。
大きな街の中から見ると本当にちょっとだけの行動だけど、それでも少しずつ、元気になった神子、という印象を与えていく計画は成功していた。
だけど、人選に偏りがあるのは否めない。
信仰心の厚い、神殿寄りのひとはなるべく排除している。
それはわたしへの気遣いもあるのだけど……ルト様をよく思っていない面々に、そういうひとが多いらしい。
仕事であれば顔は出すけど、基本、ルト様は参拝とかをしない。
でも敬虔な信者たちは、見に行った祭礼がある時などは、必ず休んで祈りに行っている。
そういうひとからすると、ルト様の態度はかなり気にくわないらしい。
それなのにわたしを保護しているから、さらに、というわけだ。
でもかれらだって領地を運営する上で必要な人材だったり、ないがしろにできない地位を持っていたりする。
いつまでもかれらに会わないわけにもいかないけど、どうしたものかと悩んでいたところだから、ちょうどいい。
かれらが信仰する場所で、それなりの働きをしてみせれば、一番効果的だろう。
そのあたりのこともルト様が考えていないはずはない、でも言ってこなかったのは、わたしのことを優先してくれたから。
だったら、こっちから提案しないかぎり進みはしないだろう。
「いつまでも恐いって倒れてもいられませんし、慣れるためにも、頑張りたいです」
「……それは無理をしてほしくないんですが」
でも、逃げてばかりでは耐性もつかないわけだし。
ピアノを弾けば多分平気だろうから、パーティーに出るよりは平気な気がしている。
場所が問題ではあるけど……慣れないドレスに社交にダンスよりは、いけると思うのだ。
もう一度お願いします、と重ねると、ルト様は真剣な表情でわたしを見た。
それは、恋人としての顔というより、領主のもので。
「機会を設けてもいいですが……条件をつけさせてください」
それから、少し間が空く。
「──まず、次の祭礼は一月後ですが、その前に何人かの前で披露して、問題ないか確認できなければ許可できません」
大前提として、わたしが弾きこなせなければならないのは承知している。
そうしなければトラブルを招くことは目に見えているからだ。
だからわたしも、今からさらに練習して、完璧にするつもりでいる。
「ですから、そうですね……二十日後までに仕上げてください」
期間としては短かすぎほどではないが、長くもない。
でも、この調子でいけば、なんとか習熟できるだろう。
「ただし、その間も午前中の授業はしてもらいますし、私が休みの時はつきあってもらいます」
「はい、勉強はそのつもりでした」
本音はもっと練習時間がほしいけれど、それだけじゃ駄目なのもわかっている。
ルト様が休みの日は、例の曲を弾かないことも考えているけれど、そうなると練習回数が減るので、悩みどころだ。
そう考えると、やっぱり練習時間は決して長くない。
「その間、一度でも体調を崩したら、その時点でとりやめにします」
きっぱり断言されて、領主として考えていても、やっぱり優しいんだなと思ってしまう。
「とりあえず思いついたのはその程度ですかね……」
すべて異論はないのでうなずくと、ルト様はそう呟いた。
まあ、あとで追加されても文句はない、頼んでいるのはこっちなんだから。
わたしがすべきことは、ルト様のくれた機会をしっかりつかむことだけ。
そしてできれば大成功におさめること。
そのために必要なのは、ひたすらに練習のみ。
「頑張りますね」
ぐっと拳をにぎりしめて決意表明すると、ルト様は一つため息をついた。
それからわたしを抱き寄せて、もう一度息を吐く。
「応援すべきなのですが……難しいですね」
ルト様にしてみれば、そりゃあ複雑だろう。
領主として考えれば悪くない話だけど、恋人としては、多分止めたいだろうし。
わたしだって大事なひとが無茶をすると聞いたら、同じように悩むだろう。
だけど……いずれはやらなきゃいけないことだし、ずっと背中に隠れているわけにもいかない。
ルト様の横に並ぶためには、こういうこともできるようにならなきゃなんだから。
それも含めてやる気になっているのだけど、言えばもっと気にするだろうから、わたしは余計なことは言わずに、ただぎゅっと抱きしめ返した。
あとちょっと……のはず?




