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傷を抱えたわたしと  作者: 宇梶あきら
番外編-2-
111/124

彼女は「愛で子」(2)(公爵視点)

 ──そしてまた、曲がはじまる。

 音の奔流は、これが本当に二本の腕から演奏されているのかと驚くほど複雑なものだ。

 彼女は難しいだけの曲を好まない。弾いていて楽しいかどうかが重要であり、難易度はまたべつなのだとたびたび口にしていた。

 だがやはり名曲となれば難しいものが多く、けれどそれらも、セッカは難なく弾いていた。

 と見えたのは、影にこうした練習があったのだと、まざまざと思い知らされる。

 努力を惜しまぬ性質だと知ってはいたが、ここまでだとは正直考えていなかった。

 これが「仕事」として音楽を扱う者なのだろう。

 そして演奏が続いていくと、恐ろしいほどの力が部屋中に溢れていく。

 枝は、と探せばいつもの場所にあるのだが、一度に吸いきれないのだろう。

 本体であれば可能だろうが、小さな枝一本では無理もない。

 すわりこみたくなるのを叱咤して、どうにか理性をかき集める。

 と同時に、だから連中は愚行に走ったのだと納得した。

 セッカの魔力を利用するのならば、もっと巧い方法はいくらもあったはずだ。

 この世界を知らぬ彼女になら、言いくるめることだってできただろうし、魔力が尽きぬ程度に回数を抑えておけば、体調を崩させるようなこともなかっただろう。

 正直、自分の場合ならば、もっと上手にことを運んだのにと思った。

 けれど──この力を目の当たりにしたならば、正常な判断ができなくなってもおかしくはない。

 高位の神官ならばそれでも平静を保てるだろうが、力不足に嘆いている者たちだからこそ、簡単に狂わされた。

 異世界から召喚された「愛で子」──勿論クヴァルトだって忘れたわけではない。

 だが、どこかで甘く考えていた。

 彼女は真実、世界を越えてまで召喚されるに足る存在なのだと、今まざまざと知らされている。

 できるなら今すぐ曲を止めて、抱きしめて口づけて、彼女は自分の恋人なのだと知らしめるために、──抱き潰してしまいたい。

 だが、そんな行為は最も唾棄すべきもので、夢想すれども実行に移す気にはなれない。

 そもそも、途中で曲を邪魔されることを、セッカはとても嫌っている。

 まともに演奏を聞かずにいるためにも、今後どうするかを頭の中で煮詰めていく。

 音に邪魔されて普段の何倍もの時間がかかったが、それでもどうにか、思考をまとめることに成功した。

 その間にも曲は進み、途中、いくつか危うい場所はありつつも、今度はどうにか大きな失敗もなく、クヴァルトの記憶にもある最後までを弾き切った。

「……よっし!!」

 吠えた、と表現できるほどの大きな声をあげて、セッカが息をつく。

 そのまま再び練習に入りそうだったので、急いでノックを響かせた。

 ──拍手は、したくなかった。

 技術的にもまだまだだから、喜ばれないだろうというのが建前で、本音は、神殿の曲に感動したなんて嫌だった。

 それに、褒めそやして認めてしまえば、彼女が違う存在だと認めるような気もして、とてもできなかった。

「あれ……ルト様? え? わたし、またやっちゃいました……!?」

 クヴァルトを見て、ピアノをふり返り、時計を確認してぎゃっと叫ぶ。

 その顔は、いつも見慣れたセッカのものだ。

 異世界からこちらの世界に召喚され、不幸な目にあいながらも、真面目に生き続け、ついには己の価値観を壊し、そばにいることを望んでくれた希有な──最愛の恋人。

 すたすたと近づいたクヴァルトは、慌てて立ちあがったセッカを、とにかく抱きしめた。

 わ、と声がしたが、気にせずぎゅっと力をこめる。……神になど、渡さぬように。

「ルト様……?」

 不思議そうな声がするが、まだ返答できそうにない。

 自分の中でも、色々な感情が渦巻いて、消化し切れていなかった。

 それでも衝動のままに行動だけはするまいと、深く息を吸って、吐いて。決して力加減を誤らぬように。

「……すみません、あなたがあまりに夢中だったので、寂しくて」

 拗ねたのだと、すべてではない真実を告げれば、小さく笑ってくれる。

 ごめんなさいと謝る姿は、これまでも何度かあった、夢中になったあとの反応と同じで。

 セッカにはまったく自覚がないことは明らかだ。

 色々言いたいことはあるのだが、まず確認すべきは彼女の体調だ。

 あれだけの力を放出していたのだから、負担になっていないはずがない。

「ずいぶん頑張っていましたが、疲れてはいませんか?」

 腕の力を緩めて顔色を窺うが、見たところ元気そうだ。

「いえ、元気ですし、お詫びも兼ねて今から弾きますよ」

 普通あれだけ力を使えば疲労するはずなのだが、そんな様子はまったく見えない。

 むしろ、すぐにも弾きはじめそうな勢いだ。

 これは止めるよりも、弾かせてすっきりさせたほうがいいだろう。

 そう判断すると、クヴァルトは部屋の仕切りを動かし、続き部屋のほうまで音が通るようにする。

「聴衆を呼んできますので、月光ソナタを準備して待っていてもらえますか?」

「わかりました」

 クヴァルトも好きな曲なので、選曲に疑問は抱かれない。

 いそいそと譜面を用意する姿を後ろに、急いで廊下へ出てウェンデルのもとへ行く。

「とりあえずあの曲は演奏させませんから、大丈夫ですよ」

 伝えれば、あからさまにほっとした表情になる。

 すぐにもセッカのそばへ控えようとするのを止めて、代わりに使用人を連れてくるよう頼んだ。

 人選は、先の演奏でおかしくなった者たちを、なるべく全員。

 しかし号泣している者を連れて行けば、セッカが驚くだろうから、目立つ場所にはクヴァルトやジャンが陣取り、後ろにかれらを配置することにした。

 なんとか全員を集めたところで、セッカに演奏をはじめてもらう。

 先ほどまで感じていた圧迫感など微塵もない、ひたすらに美しい旋律が部屋中に満ちる。

 ざわついていた胸も、冷静さをとりもどしていくのがよくわかった。

 隣のジャンも表情が明るくなっているし、泣いていた者たちも我に返り、ごく普通にセッカのピアノを聞いている。

 曲が終わるころには、いつもの状態にもどった皆が、惜しみない拍手をセッカに贈る。

 使用人たちに余計なことを言われては困るので、時間が押していることを理由に、さっさと彼女を連れて食堂へ移動してしまった。

 練習に気合いが入ってお腹が空いた、と言う彼女は、珍しくおかわりまでした。

 心配していた料理長による渾身のデザートも平らげて、満足げに風呂場へと行く。

 その合間に、セッカに余計なことはまだ言わないように徹底するよう命じ、朝一番で医者へ連絡し、往診にきてもらうよう頼んでおく。

 入れ替わりで入浴をすませて部屋へもどれば、セッカは特に変わった様子もなく、けれど机の上には例の譜面が置いてあった。

「……その、曲ですが」

 さてどう切りだしたものかと悩んでしまい、出てきた言葉はクヴァルトにしては御粗末だった。

 だが、彼女はぱっと表情を明るくして、譜面を見せてくる。

「今日とどけてもらったんです、新譜だからって」

「……どういう曲か、知っていますか?」

 はっきりしない問いかけだと我ながらうんざりしたが、それでもセッカには通じたらしい。

「実はあんまり聞いたことがないんです、だからそんなに……拒否感はないですね」

 神殿でよく演奏されるものだとは知っているらしいが、どうやら神樹の本殿では演奏されていないようだ。

 よく考えてみれば、この演奏は聴衆にむけて行われている。

 祈りを捧げにきた者たちの気持ちをひとつにまとめる意味合いが強いのだろう。

 だとすれば、彼女のいた場所で演奏されていなかったのも納得がいく。

「それにこれ、デライアさんの編曲なんです!」

 ほら、と示された部分には、たしかに彼女がお気にいりの作曲家の名前。

「比較できるようにって、オーケストラの譜面も一緒に受けとったんですけど、再現率がすごいんです。だから難しいんですけど……」

 なるほど、と納得する。

 オーケストラで演奏しているものを、たった一台のピアノでやろうすれば、難易度が高くなるのは当然だ。

 それゆえのあの表情だったのだろう。

 それでなくてもデライアの曲は、ピアノの人気が低いというのに、それともだからなのか、難易度の高いものが多い。

 セッカいわく「わたしの世界のベートーヴェンとショパンを足したみたいです!」だそうだが、二人の曲を聞いていても、そのあたりはクヴァルトにはいまいちよくわからない。

 難易度もさることながら、曲のつくりがセッカの好みに合うらしく、こちらの世界の曲を弾く時は、ほとんどデライアのものばかりだ(他の作曲家が少ないというのもあるのだが)

「まだわたしの中で全然納得できてないから、当分練習しないとです」

 書きこみを見ながら眉を顰める彼女に、あまり水は差したくない。

 彼女が心置きなく演奏できる状態を保ちたいとは、心から思っていることなのだが。

「あ、でも、明日のお休みはお出かけしますよ! 弾きっぱなしもよくないですし」

「そのことですが……明日の午前中は診察を受けてください」

「え?」

 このあとからセッカ視点にもどるはずです(まだ書いてない

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